「今日の議題は、「ロシア・ウクライナ戦争 その前について』です。
ロシア・ウクライナ戦争は、2022年2月24日 ロシアが、ウクライナに侵攻したことで始まったと日本のテレビ・新聞では、報道されています。
これとは違い、2014年のマイダン革命まで遡らないと見えてこないという意見があります。
そこで、簡単に、2014年のマイダン革命から説明してみます。」
「よろしく頼むわ。
年寄りでん理解できるごと、分かり易く頼むわ。」」
「分かりました。
2014年 2月 マイダン革命
それまでのヤヌコーヴィチ大統領(親ロシア)がロシアに亡命。
(2013年11月、ウクライナのキエフにあるマイダン・ネザレジノスティ (独立広場)で、激しい抗議活動が始まり、この抗議行動は2014年2月に親露政権のヤヌコーヴィチ大統領がロシアに亡命するまで続いた。
この「マイダン革命」勃発には、オバマ政権におけるバイデン副大統領やその部下であるヌーランドが関与していた。
これについては、2015年1月のCNNのインタビューで、当時のオバマ大統領が「(ヤヌコーヴィチ政権転覆のための)クーデターに、背後でアメリカが関与していた」という事実を認めている。)
(ヤフーニュースより)
2014年3月 ロシアのクリミア併合
ウクライナのクリミア半島が突如独立を宣言し、「クリミア共和国」樹立を宣言した。
翌日、自ら望む形でロシアに併合される。
ウクライナは、この独立・併合に異議を唱えるも、ロシアが実効支配を続けている。
(東洋経済オンラインより)
2014年 4月 ドンバス紛争
ウクライナ東部のドネツク、ルガンスクで、親ロ派がドネツク共和国、ルガンスク共和国
として、独立を宣言。
ウクライナとの間で内戦が起きる。
2014年5月 オデッサ事件
ウクライナ南部の主要都市オデッサ市で、新政権支持者と親ロシア派武装勢力による大規模な衝突が発生した。親ロ派が逃げ込んだ労働組合会館の放火や街頭の銃撃戦で、約50人が死亡した。
(日本経済新聞HP等より)
2014年 6月 ポロシェンコ大統領就任(選挙で選ばれる)
2015年2月 ミンスク合意
2014年に始まったウクライナ東部紛争を巡る和平合意。ロシアとウクライナ、ドイツ、フランスの首脳がベラルーシの首都ミンスクでまとめた。
大規模な戦闘は止まったものの合意後も戦闘が続いた。
(日本経済新聞HP等より)
(「ウクライナの過激派によるロシア系ウクライナ人への迫害が続いた」ということかもしれません。)
2019年 5月 ゼレンスキー大統領就任(選挙で選ばれる)
2022年2月24日 ロシアが、ウクライナに侵攻。
2022年12月 ドイツのメルケル前首相の告白
独紙のインタビューで、ミンスク合意を仲介したドイツのメルケル前首相が、ミンスク合意は、ウクライナの軍事力を整備するための時間稼ぎを狙っていたと発言した。
(毎日新聞HPより)
以上が、マイダン革命からの大まかな流れです。
日本の新聞社等の報道で、事実であると思われる部分を簡単に記載しました。
ここには、プーチン大統領のいうネオナチの残虐な行為は出てきません。
実際に、ロシア系住民への迫害や残虐な行為はあったものと考えます。
マイダン革命後に、親米政権になると迫害が激しくなるであろうことを予測して、上記のクリミア独立宣言・併合、東部のドネツク、ルガンスクでの独立宣言・紛争、オデッサ事件等が起こったのではないかと考えます。
どう考えますか。」
「わからん。
ただ、必ずしも、ロシアが一方的に、突然、ウクライナに侵攻したちゅうのは、ちょっと違うわな。
アメリカが裏で糸引いちょることも分かったしな。」
「ロシアがウクライナに侵攻したのは、確かに、ウクライナ東部のロシア系住民の保護という目的はあったものと考えますが、もっと大きな理由は、自国の防衛のためということが言えると考えます。
ウクライナとロシアの国境近くに、NATOが核兵器を装備すると、モスクワまでの距離が近いため、防ぎようがないのではないかと思うのです。
これを防ぐためという理由、つまり、防衛のために、侵攻したのではないかと思うのです。
だから、戦後、ウクライナの非武装化を要求しているのではないかと思うのです。
アメリカ等の西側諸国の背後には、ロシアの資源がほしい人たちがいるものと思われます。
そういう人たちが、ロシアに仕掛けているのではないかと思うのです。」
「むずかしいけん、よう分からん。
若い人に任するわぁ。」
「多くの方に、考えていただきたいと思います。」
このブログを見てくださった皆さんに、神さま仏さまのご加護がありますように。
63歳のオッサン公認会計士でした。
(本日は、体調が悪く、頭がボーっとしています。変な箇所は、ご容赦ください。)
では、また。
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