「中国語にはストレスという言葉がないんですよ」
中国人のW君が言った。
言われてみれば確かにそうだなと思った。
中国語にはプレッシャーという言葉はある。「圧力(ヤーリー)」だ。中国人はよく「圧力好大 (プレッシャーきついよ)」などと愚痴をこぼしたりする。だけど、「プレッシャー」と「ストレス」は似ているようだけど、やはり違う言葉だ。「プレッシャー」は外からかかる力であり、「ストレス」は負荷がかかってゆがんだ心の状態だ。
「ストレス」という言葉があれば、「ストレス」という概念を認識できるが、逆にそれがなければ、当然「ストレス」という概念もない。
日本語には「ストレス」という言葉があるので、日本人はストレスがたまっているなと自覚できる。自覚できるということは、それを分析して対処することができるということだ。「ストレス」のもとになっているものから少し距離を置いてみたり、気晴らしをして心にたまったストレスを解消したりする。
「中国語には「ストレス」に当たる言葉がないから、中国人は自分はストレスがたまっているだなんて認識できないんですよ」
W君は言う。彼は日本語が上手だ。日本で何年か生活していた経験もあるから日本と中国の違いもわかるし、ストレスという概念も認識できる。もちろん、中国語に「ストレス」という言葉がないからといって、中国人がストレスを抱えこまないのかといえばそうではない。中国人だってストレスはたまる。ただ、それを自覚できないのだ。
「自分がストレスを抱え込んでいることがわからないものだから、ストレスを解消しなくちゃいけないということもわからないんですよ。心の疲れやむしゃくしゃした気持ちをどう処理すればいいのかわからないんです。それで、酒を飲んで喧嘩したりだとかへんな暴れ方をするんですよね。小さなグループを作って、グループ同士で決闘したりだとか。その点、日本人はストレス解消がうまいですよね」
ストレスをストレスとして認識できるかどうかは、自我の在り方と関わりがある。ストレスひとつをとってみても、日本人と中国人の自我の形はずいぶん違うのだとW君の話を聞きながらあらためて感じた。
(2014年3月13日発表)
この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第290話として投稿しました。
『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/