昔はテレビドラマなんかで感動的な話を見たりすると、それがくさい演技でも泣いたりしたものだ。しかし、最近は何を見ても感動することもなくあまり泣かなくなった。
その理由を考えてみた。
多分、人間というものを複合的にみる癖がついてしまったのだと思う。ついつい感動的な話の裏の事情を考えてしまうのだ。斜に構えて物事を見てしまうのかもしれない。
いつの間にかそんな風になってしまった。
しかし、ちょっと前に何かの番組で、秋川さんが「千の風になって」を歌っていて、それを聴いて泣いてしまった。
なんだろうこの感じはと、考えている。それは決して悲しい涙ではない。死んでしまって悲しいけれど、死んでも楽しそうにやってるから良かったよ、という感じの涙である。
そして、この涙を流したあと、俺はまだ大丈夫だ、と思った。俺の中にあたたかいものがあるんだなぁと。
自分の中に相反する矛盾した二面性(残酷さとあたたかさ)がある。その自分の二面性を知れば知るほど、他人の欠点を許すことができるのだろうと思う。
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