フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

巨樹について

2010年11月15日 00時20分45秒 | 社会・政治・思想哲学

 「巨樹ランキング」で検索すると、大体、上位50位の巨樹の三分の二はクスノキである。クスノキは東京にもあるのだろうけれど、日本の西南に分布しているとのことで、一瞬どんな樹だっけと考えてしまう。
 巨樹というとどうしても杉を思い浮かべてしまう。
 巨樹を定義すると、地上から1.3mの位置で幹周囲が3m以上の樹木をいう。市町村別の巨樹数ランキング1位は、意外にも東京都奥多摩町で、樹種はやはり杉だ。

 樹木の寿命は、ブナが300年、カラマツ600年、ナラ2000年、杉2000年から3000年、などだ。屋久島の杉で縄文杉などと呼ばれているものは推定樹齢6000年から7200年といわれている(争いあり)。

 圧倒されるような巨樹に出会うと、その荘厳なたたずまいに魅了されてしまう。人々が樹に神が宿っていると思ってしまうこともよくわかる。それは樹の神秘的な美しさに魅了されてしまうという面もあるが、私はやはりその場所に居続ける時間の流れに、思いを馳せるからだと思う。

 もしその樹が樹齢3000年だとすれば、キリストが生きていた時代には既にその木はそこにあったわけである。お釈迦様の生まれた年が紀元前566年だから、そのときにも存在していたことになる。

 例えば、神社の境内にある巨樹の下で、500年前の人々の生活について想像してみる。長い月日の間に何組もの若い男女がそこで待ち合わせして愛を育んでいたのかも知れない。また争いごとが起って刀で殺し合いが行われたかもしれない。様々な人間が様々な形でその樹に関わってきたのだと思う。

 おじいさんが子供の頃も巨木だったその樹は、数々の人間ドラマを見守り続けてきたに違いない。

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