注:『セメント樽の中の手紙』(葉山嘉樹著)のネタバレを含みます。ご注意ください。
中学生の頃、国語の授業の時に教科書に載っていた『セメント樽の中の手紙』を初めて読んだ。あるセメント工場での事故を綴った掌編だ。恐ろしい作品だった。
セメント工場に勤めるある若者が破砕器《クラッシャー》に石を放り込む作業をしていたところ、あやまってクラッシャーのなかへ落ちてしまった。周囲の作業員は急いで彼を引き上げようとしたのだけど、うまく救い出すことができなかった。結局、彼はセメント原料の石もろとも粉々に砕かれてしまい、クラッシャーのなかは若者の血で朱《あけ》に染まってしまった。
このシーンを読んでいて、なによりも不思議だったのは、誰もクラッシャーを止めようとしないことだった。ひどい話だけど、機械を止めてはいけないのだ。機械をとめれば効率が悪くなってしまうから。人間の命よりも、効率のほうが大事だから。たとえ人命を犠牲にしたとしても、機械を動かし続けることが最優先されるべきことなのだ。この残酷さはなんなのだろう?
しかも、人間一人が粉々に砕かれ、血みどろになったセメントは、まるでなにごともなかったかのようにそのまま工事現場へと送りこまれてしまう。経営者の立場から見れば、たとえセメントに粉々になった人間の肉や血や骨が混ざっていようとも、そのまま使えるのなら売ってしまったほうがいい。そうしなければ、クラッシャーに放り込んだ石がむだになり、損をしてしまう。セメントになった彼は工事現場へ送りこまれ、ダムの壁になった。この薄気味悪さはなんなのだろう?
『セメント樽の中の手紙』は、ホラー小説より怖いプロレタリアート小説だ。現実味がたっぷりあるぶんだけ、よけいに恐ろしい。読んだ後、僕は怖くてしかたなかった。国語の先生はこの作品について講義していたのだけど、わけのわからなくなった僕はただぼんやりと聞いていた。
お金が人間の尊厳を無効にしてしまう。
知性とやさしさを持った人間を人間たらしめる大切なことが抹殺されてしまう。
『セメント樽の中の手紙』が発表されたのは昭和になったばかりの頃だけど、この小説に描かれたことは決して過去のことではない。現代でも、金儲けのために人間の尊厳が傷つけられている。昭和の初めに葉山嘉樹が問題提起したことは、解決されるどころか、ますますひどくなるばかりだ。
現在の世の中の仕組みでは、お金がなければ生きてゆけない。なにをするにもお金が必要だ。しかし、利潤の追求が絶対的に正しいことになれば、それはもう人の世ではなく、鬼の世というほかにないだろう。お金が神様になってしまえば、人間同士が食い合いするよりほかにない。そんな世の中などごめんだ。
いつの日か、『セメント樽の中の手紙』は過去の人類の愚かさを示す遺物と言えるような時代がくればいいのだけど。
『セメント樽の中の手紙』(葉山嘉樹著)は青空文庫で読むことができます。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000031/card228.html
(2011年2月27日発表)
この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第82話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/
中学生の頃、国語の授業の時に教科書に載っていた『セメント樽の中の手紙』を初めて読んだ。あるセメント工場での事故を綴った掌編だ。恐ろしい作品だった。
セメント工場に勤めるある若者が破砕器《クラッシャー》に石を放り込む作業をしていたところ、あやまってクラッシャーのなかへ落ちてしまった。周囲の作業員は急いで彼を引き上げようとしたのだけど、うまく救い出すことができなかった。結局、彼はセメント原料の石もろとも粉々に砕かれてしまい、クラッシャーのなかは若者の血で朱《あけ》に染まってしまった。
このシーンを読んでいて、なによりも不思議だったのは、誰もクラッシャーを止めようとしないことだった。ひどい話だけど、機械を止めてはいけないのだ。機械をとめれば効率が悪くなってしまうから。人間の命よりも、効率のほうが大事だから。たとえ人命を犠牲にしたとしても、機械を動かし続けることが最優先されるべきことなのだ。この残酷さはなんなのだろう?
しかも、人間一人が粉々に砕かれ、血みどろになったセメントは、まるでなにごともなかったかのようにそのまま工事現場へと送りこまれてしまう。経営者の立場から見れば、たとえセメントに粉々になった人間の肉や血や骨が混ざっていようとも、そのまま使えるのなら売ってしまったほうがいい。そうしなければ、クラッシャーに放り込んだ石がむだになり、損をしてしまう。セメントになった彼は工事現場へ送りこまれ、ダムの壁になった。この薄気味悪さはなんなのだろう?
『セメント樽の中の手紙』は、ホラー小説より怖いプロレタリアート小説だ。現実味がたっぷりあるぶんだけ、よけいに恐ろしい。読んだ後、僕は怖くてしかたなかった。国語の先生はこの作品について講義していたのだけど、わけのわからなくなった僕はただぼんやりと聞いていた。
お金が人間の尊厳を無効にしてしまう。
知性とやさしさを持った人間を人間たらしめる大切なことが抹殺されてしまう。
『セメント樽の中の手紙』が発表されたのは昭和になったばかりの頃だけど、この小説に描かれたことは決して過去のことではない。現代でも、金儲けのために人間の尊厳が傷つけられている。昭和の初めに葉山嘉樹が問題提起したことは、解決されるどころか、ますますひどくなるばかりだ。
現在の世の中の仕組みでは、お金がなければ生きてゆけない。なにをするにもお金が必要だ。しかし、利潤の追求が絶対的に正しいことになれば、それはもう人の世ではなく、鬼の世というほかにないだろう。お金が神様になってしまえば、人間同士が食い合いするよりほかにない。そんな世の中などごめんだ。
いつの日か、『セメント樽の中の手紙』は過去の人類の愚かさを示す遺物と言えるような時代がくればいいのだけど。
『セメント樽の中の手紙』(葉山嘉樹著)は青空文庫で読むことができます。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000031/card228.html
(2011年2月27日発表)
この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第82話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/