1月18日(水曜日)
第2収監区を出ると左右に延びる一本道がある。この道は見上げるほど高い第1刑務所の外塀に沿っている。右へ進むと右側に女性専用の第1収監区があり、外塀に沿ったその先に第1刑務所センター・ゲートがある。左へ行くと直ぐ第3収監区のゲート、開かずのゲートだ。明らかに他の監房と異なる。高く強固な鉄格子の扉と静かで人の気配がない中庭、右側に1棟の監房があるが人の声はない、24時間施錠の懲戒房だ。その前を通り過ぎると塀に囲まれた1棟だけの小さな第4収監区がある。その監房の塀が途切れた所から左へ入るとゲートがあり、これが今回ぼくらが新しく収容された第5収監区である。ゲートは開いたままで収監者の出入りが多い。
通路の左側に刑務官詰所、その右先の建物がライブラリーだ。この建物の先に水場がある。水場を出ると目の前にグラウンドが広がっている、幅25m、長さ50mはあるだろう。グランドに入った手前側、幅25mのちょうど真中辺りに巨木がありこの木は2段の円形台座によって囲まれている。下段は直径5mぐらいはあるだろう、その台座の一部に祠がありヒンズー教の神が奉られていた。収監者にとってこの場所は生活の中心になっていた。食事の大鍋はこの台座に置かれ各房の担当者に配給された。台座に上がるときは皆サンダルを脱ぐ、ここは誰もが暗黙に認めた一種の聖地であった。
グラウンドの左側に建っているのは第4収監区の後ろ塀である。手前に水場があるがここは井戸だけだ。塀に沿った奥にもう1ヶ所水場があるがこことライブラリー横の水場だけに水道が配管されていた。飲み水はこの2ヶ所から給水される。給水時間は朝8時と夕方5時からの各1時間だ。この時間、バケツや水瓶の長い列が出来る、持ち主不在の水瓶は勝手に列から外され、そして何時もの口論となる。この水場の奥がトイレだ。建家はTを右に倒したような形をしていた。大便用トイレは10個、2個分が小便用になっていた。トイレの奥と第3収監区の塀の間が塵捨て場だ。
グラウンドの右側が収監者の監房である。トイレの前辺りからA、B、Cの順でバラックが一列に並んでいる。A、Bバラックには各5房がありCバラックのみ10房だった。各バラックはそれぞれ独立した建物で高い塀で囲われ出入りはバラック中央のゲートからしか出来ないようになっていた。Aバラックには既決の長期刑者と模範囚が入った。Bバラックは殆ど同じ旧Bバラックの部屋割りとメンバーでスライドしていた。Cバラックは旧AとCの混成を主体として、Bバラックを出た者で部屋割りとメンバーが構成された。