両国フォークロアセンターは、吉祥寺「ぐわらん堂」と並び、ライブハウスの先駆的存在といわれ、オープンは渋谷アピアと同じく1970年。
特に、日本のフォークミュージックの歴史にとっては、最重要地点でもあるこの場所の、ライブスペースとしての歴史を、2008年12月23日、岡大介さんが締めくくりました。
残念ながら自分は用事があったので、ライブ本編には間に合わず、2次会から参加させていただきました。
この場所に名前を連ねたミュージシャンは、それこそ数知れず。
だけども、僕個人にとってはそれ以上に重要な場所。
僕が音楽を始めるきっかけとなったバンド「たま」のメンバーが出会った場所なのです。
当時「フォークロア・フート」という、誰でも出られるイベント、(今で言うオープンマイクイベント)が月に2回行われていて、そこでの常連だったとのことです。
特別に、ライブ終了後の「その場所」を、オーナーの国崎さんに見せていただきました。
この場所にも、あの匂い。
何年も寝かせたお酒のような、まろやかな音楽の匂い。
壁面や、天井には当時の出演者リストや、ライブポスターや、文献などなど。
役目を終えたことで、より醸し出されるその空気。
「センター」と、名前はついていても、実際には、もと蕎麦屋の2Fの8畳ほどの小部屋。
この小部屋で、若かりしころの高田渡さんや、友部正人さんや、あがたさんや、福島さんが…、そして、知久さんや、石川さんや、柳原さんが。
2次会の席(1F)で、僕も一曲歌わせていただきました。
人の命は尽きるとも、音楽の「いのち」は絶え間なく続いていくものと信じます。
ちなみに、人が集まってしまうと困る、ということで、写真の公開はNG。
今後は静かに、資料館として活用していくとのことです。
両国フォークロアセンター、お疲れ様でした。
ちなみに、岡さんは「またここで歌わせてもらうよ」って言ってました(笑)。
どんなに機材がよくても、結局空間にとって大切なのは、「ハコ」そのもののつくり、であることを強く感じます。
もしかしたら、「歌」についても同じことが言えるのかもしれませんが。
古いものには、新しい知恵が詰まっているということですね。
曼荼羅でたすくさんがやっているオープンマイクが、そのような。。ものになっていくと良いですね。