好きだから小説を書いている。
いわゆる、下手の横好きというやつで、いっこうに上達しない。進歩しないなと自分でも思う。
小説で世界を変えられるはずもないけど、小説を書いていれば自分だけは変わらずにいられる。僕にとって、小説を書くという行為は、大切なことを確認するための作業なのかもしれない。
世の中が嫌な方向へ流れていっても、自分だけは流されずにすむ。つらいことがあっても、信念だけは曲げずにいられる。こんなことをしていては、うまく世渡りできないのは当たり前なのだけど、それでいいと思っている。つまるところ、覚悟の問題だ。
もちろん、僕はかなり不完全で不器用な人間だから、まだまだ足りないところだらけだ。人間もできていない。だから、できるだけ進歩しなくてはと思っているし、自分なりに努力もしているつもりだ。
ただ怖いのは、よかれと思って努力したつもりが、逆にマイナスの方向へ働きはしないかということだ。「よいこと」をしたつもりが、反対に「悪いこと」のためにがんばっていた、なんことが往々にしてあるものだから。
人間という生き物は悟りでも開かなければ、悪から逃れられないものだと思う。
欲望がある限り、悪いことをしてしまう。自分の欲望をある程度満たさなくては生きていかれないから。世の中の大きな仕組みのなかで身動きが取れず、不本意とはいえ、すまないことをしなくてはいけないこともある。世の中の仕組みにある程度順応しなくては、生きていかれないから。すべての人にいい顔をするわけにもいかない。
それは重々承知のうえなのだけど、自分だけは変わらずにいたいと思ってしまう。ままならない自分だけど、変わってはいけないことを変えてはいけないと思うから。
小説を書きながら、こんなことをふと思った。
(2012年1月29日発表)
この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第154話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/