行きつけの日本居酒屋に飼い猫がいる。
店のなかをちょろちょろ歩いては、客のテーブルの下で餌を貰うのを待ったり、気が向くと客の膝のうえに乗って甘えたりする。
居酒屋で猫を飼うなんて日本では言語道断だけど、ここは中国。しかもなにかにつけてゆるい広東だ。大目に見よう。
この猫――名前は知らない――は昔はまるまると太っていて艶のある毛並みをしていた。気の強そうな、プライドの高そうな瞳をしていた。
ところが、ある時、この猫は犬に嚙まれてしまった。それもひどい嚙まれようで、首の後ろのあたりに牙の痕が残るほどだった。
それから、猫は変わってしまった。
つやつやとしていた毛並みはごっそりと剥げ落ち、挑むような目つきも、どんよりと濁ってしまった。目の下にはいつも病んだ目やにをつけるようになった。
きっと犬に嚙まれたことがトラウマになってしまって、憂鬱な気分で過ごしているのだろう。見るも憐れな変わりようだ。運が悪かったんだよな。
今夜飲みに行った時、やはり餌をくれと近づいてきたから、秋刀魚の一夜干しの骨をあげた。猫は背中を丸めてぽりぽりかじる。はげちょろぴんになって痩せこけてしまった体から哀愁がただよっていた。
「嫌なことは忘れろ。酒でも飲むか」
一緒に飲みに行っていた知人が猫に話しかける。彼は小鉢に梅酒を入れて猫に勧めたのだけど、猫は匂いを嗅いだままで梅酒をなめようとしない。
そこで、秋刀魚の骨を入れた小鉢に梅酒を浸した。
再び猫に勧めると、最初はとまどっていたものの、秋刀魚の匂いの誘惑に勝てなかったのか、猫は秋刀魚の骨をぺろりと平らげ、梅酒もぜんぶなめてしまった。
それからしばらくして猫が生きいきとし始めた。なにより、瞳が輝いている。
僕の膝においでと誘っても、
「にゃぁぁー―」
とわめいて反抗し、店のなかを元気よく闊歩する。昔の威勢のよかったころの姿に戻った。
たまには、酒で憂さを晴らす日があってもいいよな。
生きていりゃ、いろいろあるよな。
(2012年12月11日発表)
この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第216話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/