フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

大ダルの大鹿

2011年09月29日 08時37分01秒 | 登山

 飛龍権現神社には分岐点があって、一つは前飛龍の方に下っていく道で、もう一つは将監峠の方に向かう道である。今年の5月に来たときは、前飛龍の方に下っていった。これから将監峠の方に向かうのだが、そっち方面に行くのははじめてで、いわゆる未知の世界である。はじめて行く場所はワクワすすると同時に常に不安が付きまとう。夕方の3時。日暮れまでには時間があるが、疲労はそろそろピークに達している。
 今日は飛龍山と将監峠の間にある大ダルでテントを張るつもりである。ただ、本当にそこにテントを張る場所があるのか分からない。「山と高原地図」シリーズをいくつも持っているが、そこには必ず、平、タワ、ダル、といった場所が記されている。ここは、山と山の間にある平らな広場のことで、休憩場所になることから地図に記述されているのだと思う。もうすこし好意的に推測すると、テントを張れる場所を暗黙的に示唆しているのではないかと思っている。というのも、国立公園内は原則テント禁止で決められた所以外、テントを張ることはできない。ただ、それだと疲労で倒れてしまう人がいるので、表立って言わないものの小さく書いてくれているのではないか。もし、その推測が正しいとすれば、飛龍山と将監峠の間にある大ダルにテントが張れるということである。
 しかし、こればっかりは行ってみないと分からない。スピノザは、希望を不安定な喜びといい、それ自体善ではありえないといった。確かに行ってみてテントが張れないと、この疲労状態の中、緊張の糸がぷつんと切れる。そうなると精神的にヤバイことになる。だから、将監小屋でテントを張ることも視野に入れつつ進む。将監峠までは、地図によると2時間半位かかる。今の疲労の状態を考えれば、遠く困難な道である。出来ればその手前でテントを張りたいと願いながら進む。

 夕方になり雨が弱くなる。雨が弱くなると視野が広がり、周りの音もクリアに聞こえる。これは過酷な状況の中の数少ない良い事である。
 道は岩場の急な下り坂で、足元に注意しなければ転んでしまう。また、平坦な場所は両側が笹で覆われどこが道か分かりづらくなっている。変なところに足を踏み外す危険もある。疲れているが、集中しなければならない。
 すると突然、広く笹に覆われた広場につく。ああ、ここが大ダルだと心に安堵感が生まれる。テントを張る場所をどこにしようかと、ぐるっと周りを見渡すと、ガサッと大きな音がする。
 ハッとするくらい大きな鹿が、すぐそこで笹を食べている。逃げる様子もない。普通の鹿は人間の姿を見たら一目散に逃げ出してしまう。しかし、この鹿は違う。全くビビっていない。悠々と笹を食べている。
 大鹿が鋭い目付きでこっちを睨み返してくる。明らかに怒っていて、今にもその大きな角で攻撃してきそうだ。

 そこで俺の内側から闘争本能がメラメラと沸き上がってくる。来れるもんなら来てみろと。
 数秒間、にらみ合いが続く。
 睨み合っているうちに、不思議な感情が生まれる。こいつなかなか大した野郎だなと。殺意の中に交じる敬愛の感情。
 不遜な態度。あれは俺だ。鏡写しの俺だ。

 腰にある携帯電話を取り出す。オイ、これは銃だぞ、と大鹿につぶやく。腹の付近に照準を合わせる。携帯に写った大鹿はまだこっちを睨んでいる。
 腹めがけてバンとボタンを押す。

画像 1452 

 
もし、本当の銃を持っていたら簡単に仕留めることができただろう。勇敢な雄鹿は逃げないから仕留めやすいに違いない。
 少しのやりとりだったが、この雄鹿に対し敬意を払い好意を抱いている。友情のような感情が芽生えている

 猟師から逃げて生き延びろよと声をかけ、テント場を探しに行く。雄鹿は睨むのをやめて、また笹を食べ始める。
 
 その気になれば、野生の動物ともディープな心のやり取りが出来る。当然だが、人間も鹿も同じ動物だからだ。

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