1994年10月24日、ぼくが逮捕された事を彼は新聞記事で知っていた。2日後の26日、第1刑務所の仮監房にぼくを引き取りに来ていたリーダーのトビキから一人の日本人が監房で自殺を計ったがインド人に発見され未遂に終った。スタッフ中毒の禁断が激しく第4刑務所、アシアナへ緊急移送されたという話しを彼は聞いていた筈だ。アシアナでぼくが自殺でもしない限り第1刑務所、第2収監区に来る事は確実だ。その事を前提にしてフィリップスは自分の釈放の計画を作った。彼は自分の釈放とぼくのそれをほぼ同時期にしようと考えていた。彼がリリースされぼくが保釈されるまでの間は1ヶ月以内であった。リリースされた彼はいつまでもぼくを刑務所内に置いて他のアフリカンに金を吸い取らせる必要はないと考えた。ぼくをリリースさせフィリップスの目が届く範囲内にぼくを置いておけばスタッフ中毒者のぼくからいつでも必要なお金は引き出せると。
今のぼくにとってそんな推論はどうでも良かった。もしそれが事実だとしても彼を責める気持ちなどぼくにはない。フィリップスはぼくにとって信頼できる売人である。ぼくがデリーに残りスタッフを吸い続ける限り彼との取引きは継続する。