今年の秋、涼しくなったら、秩父三十四カ所礼所を歩いてみようと思っている。宿泊代をケチるためにテントを背負って、夜になったらこっそり野宿でもしようかなぁと考えている。
なんだろう、こういう浮浪者みたいなやり方のほうがわくわくしてくるから不思議である。そういう血が流れているのだろうか。
そもそもこの礼所巡りとは、観音さまを祀っている霊場を参拝する旅である。
ちょっと、予備知識として礼所巡りについて説明しよう。
まず、祀られている観音さまについてである。観音さまは、正しくは観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)という。この世の人々の苦しみの音を観じて自由自在に変化して救ってくださる菩薩ゆえ、そう呼ばれる。
次に、なぜ礼所は三十四カ所なのかである。
観音菩薩は救いを求める人に応じて、三十三の姿に変化するといわれている。その三十三の数にちなんで、三十三ヶ所の霊場が生まれた。有名なのは西国、坂東の三十三ヶ所観音礼所である。
西国礼所は、近畿二府四県と岐阜にある観音信仰霊場で、坂東礼所は東京、神奈川千葉埼玉、群馬栃木茨木の観音信仰霊場である。
秩父も最初は三十三ヶ所であったが、西国、坂東を合わせて百観音巡りにするために、三十四ヶ所になったそうだ。
秩父の礼所は、ほかの礼所巡りと違ってコンパクトにまとまっているので、比較的簡単に回れるのが利点だ。
別に個人的に苦しみがあるわけではない。また、それほど信仰心が強いわけでもない。にもかかわらず、巡ってみようと思ったのは、里山の宗教的雰囲気を味わって見たかったからである。
もうすこしくわしく説明しよう。
最近私が興味を持っているのは、日本固有の宗教である修験道である。どの社会にもさまざまな形の宗教がある。その国のことを知りたかったら、その国の宗教に触れてみるのが一番である。だから、修験道を探ってみるのが、日本を知る上で重要だと思ったわけである。秩父にも両神山や三峰山に修験道がある。
日本は弥生時代から稲作を中心に生活や文化が形成されてきた。里に流れる水は山からやってくる。山は稲作に必要な水という恵みをもたらすと同時に死んだ祖先が集まる霊界でもあった。その霊界としての山を祀る信仰が山岳信仰である。
修験道は、その山岳信仰と密教などが習合して出来た宗教である。 山で修行した山伏は特別な霊力を持つとされている。一種のシャーマニズムである。
このシャーマニズムについては、ちょっとした考えがあるので、また後でくわしく書きたい。