広東省のあるお寺へ行った時のこと。
のどかな山のなかにあり、大きな寺だった。観光名所にもなっているらしく、境内のなかは観光客がぞろぞろ歩いている。
休憩所の片隅に寺紹介のパンフレットが置いてあったのでぱらぱらとめくってみた。
そのお寺の沿革のほかに、お釈迦さまを拝むとこんなにいいことがあると漫画の挿絵付きでいろんな現世利益が書いてある。そのなかに、お釈迦さまに帰依すれば、来世はお役人に生まれ変わって大儲けできるというのがあった。その挿絵には机の前に坐って札束の山を嬉しそうに眺めている禿げ頭のおじさんの姿が描かれている。
僕は目が点になった。
これを仏教と呼んでいいのだろうか?
家内安全、安産、病気平癒ならまだ理解できるし、誰もが願うものだけど、お役人になって賄賂をがっぽりもらってお金持ちになれるというのはいかがなものだろう。すべての欲望を捨て去って解脱するのが仏教の最終目標だとすれば、生まれ変わったら協力な権力を握って、その権力を金銭に変えて大金持ちになるというのは、いかにも執着心が強すぎる。悟りを得るのとは方向性が真逆だ。
そんなあまりにも俗物根性を丸出しにした祈願をされても、お釈迦さまは微苦笑するだけのような気がするけど。
(2017年3月1日発表)
この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第394話として投稿しました。
『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/