「教育の無償化」という話が、よく出てくるようになりました。
「対価(たいか)」の観点から考えてみたいと思います。
先に、当ブログで上げた図です。
生徒側は、学校から教育を受けます。
その教育の対価は、生徒側から支払われるのではなく、地方公共団体・政府から支払われます。
無償といっても、対価は存在します。
教育というサービスを提供する学校にとって、顧客は、生徒側ではなく、対価を支払ってくれる地方公共団体・政府となります。
だから、学校は、生徒側ではなく、地方公共団体・政府を見て、教育というサービスを提供することになります。
おそらく、画一化された、一律の教育ということになるかと思います。
簡単にいうと、同じような教育サービスということです。
ひねくれた目で見ると、学校や教師による創意・工夫の余地の少ない学校教育サービスになると考えます。
生徒側は、それでは満足せず、ますます塾通いが増えるのではないかと予測します。
ある程度、余裕がある方は、無償化された学校教育では満足せず、子供を塾に通わさせるようになると思うのです。
今までは、塾通いをしていなかった生徒側も、学校無償化で浮いたお金で、子供を塾に、と考える方も多くなるのではないかと思うのです。
ますます格差が広がります。
学校を無償化するよりも、学校の先生を、教育の良し悪しによって区別すべきです。
また、学校も、同様に区別すべきです。
そのような情報を開示して、生徒が、そのような学校を選べるようにすれば、無償化するよりも、学校教育サービスの質は向上し、塾に通わなくてもいい生徒が増えて、生徒側の負担は減るように思います。
要は、学校の先生や学校が、やる気を出して、生徒が塾に通わなくてもいいように学校教育サービスの品質を向上させるようにするということです。
私は、教育の専門家ではありません。
会計の専門家ですので、教育変革の話は、この辺で止めておきます。
もう一つ、教育を無償化しても、対価は発生します。
対価は、地方公共団体・政府が、税金で支払います。
結局、将来、みんなで負担するということになります。
「お金を発行すれば、いいんだ」という議論が出てきますので、これは、別の機会にします。
ちなみに、私は、「お金を発行すれば、いいんだ」という理論には、反対です。
これは、使い方を誤ると、国民を堕落させる、不幸に導く理論だと考えています。
特に、「今の日本では」です。
まあ、教育の無償化は、バラマキ、短期的な人気取りだと思います。
もっと、国や地域を繁栄させるような政策を打ち出していただきたいと考えますが…。
会計、財務、監査、金融に関連した私の考えについて、書こうと思います。
できるだけ分かり易く書きたいのですが、難しくなるときもあるかもしれません。
会計、財務、監査は分からないけど興味がある方、会計、財務、監査を勉強したいと思っている方、会計、財務、監査に携わっている方、何かのご縁で私のブログを読んでいただいた皆様のお役に立てれば幸いです。
新型コロナワクチン接種による後遺症で苦しんでいる方がいます。
新型コロナワクチン接種により亡くなられた方もいます。
政府は、必要な情報を明らかにせずに、必要な調査をやろうともしません。
救済措置も十分ではありません。
さらに、また、新型コロナワクチンを国民に接種させようと、情報操作や無料という方法を使っているようです。
さらに、自己増殖型の新型コロナワクチンを承認してしまったようです。
(ほぼ新型コロナウィルスと同じように思います。)
多くの方が、新型コロナワクチンの危険性の認識を持たないと、声を上げないと、この現状は変わらないと考えます。
新型コロナワクチンのリスクについて、関心を持ち、情報を入手してください。
そして、できる形で構わないので、行動をしてください。
我が家の百日草です。
昨日(12月27日)に撮影しました。
人間でいうと、老人も老人という感じですが。
まだ、頑張っています。
もう年が変わろうとしているのに。
ありがとうね。
自分も頑張らなければ、という気持ちになります。
皆様に、神さま仏さまのご加護がありますように。
62歳のオッサン公認会計士でした。
では、また。
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