フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

還るべき場所 笹本稜平

2012年06月11日 08時37分45秒 | 読書・書籍

 「還るべき場所」を読了。

 世界第2位の山、K2(8611m)をめぐる物語である。K2はエベレスト(8838m)より登頂が難しいといわれている。
 主人公の青年は、このk2登頂の一歩手前で、最愛の恋人を失ってしまう。
 あらすじをざっと要約すれば、その恋人を失った心の空虚感を、再度k2に挑戦することで、取り戻していく物語である。
 個人的な趣味だが、このような絶望の淵から這い上がっていく人間の復活の物語に魂が揺さぶられてしまう。

 この作家は、人を愛する熱のようなものをうまく表現するなぁと思う。心の内側からジワーっとくる熱い思いを、読者の私たちにも与えてくれる。
 人を愛することは、矛盾を孕んでいる。
 愛は私たちに生きる意味を与えてくれる。しかし、それを失ったとき、生きている意味が無くなってしまう。愛が深ければ深いほど喪失感は大きい。それを失ってしまったときにどう振る舞うかが問題となる。
 物語には、もう一人の重要な人物が登場する。60代の大企業の会長である。彼は、戦う男である。正確に言うと、戦うことを決意した人間である。
 この会長のエネルギーが、物語に強いパワーを与えている。このエネルギーに若者たちが、共鳴していく。
 
 この会長の言葉を幾つかピックしておく。 

 「どんな目標への挑戦でも、いや人生そのものに対しても、絶望というピリオドを打つのは簡単なことだ。しかしそれは闘い抜いての敗北とは意味が違う。絶望は闘いからの逃避だよ。あるいは魂の自殺行為だ」

「絶望によって前に進もうという意志にピリオドを打つたびに、人は自らの生の品位を貶める。それを繰り返すたびに人生は腐っていく」

「人は夢を食って生きる動物だ。夢を見る力を失った人生は地獄だ。夢は世界の不条理を忘れさせてくれる。夢はこの世界が生きるに値するものだと信じさせてくれる。そうやって自分を騙しおおせて死んでいけたら、それで本望だと私は思っている」 

 

還るべき場所 (文春文庫)
笹本 稜平
文藝春秋

 

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お台場のガンダム

2012年06月09日 08時39分52秒 | 日々の出来事・雑記

 お台場は、その気になれば走っていけるところにあるので、観光という意味では、ほとんど行かない。
 
 たまたま通りかかったら、巨大ガンダムをライトアップしていたので、近くに行ってみた。
 近くで見るとすごかった。かっこいい。
 大人だから冷静だったが、もし私が子供だったら、ブルブル震えてその場で倒れこんだのではないかと思う。
 子供のときに見たかったなぁと思った。
 もし小さい男の子がいたら、見に連れて行ったら喜ぶと思う。

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菊池直子逮捕のニュース

2012年06月05日 08時41分59秒 | 社会・政治・思想哲学

 元オウム真理教の菊地直子が逮捕された。
 彼女についてはそれほど興味があるわけではない。しかし、逮捕のニュースを聞いて、多少衝撃を受けたことは確かだ。
 
 彼女には、きちんとした仕事があった。かつ恋人もいた。もし、指名手配されていなかったら、幸せな人生を送っていたに違いない。
 いつ捕まるか分からない不安な状態では、ほんとうの意味での幸せは味わえなかっただろう。
 愛する人とも結婚できない制限された自由。

 私には、とくに制限はないから、なんでもできる。
 ただ、この自由を普段意識することはない。
 私たちの問題はそこにあるのだろうと思う。いつでもなんでもやれるから、今はやらない。
 もし、自由に制限が課されていたら、その中で自由を味わおうとする。 


 菊地直子に興味があるわけではないといったのは、彼女のことを詳しく掘り下げても、オウムの本質的な問題が見えてこないからである。
 菊池直子よりも、ブラック企業のやり方を研究したほうが、オウムの問題に近づける。
 オウムの問題は、私たちとは関係ない外側にある問題ではなく、私たちの社会のなかにに内在している問題である。
 それは、私たちが考え続けなければならないことである。終わりはない。
 
 彼女について言えば、彼女自身の罪を償って、自分の人生をやり直せばいい。


 私が興味を持っているのは、運命に翻弄された奇異な人生のなかにも、幸せはありうるのか、といったことである。
 それを提示することが、まさしく宗教の役割だろう。
 その意味で、彼女の歩んだ人生は宗教的だったのかもしれない。皮肉なことに。 

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議院の国政調査権をなめちゃいかん (河本ナマポ問題について)

2012年06月03日 20時14分04秒 | 社会・政治・思想哲学

 家に帰ってきて、パソコンを開いてニュースをあれこれ見ていたら、サンジャポに片山さつき議員が出演している動画が、アップされていた。
 片山さつき議員が出演したのは、例の河本氏の生活保護の問題について、サンジャポのコメンテーターと議論するためのようである。
 個人的には、河本氏の生活保護の問題については、関心があまりなくなっていた。
 しかし、このサンジャポの動画を見て、少々腹がたったのでブログに書くことにした。特に、杉村太蔵の議論はむちゃくちゃなので、片山さんにかわって私が少し反論しておく。

 杉村太蔵の言いたいことを、要約すると、「河本に対する個人攻撃はよくない。それは、国会議員という権力者による人権侵害である」というものだ。
 
 しかし、それは違う。
 
 まず、議院には、憲法62条により国政調査権が認められている。
 
 62条を引用してみよう。
 
 62条 両議院は、各々国政に関する調査を行ひ、これに関して、証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができる。 

 
 太蔵は議員の仕事がなんなのかよく分かっていないのではないか。
 
 議員の仕事は法律を作ること、つまり立法である。
 
 法律をつくるためには、さまざまな資料が必要である。それを集めなければ、適切な立法など出来はしない。
 そこで憲法は、議院(議員)に広く国政に関する調査を認めたわけである。
 だから、片山議員が、生活保護に関する法律案を作成するために、河本を国会に証人として呼び出し、そして宣誓の上証言させ(嘘を言えば偽証罪が適用される)、身内の生活保護受給に関する資料の提出を求めることすらできるのである。
 これはかなり強力な権限である。議院(議員)にはそれだけの権力が、当然、憲法上、認められているのである。なめちゃいかん。
 
 たしかに、太蔵がいう通り、個人に対する人権侵害の問題はある。
 しかし、それは、河本の身内に対する資料を集めるために、住居侵入、捜索、押収、逮捕等の身柄拘束はできないというもので、それ程度に至らない質問状くらいのことは、まったく問題ではない。
 
 ましてや河本は、まったくの私人ではない。 公共の電波を使って収入を得ている芸能人であり、準公人という立場にある。
 したがって、片山さつき議員の政治的手法には、人権侵害という意味では、なんの問題もない。 

 それくらいのことが分からなくて国会議員をやっていたとは、笑止千万である。

 問題は、太蔵に明らかに何らかの利害関係があって(パチンコかな)、片山さつき議員を叩くという結論が先にあり、その上でわーわー騒いでいることである。そういうやり方は、そろそろ通用しなくなってきた。
 
 芸人たちが、河本をかばえばかばうほど、どんどん深みにはまっていく。はやくそのことに気づいた方がいい。
 もうテレビごときに、世論を誘導できる時代ではない。
  

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