育児とは無縁の生活をしているから、世の中に「オムツナシ育児」なるものが存在しているなんて全く知らなかった。布オムツが良いのか紙オムツが良いのかというレベルではなく、オムツをつけないとは・・・・・
もし、本当にそんなことができるなら、おむつ代がうき、育児にお金がかからなくて家計が助かりすごくいいに違いない。まぁ、オムツをつくっている会社は困るかもしれないが。
東南アジアやアフリカの一部の国は、赤ちゃんのおしりを丸出しにしてオムツを当てないところがあるらしい。
アメリカの人類学者が、アフリカの母親に「なぜ、赤ちゃんが、ウンチをしたくなるのが分かるのですか」と質問したところ、きょとんとした顔で、「あなたは自分がウンチしたくなったとき、それが分からないの?」といわれたそうである。
赤ちゃんは、生後二ヶ月ごろから、排泄をする前に何らかのサインを出す。東南アジアやアフリカの母親は、そのサインを、当たり前のように感知して、排泄させるのだ。つまり、先進国の母親より、東南アジアやアフリカの母親の方が赤ちゃんの微細なシグナルを察知する能力が高いということである。
オムツなし育児を提唱している津田塾大学教授の三砂ちづる氏は、「女性の身体性を取り戻そう」とうったえている。なかなか面白い考えの持ち主だ。
例えば、彼女は、昔の女性は、月経の血をコントロールしていたという。つまり、ナプキンをつけなくても、あそこの筋肉を閉めて血を外に出さないようにコントロールし、血がある程度たまると便所で排泄していたとのことだ。男なのでよくわからないが、想像するに、その技術はなかなかすごそうである。
ところで、相手のシグナルを察知する能力に関連して、一流のアスリートは、相手に憑依する能力にすぐれている。例えば、、サッカーの試合で相手にパスするとき、相手が今どの位置にいて、これからどのように動くかを予測してから、パスすることになるだろう。
だがその場合、一番いいのは、もしできるのであれば、自分の魂を瞬間的に飛ばして相手に乗り移り、最高に良い状態でパスを受けれる場所に相手を動かすことである。一流の選手はそれに似たことができる。つまり、パスしようとする相手の動きを無意識的に読みきっていて、どこに動くか一瞬に把握する。そして、そこに動いてくれよと念じながらパスする。そうするとパスしたところへスススーっと相手が動いてくるから、あたかも自分が動かしたかのような錯覚をしてしまう。そのようなことを、憑依能力というか共感能力というかは、言い方はいろいろあると思うが、相手の動きを感知する能力が究極的に高まれば、そのようなことが可能になる。
アフリカの母親も、一流のアスリートのように、赤ちゃんに対する共感能力が高いのだろうと思う。赤ちゃんの便意があたかも自分の便意のように感じられる。そのとき、母親は赤ちゃんと同一化している。つまり共感能力が高まって、相手に憑依してしまっている。
私たちには、まだまだ分からない能力がいろいろあるのだと思う。