畑作業のことを「農耕」というくらいで、農作業の基本はまず耕すこと。
その耕すことをしないのが不耕起栽培法です。
「もし耕さなくても良いのなら、とっくに誰も耕さなくなっているはずだ。」
ごもっとも。
でも実際には、少なくとも家庭菜園でやる分には「耕さなくて良い」ばかりか「耕さない方が良い」のです。
そんな楽々不耕起栽培法を水口文夫さんの『家庭菜園の不耕機栽培』(農文協)を参考にしながら、解説していってみようと思います。
<つらい耕うん作業>
畑をやっていてとにかく一番大変なのが、最低でも春夏年二回の耕うん作業です。
僕も父の畑の手伝いでやりましたが、まず前作の残さの片づけに始まり、土を掘り返し、堆肥や鶏糞、米ぬかなどの肥料を施し、今度はその重い土を何度も何度もかきまぜてウネを立てます。
足腰のにはまだまだ余裕のある、働き盛り(?)の僕でもクタクタになります。
これが父の小規模な家庭菜園のさらにごく一部分だったからよいものの、それなりの広さを有する商用農家さんだったり、おじいちゃんおばあちゃんだったりしたのなら、耕うん機なしの農作業など考えられないことでしょう。
さて、このつらい耕うん作業をしなくても、するのと同じかそれ以上の収量をあげられるなんていう、そんな都合のいい話が不耕起栽培法です。
<自然界の植物はすべて不耕起だ>
ではそもそも、耕す目的とは何でしょう。
土をやわらかくして根張りをよくするため?土に酸素を送るため?肥料を鋤きこむため?
いろいろと諸説はありますが、では自然の草木が、耕さずとも肥料をやらずとも毎年立派に育つのはなぜなのでしょうか?
<根が耕し、根が土をつくる>
実際踏んで確かめてみるとわかるのですが、耕した畑の土と、人の手の加わっていない草むらや山の中の土とを比べると、実は柔らかいのは後者なのです。
正確に言うと、人工的に耕した土は、耕した直後から雨が降るたびにだんだん固くなっていきます。なので、耕すときにもみ殻などを一緒に鋤きこんでフカフカを保とうとしたりするのですが、そんな手間をかけずとも草ぼうぼうの自然のままの土や枯葉の積み重なった林の土などは一年中雨が降ろうが日照りになろうがフカフカのままです。
それはなぜかと言うと、実は土の中で植物の根やミミズや微生物たちが一年中耕してくれているからなのです。
どんな植物でも地表の茎葉と地下部の量は同じだと言われています。
つまり地表にたくさんの植物が生えていれば地中にもその同じだけの量の根がぎっしりだということ、そうして土いっぱいに網の目状に深く張り巡らされた根は地表の植物が枯れて朽ちて堆肥(肥料分)として土に還るとき、同じように土の中で朽ちて肥料分として土に還ります。
だから自然界ではわざわざ土に肥料を鋤きこむ必要などないのです。
さらに網の目状に張り巡らされた根が朽ちると、その根のあった部分が空洞化して、土がスポンジ状になります。
だからわざわざ掘り起こして土に急激に酸素を送り込まずとも、スカスカの空洞を使ってちょうどいい案配に土にも空気が送り込まれることになるのです。
さらにそうして人が手を加えないことによって、土中の大小あらゆる生き物にとっても土が快適になり、たくさんの生物が棲みつき、命のエネルギーに満ちてくるようになります。
そして、微生物たちの活動も活発になり、畑の土として理想とされる団粒構造が発達します。
(※団粒構造:保水性、排水性、通気性、保肥力を兼ね備えた植物の育成に理想的な土の状態。微生物が有機物を分解する時に作られる糊状のものが土を小さな団粒状にする。)
と、ここに書いたことはあくまで一例であり、書き出せばきりがなく他にもいろんな効果が秘められているものと思われます。自然界の機能はいつでも無限大なのです。
さて、このように人間が耕すよりも、自然界に耕してもらう方が圧倒的に深く、上質に、完璧に仕上がるということがご理解いただけたかと思います。
つまり不耕起栽培法とは、耕さない農法ではなく、自然界に耕してもらう農法のことなのです。
<不耕起栽培のポイント・メリット>
今まで話してきたように、不耕起栽培のポイントは土中の根をうまく利用することにあります。
なのでとにかく地表には雑草でも野菜でもなんでも生やしておいた方が良いのです。
地表が丸出しになっている状態はなるべく避けたいです。
もし邪魔になったり、周りの畑の迷惑になるような雑草があったら根を土の中に残し、地表スレスレのところで刈り取りましょう。
土を動かすのは畝を作りかえるときくらいですので、刈り取った草や野菜の残さはそのまま畑に撒いておき、形のあるうちはマルチとして活用し、やがて朽ちると天然の肥料分となります。
そもそも土とは、このようにしてできるのです。
参考ブログ記事『雑草マルチ大作戦』http://blog.goo.ne.jp/nora_tasuku/e/45bad82032fc2a3b110cefb24d2516bb
だから不耕起栽培なら、わざわざ堆肥を作る場所を確保したり、何度もかき混ぜるような手間も要りません。
枯れ草や野菜の残さは、土の上に置いておくだけで、朽ちたものから自然と土に還っていきます。
不耕起の畑なら、畑そのものが堆肥づくりの場所なのです。
そして、耕す必要がないので、収穫して空いた所にどんどん次の作物を植え付けていくことが可能になります。
不耕起の畑は「とる・まく・植える」の三拍子で、家庭菜園にはうってつけ!
おじいちゃん、おばあちゃんにも誰にでも楽々なのです。
<苗で植える場合のポイント>
苗は若い状態の、根張りが元気な状態のほうがいいようです。
根がポットの中で伸びきってぎゅうぎゅうになっている状態では、不耕起の畑だと根張りが難しく野菜へのストレスにもなってしまいます。
<ウネ立ての必要性>
不耕起と言ってもまったく土を動かさないわけではなく、必要に応じてウネ立てもします。
僕はその効果のほどは未確認ですが、水口さんの本では、乾燥を好んだり嫌ったりする野菜によってウネの高さを変えてあげることが重要だと書いてあります。
僕個人的にはウネを立てる必要性ってどのくらいあるのかな~と疑っていますが、今のところ野菜のためというよりは、人間のために立てています。
ウネが立っている方が、虫とりや草むしりなどの作業がしやすく、また、通路があることで自分以外の人が畑に来ても足の踏み場が分かりやすくなりますし、なにしろ自然農の畑は、見た目にはただの草むらのようなものですので、ウネでも立てて「ここでちゃんと畑やってますよー」という周りの人への意思表示というのが一番大きいような気がします。
<人類と野菜と耕うん>
実は、人類が作付けのたびに全面的に畑を耕すようになったのは、農業の機械化が進んだ最近のことらしく、それまではウネの使い回しなどの不耕起栽培が当たり前で、「必要に応じて部分的に耕す」くらいのものだったようです。
そもそも、なんで人類はこんなにも耕すようになったのか。
それはおそらく、近代化という西洋一神教的な一連の風潮、「人間は自然界の支配者」という考え方のもと、農業の機械化、商業化が進んだことによるものと思います。
どうやら、人類が耕すことを選んだのは、野菜を自分たちの支配下に置いて、コントロールしようとしたかったからのようです。
耕すことで、土のしくみを壊して、自然との繋がりを切り離し、仮死状態にします。
そうして、土としての役割をひとしきり失ったところに肥料を入れて、自然に作ってもらうのではなく、人間の手で野菜を作りたかった。土と野菜を人間の所有物にしたかったのかもしれません。
哀れにも、知恵の実を食べて楽園を追放されてしまった人類はそのようにして、しなくてもよい労働を神様から与えられてしまったわけです。
次回:なぜ無肥料無農薬で野菜が育つのか?「無肥料栽培法」の解説へと続く…
最近、面白いHP見つけました。
http://tamekiyo.com/
朝鮮半島のあれもそろそろあれですし、言いたいこと遠慮してる場合じゃないですからねっ!