風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

恋は魔法 (連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第70話)

2011年12月28日 15時15分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 人を好きになった時、胸が痛くなるのはなぜだろう?
 その人以外のことは、なにもかもがどうでもよくなって、心のすべてが溶けてしまう。
 青虫がさなぎになる時、目の細胞だけを残してほかはすべてどろどろに溶けてしまうのだそうだ。そうして、いったんすべてを溶かしてしまってから、成虫へ変身するのだとか。恋をした時も、そんなメタモルフォーゼ(変容)が心で起きている。胸が痛くなるのはきっと、心がすべて溶けてしまうからなんだろう。今までの自分の過去や傷口といったものが溶けてなくなってしまうからなのかもしれない。
 恋のさなぎがぶじに羽化して美しい翅《はね》を広げる時もあれば、羽化に失敗してしまうこともある。
 羽化に失敗した恋はせつない。ちょっと涙色。
 だけど、もちろん恋が成就するに越したことはないけど、胸が痛くなるくらいに好きになれる人に出会えただけで、感謝すべきなのだろう。その人のすべてに。巡り合わせに。ほんとうの出会いというものは有難いものだから。
 もし幸運がほほえんでくれて恋を成就できたら、青空を自由に翔べばいい。青空はどこまでも広がっている。
 ところで、人を好きになるのに理由はないという。
 たしかにそうかもしれない。今までの自分の恋愛を振り返ってみても、その人を好きになったからとしかいいようがない。好きなタイプはあるのだけど、タイプの女の子ばかり好きになるわけでもない。不思議だ。
 とはいえ、物書きのはしくれとしては不思議というだけではすませたくない。相手のなにかが恋する人の胸に刺激を与え、その人の心を溶かしてしまっていることには違いないのだから。
 恋は魔法。
 だからこそ、魔法の秘密を解き明かしてみたくなったりする。無謀かもしれないけどね。
 

(2011年1月3日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第70話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/

ツイッター