メコン河のレストラン
「ツヨシが支えてくれたおかげですこしずつはよくなってきたんだけど、それでも元気のない日が続いたわ」
リリィは話を続けた。
「悪夢の光景を胸のなかで反芻(はんすう)しながらまだぼんやりしているような感じだった。なにもかもが悪い夢だったらどんなにいいだろうって思った。ぱっと目覚めて、誰かがみんなただの夢なんだよって言ってくれたらどんなにいいだろうって。わたしはまだ現実を受け容れることができないでいたの。頭ではわかるのよ。でも、どうすれば納得できるのかわからなかった。
そんなある日、見るに見かねたツヨシがたまには気晴らしでもどうってメコン河へ連れて行ってくれたの。メコン河ってほんとに広いのよね。水がゆったり流れているし、向こう岸が遠くに見えるの。わたしは海を見たことがなかったから、海なのって本気でツヨシに聞いて笑われちゃったわ。
小舟をチャーターしてメコン河をいっしょにクルーズしたわ。ちょうど雨季が終わったばかりの時期だったから、岸や中洲が沈んで水のなかからいっぱい木が伸びていて、魔法の国にいるみたいで面白かった。メコン河から見る青空ってとっても広いのよ。なんにもさえぎるものがないから空に終わりがないの。気分がすっとしたわ。ツヨシはいっぱい写真を撮ってた。
お昼前、広い河を滑るように走っていた小舟が中州の桟橋にすっと横付けした。きれいなレストランがあって、磨き上げた板張りのテラスに白い布をかけたテーブルがならんでいるの。わたしたちは見晴らしのいい席について、ツヨシが白ワインを頼んでくれた。メコン河の川面がきらきら光って、河を行き交うジャンク船の帆がゆらゆら揺らめいて見えたわ。ワインで乾杯するのははじめてだったからうきうきしちゃった。
白身魚のフライを平らげて、デザートにドラゴンフルーツを食べたわ。魚のフライはなかがふわっと揚がっていて、口当たりがさくさくしておいしかった。ドラゴンフルーツはちょうどいい具合に熟れてた。まっさらな空に白い雲が浮かんで、太陽が隠れたり顔をのぞかしたりしていたわ。食後のコーヒーを飲みながらわたしたちはたわいもないおしゃべりを続けたんだけど、ツヨシがわたしを笑わせてくれるから楽しかった。雲が流れて、まぶしい光がさっとわたしを照らした。そのとき、それまでツヨシがわたしに語ってくれた言葉が頭のなかでひとつながりになったの。
ツヨシはしっかり見ることが大切だっていつも強調していたわ。相手がなんであっても対象から目をそらさずにじっと見つめ続けることがだいじなんだって。そうして対象を見つめているうちに、その対象の本質はなんだろうって考えはじめるようになって、すこしずつその対象のことがわかるようになるんだって。現実を受け容れるためには、まず対象を見つめることが大切なのよね。でも、わたしは現実を受け容れなくっちゃいけないって思いながらも、その対象を見つめることを避けていたわ。家族や村のことを考えたとたん苦しくなって、苦しみにのみこまれて、なにもかも放り投げたい気分になって現実から逃げていた。
それじゃいけないってわたしは思ったわ。あのつらさは戦場を経験した人しかわからないかもしれない。だけど、つらいことだからこそ、きちんと克服しなくちゃいけないのよ。そうしなかったら、ツヨシのいうようにわたしの人生を損ねてしまうことになるわ。わたしが悲しみの海におぼれたまま暮したら、わたしを産んでくれたおかあさんにも、育ててくれた家族にも、わたしを支えてくれたツヨシにも申し訳ないわ。
悲しみを乗り越えるには、まずわたしの目に映るものをしっかり見ること。事実を事実としてとらえること。そうして、きちんと見つめてその対象の本質を探っているうちに、なにかがわかるようになるかもしれない。いまはまだわけがわからないままでいるけど、そのうちわたし自身の身になにが起きたのか、その意味が理解できるかもしれない。わかるようになりたい。わたしはそう思ったわ。
それで、ふっとひらめいたの。ツヨシの助手にしてもらおうって。ツヨシにくっついてカメラを勉強すれば、自然といろんな対象を見つめることになるでしょう。そうすればいろんなことが理解できるようになるわ。それに、ツヨシみたいにしっかりした技術を身につけて自由に生きてみたかった。
カメラマンになりたいからわたしを助手にしてってせがんだら、ツヨシは目を丸くしたわ。ツヨシは自分は助手を抱えるほどのカメラマンじゃないし、あんまり儲からないし、危ない仕事だからってとまどったわ。でも、一生懸命お願いしたら、最後にはそれでわたしが元気になるならっていって受け容れてくれた。やさしいのよね。わたしはうれしくっておおはしゃぎしてしまったわ。グラスにワインを注いで一気に飲み干しちゃった。あのときのメコンの川風はとてもこころよかった。
次の日からさっそくカメラの基礎を教えてもらって、撮影についていった。邪魔なものを脇へよけたり、反射板を持って人の顔を照らしたり、露出計で測光したり、撮り終わったフィルムやプリントを整理したり、とにかくツヨシが撮影に専念できるようにがんばって雑用をこなしたわ。
はじめのうちは米軍キャンプとかサイゴンの街中へ行くことが多かったわ。ツヨシはときどき戦場へ出かけたけど、絶対に連れて行ってくれなかった。わたしがいっしょに行ったのは、避暑地の高原や郊外の村といった比較的安全なところばかりよ。ツヨシはベトナム語が上手だったけど、いなかの人はなまりが強くて聞き取れないから、そんな時はわたしが通訳してあげたりしたの。わたしがいっしょにいて便利だったと思う。彼の役に立ててわたしはうれしかったわ。
ツヨシがいちばん楽しそうだったのは浜辺の漁村へ行ったときかな。ベトナムの伝統的な漁船はお椀みたいに丸い形をしていて、それが浜辺からすこしはなれた海にずらりとならんで漁をしているのよ。舟が波にぷかぷか揺れてかわいらしい感じよ。ツヨシはとても面白がっていたわ。なんていう名前だったかしら、日本のおとぎ話……」
「一寸法師」僕は言った。
「そんな名前だったわね。ツヨシは『ファンタジーだと思っていた舟がベトナムには現実にあるんだ。日本もベトナムもルーツは同じかもしれないね』って感激していた」
「僕もベトナムの海へ行ってその舟を見てみたいな」
「行こうと思えばいつでも行けるわよ」
「そうだね。もうすこし大きくなったら行かせてもらえるかな」
「その漁村はビーチの近くにあったわ。ベトナムのビーチは白い砂浜でとっても美しいのよ。海もほんとに青い色をしていてきれいだし。新鮮なエビをゆでて作った生春巻きは最高だったわ」
「生春巻きかあ。ときどき父さんが食べさせてくれたっけ」
僕は父さんの作った生春巻きを思い出した。子供の頃、僕は生春巻きが大好きでむしゃむしゃ食べたものだった。
「わたしが作り方を教えてあげたのよ」
「そうだったんだ。――それで、リリィは対象を見つめて現実を受け容れられるようになったの?」
「ほんのすこしずつだけどね。ツヨシは身近なもので手頃な題材をひとつ選んでそれを撮り続けなさいって言ったわ。それでわたしは花を選んだの。どこにでも咲いているし、きれいだから。わたしは街角に咲く花を取り続けた。そうしているうちになんとなくわかってきたの。咲く花も花。しおれる花も花。枯れる花も花。村で暮していたわたしもわたし。サイゴンで暮すわたしもわたし。さびしいと思うわたしもわたし。楽しいと思うわたしもわたし――。
ふと、漁村の漁師さんのことを思い出してうらやましくなっちゃった。あの漁村の人たちは自分たちの伝統通りに生きている。幼い頃から教えられたとおりにしていいんだもの、そのほうが暮らしもうまくいくし、こころが落ち着くわよね。でも、村がなくなってしまったわたしはサイゴンで暮している。悲しいことだけど、事実としてみれば、それもわたしなのよ。それがわたしなのよ。生まれてこなければよかったなんて思ったこともあったけど、現実は現実なんだって身にしみるようになって、そんな気持ちはうすらいでいったわ。なぜ生まれてきて、なぜ生きているのか、その意味はまだわからないままだけどね。
そうだ、ベトコンが作った秘密のトンネル基地へいっしょに行ったことがあるんだけど、その話をしてもいい?」
「聞きたいな」
「わたしがツヨシのアシスタントになって一年くらい経った頃、ようやく戦場へも連れて行ってもらえるようになったの」
リリィは懐かしそうに遠い目をした。
(つづく)