長い間ブログを怠けていた。
こんなブログでも、きちんと読んでくれている人がいるので、できるだけ毎日書こうと思う。
ところで、今年もあと二ヶ月。秋も深まり紅葉の季節になった。ということで、11月2,3日に奥多摩の笹尾根を縦走してきた。
まず、11月2日
奥多摩駅からバスで峰谷橋まで行き、ヌカザス尾根から三頭山まで。三頭山から笹尾根で水場のある日原峠でテント泊。
11月3日
日原峠から浅間峠、生藤山、和田峠、陣馬山、景信山から下山し、小仏バス停から高尾駅。
こんな感じで笹尾根縦走してきた。予定では、高尾山まで行くはずだったが、時間切れで景信山で断念。
峰谷橋バス停から、浮き橋で奥多摩湖を渡る。途中、TBSが浮き橋を見下ろせる上の方で、何かを撮影していた。
三頭山登山口。
ヌカザス尾根は奥多摩三大急登の1つである。
だから、テントを背負って登るのはかなりきつかった。少し前に、三大急登の1つの稲村岩尾根に登ったが、ヌカザス尾根のほうがきつい感じがした。もちろん、体調などによっても、きつさの感じ方は変わってくるので、正確なところは分からない。
特に、鶴峠分岐前の「オツネノ泣坂」がきつい。
このオツネノ泣坂には、歴史的逸話がある。
奥多摩湖畔に川野の集落があり、そこに杉田入道広重という豪族がいた。
そこの召使にオツネという美しい娘がいた。また、同じ村の浄光院という禅寺に香蘭という若い修行僧がいた。その香蘭とオツネは恋仲だったたそうだ。
二人は夜の逢引きを重ね、次第に深い仲になっていく。
住職はその二人の関係が修行の邪魔になると考えた。そこで香蘭を三頭山の向こう側にある西原の宝珠院に移すことにした。
しかし、オツネは香蘭を忘れることが出来ず、三頭山を超え西原の香蘭の元へ向かう。
短い逢瀬の後、夜が明ける前に急いで川野の屋敷に帰らないと、主人に逢瀬がバレてしまう。
オツネは一生懸命山を駆け抜ける。やっと三頭山を超えるあたりに、滑りやすい急な坂がある。夜は明けそうになるし、膝はガクガクしてくるし、坂は急だし、オツネは泣きながらこの坂を下っていったという。
実際にこのヌカザス尾根を歩いた事を踏まえて、感想をいうと、オツネさんは相当きつかったに違いない。片道だけでも死にそうなのに往復するわけだから。
それにもかかわらず、山越えの逢瀬をするということは、よほど香蘭の事を愛していたのだろう。愛の力はすごいと言わざるをえない。
ちなみに、このことを歌った「ツネ泣き峠」という歌があるので、その動画をアップしてみた。
鶴峠を超え、三頭山山頂。すごい人だった。三頭山山頂はいつも人が多い。
山頂付近は、紅葉が始まっていた。見頃なのかどうか定かではない。最近の紅葉は、赤みが足りないような気がしているのだが、私だけだろうか。
槇寄山、西原峠、笛吹峠、小棡峠、土俵岳、日原峠と笹尾根をわたる。
日原峠に着いた時は、もう16時半になっていた。本当にクタクタだった。久しぶりにへろへろになった。そのため、日原峠の写真を撮ることを忘れていた。
日原峠を5分ほど下ると水場がある。ほとんど滝のように水が流れていて、冬でも凍りつかないのではないかと思われる。水場にカメラを持っていくのを忘れて、写真を撮れなかったのが残念だった。
その日は、飯を食べて、すぐに寝た。
2へ続く。