昭和35年12月14日、鹿児島県出水市に膝までの積雪があった日に、私は実家で誕生しました。
松元家に生まれた跡継ぎ息子、祖父の鶴の一声でこの世に生まれることができたのです。
祖父祖母、親戚一同の喜びはひとかたならぬものがあったそうです。
生まれたての頃の話ですが、私はビービー泣いていたそうです。
どうしてこんなに泣くんだろうと、皆が心配していたところに、お産婆さんが診察に来てくださって、こげん薄着にしとったら寒かっじゃっが、と家族を叱り、直ぐに暖かくしてくれたらちゃんと泣き止んで、すやすや寝だしたそうです。
これには裏話があり、実は祖父が男の子、出水兵児は丈夫に育てにゃいかん、と言って薄着にしていたとか。
それで、大雪が積もるくらい寒かった為に、赤ん坊の私はビービー泣いていたのでした。
それをお産婆さんに叱られ、厳格な祖父は少し小さくなっていたとか、おかしいですね。
そうして、私は田舎ですくすくと育ちました。
ハイカラだった祖父は、写真に凝っていて、赤ん坊の私の写真を沢山撮ってくれたそうです。
ハイハイしだした私を撮影しようとカメラを構えると、赤ん坊の私はカメラが珍しくて近寄ってしまう、そうすると祖父はこりゃいかんこりゃいかんと言って後ろに下がる、そしたら私は又近付く、又祖父は下がるの繰り返しで、回りの笑いを誘っったそうです。
とにかく私は赤ん坊の時からヤンチャで、動き回っていたそうです。
実家には猫が数匹飼われており、良く遊んでじゃれていたそうで、そんな時に大きな事故が起きました。
私はいつものように猫とじゃれていて遊んでいて、母、祖母は機嫌良さそうに遊んでいるな、と目を離してしまった隙に、急にワーと火の付いたような泣き声がして、母と祖母は何事かと飛んで来たら、私が土間に落ちていて、傍にあったらしい鍋がひっくり返って私にかかってしまっていたそうです。
どうやら猫とじゃれ合っていて、お座りの体勢で鍋に引っかかりそれごと土間に落ちて、熱湯を浴びてしまったようでした。
これは大変だ、と母と祖母は慌てて産着を脱がせようとしたら、背中一面が産着にくっ付いて、剥がれてしまいそうで大事になりそうな状態で、皆真っ青になっていまいました。
直ぐに脱がすことは諦めて、そのまま井戸水で冷して、ゆっくりと皮膚が剥がれないように産着を脱がせたそうです。
そして、祖母が火傷に効くという芋を一所懸命に擦ってくれて、軟膏みたいにして治療してくれたそうです。
火傷していたのは背中一面で、芋を擦ったのを交換するときとか痛がって泣いたそうです。
その頃、実家には母の従兄弟の中学生のお兄ちゃんが出入りしていました。
私はそのお兄ちゃんにとても良く懐いていて、そのお兄ちゃんが扱うと機嫌良かったそうです。
そのお兄ちゃんが事件が起きた後、火傷に良く効くと言う温泉に連れていってくれる、と言ってくれて殆ど毎日のように連れていってくれたそうです。
赤ん坊を背中に背負って、自転車で片道1時間近く係る山道で山奥にある秘湯に一所懸命に通ってくれたのです。
この温泉は、今は亡きさる大物俳優さんのお気に入りの秘湯で、ちょくちょく訪れていたそうです。
この温泉の湯温は凄く温いのです。
凄く薬効が高い温泉として知られていて、私は大火傷を治す為にそこに毎日のように連れて行って貰ったのです。
私は不思議にそのお兄ちゃんに懐いていて、着替えさせられるのとか、色々と世話されるのを嫌がらず受けていたそうです。
そのお陰で、火傷は綺麗に治り、今では何事もなかったかのようになっています。
名残は方の前の方にほんの少しだけ、指先程度のケロイドが残っている位です。
余りにヤンチャで動き回った為の事故で、下手をすると背中のかなりの面積にケロイドが残ったかも知れません。
それでも、幸いなことに祖母の手作りの芋を擦った軟膏、秘湯の温泉に連れて行って下さったお兄ちゃんのお陰で綺麗に治ったのです。
運が良かった、と本当に思います。
運が悪ければ、大きなケロイドが残るだけではなく、命を落としていたかも知れません。
ヤンチャな私は赤ん坊の頃からヤンチャで、親に心配ばかり掛けさせていた、色々な事故にあって、不思議と助かって来たのです。
両親、祖父母が信心深く、ご先祖様を大切にして来たから、大切な一粒種の男の子は守られて来たのだろう、と私は信じています。
歩き出す前からヤンチャだった私の、自分では記憶の欠片もない、母祖母から聞かされてきた昔話です。
次回は、歩き出した頃のエピソードをします。
松元家に生まれた跡継ぎ息子、祖父の鶴の一声でこの世に生まれることができたのです。
祖父祖母、親戚一同の喜びはひとかたならぬものがあったそうです。
生まれたての頃の話ですが、私はビービー泣いていたそうです。
どうしてこんなに泣くんだろうと、皆が心配していたところに、お産婆さんが診察に来てくださって、こげん薄着にしとったら寒かっじゃっが、と家族を叱り、直ぐに暖かくしてくれたらちゃんと泣き止んで、すやすや寝だしたそうです。
これには裏話があり、実は祖父が男の子、出水兵児は丈夫に育てにゃいかん、と言って薄着にしていたとか。
それで、大雪が積もるくらい寒かった為に、赤ん坊の私はビービー泣いていたのでした。
それをお産婆さんに叱られ、厳格な祖父は少し小さくなっていたとか、おかしいですね。
そうして、私は田舎ですくすくと育ちました。
ハイカラだった祖父は、写真に凝っていて、赤ん坊の私の写真を沢山撮ってくれたそうです。
ハイハイしだした私を撮影しようとカメラを構えると、赤ん坊の私はカメラが珍しくて近寄ってしまう、そうすると祖父はこりゃいかんこりゃいかんと言って後ろに下がる、そしたら私は又近付く、又祖父は下がるの繰り返しで、回りの笑いを誘っったそうです。
とにかく私は赤ん坊の時からヤンチャで、動き回っていたそうです。
実家には猫が数匹飼われており、良く遊んでじゃれていたそうで、そんな時に大きな事故が起きました。
私はいつものように猫とじゃれていて遊んでいて、母、祖母は機嫌良さそうに遊んでいるな、と目を離してしまった隙に、急にワーと火の付いたような泣き声がして、母と祖母は何事かと飛んで来たら、私が土間に落ちていて、傍にあったらしい鍋がひっくり返って私にかかってしまっていたそうです。
どうやら猫とじゃれ合っていて、お座りの体勢で鍋に引っかかりそれごと土間に落ちて、熱湯を浴びてしまったようでした。
これは大変だ、と母と祖母は慌てて産着を脱がせようとしたら、背中一面が産着にくっ付いて、剥がれてしまいそうで大事になりそうな状態で、皆真っ青になっていまいました。
直ぐに脱がすことは諦めて、そのまま井戸水で冷して、ゆっくりと皮膚が剥がれないように産着を脱がせたそうです。
そして、祖母が火傷に効くという芋を一所懸命に擦ってくれて、軟膏みたいにして治療してくれたそうです。
火傷していたのは背中一面で、芋を擦ったのを交換するときとか痛がって泣いたそうです。
その頃、実家には母の従兄弟の中学生のお兄ちゃんが出入りしていました。
私はそのお兄ちゃんにとても良く懐いていて、そのお兄ちゃんが扱うと機嫌良かったそうです。
そのお兄ちゃんが事件が起きた後、火傷に良く効くと言う温泉に連れていってくれる、と言ってくれて殆ど毎日のように連れていってくれたそうです。
赤ん坊を背中に背負って、自転車で片道1時間近く係る山道で山奥にある秘湯に一所懸命に通ってくれたのです。
この温泉は、今は亡きさる大物俳優さんのお気に入りの秘湯で、ちょくちょく訪れていたそうです。
この温泉の湯温は凄く温いのです。
凄く薬効が高い温泉として知られていて、私は大火傷を治す為にそこに毎日のように連れて行って貰ったのです。
私は不思議にそのお兄ちゃんに懐いていて、着替えさせられるのとか、色々と世話されるのを嫌がらず受けていたそうです。
そのお陰で、火傷は綺麗に治り、今では何事もなかったかのようになっています。
名残は方の前の方にほんの少しだけ、指先程度のケロイドが残っている位です。
余りにヤンチャで動き回った為の事故で、下手をすると背中のかなりの面積にケロイドが残ったかも知れません。
それでも、幸いなことに祖母の手作りの芋を擦った軟膏、秘湯の温泉に連れて行って下さったお兄ちゃんのお陰で綺麗に治ったのです。
運が良かった、と本当に思います。
運が悪ければ、大きなケロイドが残るだけではなく、命を落としていたかも知れません。
ヤンチャな私は赤ん坊の頃からヤンチャで、親に心配ばかり掛けさせていた、色々な事故にあって、不思議と助かって来たのです。
両親、祖父母が信心深く、ご先祖様を大切にして来たから、大切な一粒種の男の子は守られて来たのだろう、と私は信じています。
歩き出す前からヤンチャだった私の、自分では記憶の欠片もない、母祖母から聞かされてきた昔話です。
次回は、歩き出した頃のエピソードをします。