ハイハイしかできない、まだ歩けない頃からヤンチャで動き回って、土間で鍋ごとひっくり返って熱湯を浴び、背中一面火傷してしまったお話を前回致しました。
温泉の国鹿児島であった為に、良く効く温泉に親戚のお兄ちゃんに連れて行ってもらって全快し、殆ど痕跡はありません。
ヤンチャな坊主として伸び伸びと育てられ、天真爛漫に育った私は、そのまま出水の地で大きくなって行きました。
1歳になる前から、ヨチヨチと歩き始め、直ぐにトコトコ駆け出す位だったそうです。
その頃、母は第二子を妊娠し、9月に無事やはり実家で妹を産みました。
私は当然、まだ赤ちゃん状態で、オムツも取れておらず、トコトコ動き回り、周りは危なっかしいな、と見ていたそうです。
私は赤ちゃんが我が家に新しく来たのを自覚していたらしく、自分も赤ちゃんなのに一丁前に生まれたばかりの妹の傍に行って、赤ちゃん赤ちゃんとあやしていたそうです。
そして、案の定すやすや寝ている妹の顔の上に、ドシンと尻餅をついてしまったそうで母と祖母は大慌てしたそうです。
ところが、妹は大物で、兄の尻餅攻撃をまともに受けても全く動じず寝続けていたとかで、それが笑いを誘ったそうです。
物心付く前から妹がいた為なのか、私は幼いなりにお兄ちゃん意識が高く、妹の面倒をなにくれとなく見ていたそうです。
そうして火傷の怪我も癒え、私のヤンチャぶりも磨きがかかって行きました。
松元の祖父は、菊を育てるのを楽しみにしていて花壇で大事に大事に育てていたそうです。
実家の隣には、やはり親戚の9ヶ月年上のお姉さんがいて、私は良く一緒に遊んでおままごと遊びをしていました。
ある日、祖父が仕事から帰宅したら、その大事な菊の花が全部ハサミで首根っこから切り取られてしまっていたのです。
祖父は血相を変え、誰だー!、こんな悪戯したのは、下の坊主達か!と隣のお姉さんの兄達の仕業ではないかと怒ったのです。
すぐさま、母と祖母が駆け付けて来て、まあまあ、こいや教貢ちゃんたいがおままごと遊びで切ったんじゃが、と祖母が発すると、とたんに祖父はしょんぼりとして声が出なかったと言います。
あれだけ大事にしていた菊を切られても、漸く授かった男の子の孫で跡継ぎ坊主の私には祖父は叱れなかったそうです。
ヤンチャで無邪気な坊主だった、と言うのと、祖父が如何に私を可愛がっていたか、と言う今でも親戚が集まると語られるエピソードです。
自然に溢れ、広い庭があり、竹林に囲まれ、猫や犬などの動物も沢山いて、そんな中私は伸び伸びと育って行きました。
そこまで孫を可愛がってくれた祖父ですが、不思議と相撲とかプロレス、ボクシング等が好きで、それが高じてハイカラだった祖父はいち早くテレビジョンを購入してしまい、良く見ていました。
その当時の事ですから、力道山とかを夢中になって見ていたのでしょう。
で、その当時はアニメとかも出始めて来た時代でした。
当然孫の私はそう言う番組が見たくて見たくて堪らなかったそうですが、祖父は頑としてチャンネルだけは譲らなかったそうです。
この話も面白可笑しく語られる祖父と私のエピソードです。
昭和の古き良き時代、懐かしいお話です。
温泉の国鹿児島であった為に、良く効く温泉に親戚のお兄ちゃんに連れて行ってもらって全快し、殆ど痕跡はありません。
ヤンチャな坊主として伸び伸びと育てられ、天真爛漫に育った私は、そのまま出水の地で大きくなって行きました。
1歳になる前から、ヨチヨチと歩き始め、直ぐにトコトコ駆け出す位だったそうです。
その頃、母は第二子を妊娠し、9月に無事やはり実家で妹を産みました。
私は当然、まだ赤ちゃん状態で、オムツも取れておらず、トコトコ動き回り、周りは危なっかしいな、と見ていたそうです。
私は赤ちゃんが我が家に新しく来たのを自覚していたらしく、自分も赤ちゃんなのに一丁前に生まれたばかりの妹の傍に行って、赤ちゃん赤ちゃんとあやしていたそうです。
そして、案の定すやすや寝ている妹の顔の上に、ドシンと尻餅をついてしまったそうで母と祖母は大慌てしたそうです。
ところが、妹は大物で、兄の尻餅攻撃をまともに受けても全く動じず寝続けていたとかで、それが笑いを誘ったそうです。
物心付く前から妹がいた為なのか、私は幼いなりにお兄ちゃん意識が高く、妹の面倒をなにくれとなく見ていたそうです。
そうして火傷の怪我も癒え、私のヤンチャぶりも磨きがかかって行きました。
松元の祖父は、菊を育てるのを楽しみにしていて花壇で大事に大事に育てていたそうです。
実家の隣には、やはり親戚の9ヶ月年上のお姉さんがいて、私は良く一緒に遊んでおままごと遊びをしていました。
ある日、祖父が仕事から帰宅したら、その大事な菊の花が全部ハサミで首根っこから切り取られてしまっていたのです。
祖父は血相を変え、誰だー!、こんな悪戯したのは、下の坊主達か!と隣のお姉さんの兄達の仕業ではないかと怒ったのです。
すぐさま、母と祖母が駆け付けて来て、まあまあ、こいや教貢ちゃんたいがおままごと遊びで切ったんじゃが、と祖母が発すると、とたんに祖父はしょんぼりとして声が出なかったと言います。
あれだけ大事にしていた菊を切られても、漸く授かった男の子の孫で跡継ぎ坊主の私には祖父は叱れなかったそうです。
ヤンチャで無邪気な坊主だった、と言うのと、祖父が如何に私を可愛がっていたか、と言う今でも親戚が集まると語られるエピソードです。
自然に溢れ、広い庭があり、竹林に囲まれ、猫や犬などの動物も沢山いて、そんな中私は伸び伸びと育って行きました。
そこまで孫を可愛がってくれた祖父ですが、不思議と相撲とかプロレス、ボクシング等が好きで、それが高じてハイカラだった祖父はいち早くテレビジョンを購入してしまい、良く見ていました。
その当時の事ですから、力道山とかを夢中になって見ていたのでしょう。
で、その当時はアニメとかも出始めて来た時代でした。
当然孫の私はそう言う番組が見たくて見たくて堪らなかったそうですが、祖父は頑としてチャンネルだけは譲らなかったそうです。
この話も面白可笑しく語られる祖父と私のエピソードです。
昭和の古き良き時代、懐かしいお話です。