風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

Character assassination (連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第85話)

2012年03月08日 08時05分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 誰でも、根も葉もない噂を立てられて困ったことがあるだろう。
 人間ほど噂に弱い生き物はない。
 とりわけ、妬みや恨みをかきたてるような噂にはあっけないほど弱い。
 それは、人の心にどうしようもないほどに、後ろめたい欲望が渦巻いているからだろう。たぶん、人の心の奥には、自分はこれほど努力しているのに評価されないという恨みつらみや、自分は苦労しているが他の誰かは楽をして不当な利益を得ているという妬みがわだかまっている。彼の足を引っ張り、自分より上に立たれるのを邪魔したいという暗い願望もあるだろう。恨みつらみを掻き立てられた人間は、得てして自分自身の心に渦巻く悪を検証もせずに、自分が正義だと思いこみやすい。実際のところは、後ろめたい欲望にただ操られているだけなのに。
 ある人物に狙いを定めてあらぬ噂をまき散らし、その人物を社会的に抹殺してしまうことを、英語では"character assassination(人物破壊)"と呼ぶそうだ。"assassination"には、暗殺、名誉の毀損という訳語があるけど、この場合はまさに「暗殺」がぴったりくる。
 敵を葬りたいと思えば、この人物破壊が手軽で便利だ。それが事実であろうとなかろうと、悪い噂はあっという間に広まってしまう。
 劇場版『フランダースの犬』を例に挙げるとわかりやすいかもしれない。
 少年ネロは風車に放火したと決めつけられ、村八分にされてしまう。しかも、誰にも相手にされなくなるどころか、パトラッシュが牽く荷車でミルクを運ぶ仕事も奪われてしまい、生計すらも立てられなくなったネロは、最後には自殺同様に死んでしまう。彼を死に追いやったのは、少女アロアの父ばかりではない。積極的であれ、消極的であれ、村人たちも加担していた。無実の放火罪を背負わされたネロは死ぬよりほかに道がなかった。『フランダースの犬』が日本で流行ったのは、人物破壊がまかり通る世間の愚かさや怖さがよく描かれているからなのかもしれない。
 今の日本の政治の世界では、小沢一郎議員に対する人物破壊が行なわれている。「政治とカネ」をめぐる虚偽のキャンペーンによって、評価は貶められ、しかもでっちあげの罪で起訴までされてしまった。彼に限らず、"character assassination(人物破壊)"によって政治家が失脚することは歴史を紐解けばいくらでもある。
 人物破壊をしかける側には、必ず欲望や野心が働いている。
 ネロを追いつめたアロアの父は、自分の娘がネロと仲良くなるのを好まず二人を疎遠にさせたかった。小沢議員を社会的に抹殺したい人々は築き上げた特権を守り、既得権の甘い蜜を吸い続けようとしている。自分自身の利益に過敏な人間は、自分自身に対する噂にも敏感だから、どんな噂を流せば人々がどう反応するかも心得ている。人物破壊をしかける輩は煮ても焼いても食えない。
 とはいえ、どういう形であれ、人物破壊の片棒を担いだ後で、後味の悪い思いをしたり、損をするのは自分自身だ。消極的であれ、積極的であれ、そんなことには加担したくない。迂闊な噂にのって、大切な友人や知人を傷つけたりするのはごめんだ。自分の首を絞めることに手を貸すのもごめんだ。
 巧妙にしかけられた人物破壊を見抜く智恵を持ちたい。後ろめたい欲望を掻き立てられるような噂を耳にしても、冷静でいられる平常心を持ちたい。もちろん、たっぷり自戒をこめて。




(2011年3月11日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第85話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/


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