ブックオフで田口ランディの本が目に入った。彼女の小説を今まで読んだことはなかった。オカルト的だといううわさを聞いていたので多少興味があった。そこで、ミッドナイトコールという短編小説を手にとって、先にあとがきを読んだ。そして、買った。
あとがきを面白いので、一部を抜粋してみる。
むかしむかし、石文という風習があったのだ、と、友達のはまり君から聞いたことがあった。自分の気持ちにぴったりの石を探して、その石を手紙の代わりに相手に送るのだそうだ。
男が女に、あるいは女が男に、気持ちを伝えるなんて、まるで石を手渡すようなものではないかと思う。想いは言葉などを超えている。その時に、あたしたちはどうするのか。自分の気持ちを伝えるために石を探す。
でも、あたしが選んだ石を相手が感じてくれるかどうかわからない。
「なんだよ。こんな石、つまんねえ」
そう思われるかもしれない。そしてまた、相手の選んだ石を、あたしが感じ取れるかどうかもわからない。精一杯の思いが込められた石を貰っても、
「なんじゃこの汚い石は」と思われるかもしれない。
この世界のどこかには、同じ石を「素晴らしい」と思う、同じ感性をもった相手がいるかもしれない。でも出会えるかどうかなんて誰にもわからない。
それでも、あたしは同じ石を感じあえる誰かを探している。
このあとがきを読んで、この「石探し」をしている人々の話を読んでみようと思ったわけだ。
多少思っていた内容と違っていた。かわいそうなというか痛いというか、たしかに感情をうまく伝えることのできない女性の話が、これでもかというくらい出てくる。正直言って、すこしつらくなった。私はすこし優しすぎるのかもしれない。
と同時に、この小説に出てくるようなストレートな自己表現のできない人たちに接すると困ったものだとも思ってしまう。
しかし、私もうまく気持ちを伝えられないときがある。それは、恋に落ちているときである。
人をすごーく好きになってしまうと、自分で何を言っているのかわからなくなることがある。そのようにときは、たしかに、「想いが言葉を超えている」と思う。