相当に久しぶりになりますが、ヤンチャな頃のお話を又書きます。
出水市で生まれ、その後、まず私は蕨市に引っ越しました。
父と、父の姉に当る伯母、父方の祖母が暮らしていたからです。
そこには同い年の従兄弟がいて、とても仲良く毎日毎日遊んでいたそうです。
時は月光仮面、隠密剣士が流行っていた頃。
外国モノではスーパーマンが流行っていました。
勿論、悪戯ヤンチャ坊主の私と従兄弟は悪戯盛りで母と伯母、祖母を困らせてばかりいたそうです。
そうして、楽しく蕨で過ごしていて、幼稚園に従兄弟と一緒に上がりました。
いまでのその時の幼稚園の先生は、ノリ君は可愛くてヤンチャで先生方の人気者でしたね、懐かしいなー、と言われているそうです。
新宿には伯父が酒屋九州屋と言うのをやっていて、配達時に私を連れて回ると息子と間違えられ可愛がられていたそうで、愛嬌も良く、仕事上でもお役に立っていたそうです。
伯父の所は酒屋と言いながら、子供用のお菓子とかも沢山置いていて、お兄ちゃんだった私は、ボクの妹の、ボクの妹のと言ってお菓子をお土産に貰って帰っていたそうです。
その姿が可愛かった、と伯父と義伯母のご夫婦から聞かされました。
ノリツグは商売が上手だ、伯父さん所の子供にならないか、なんてニコニコ誘われたりしました。
お愛想の良い私は、伯父の仕事に付いて回った時、お客さんの受けがとても良かったそうで、ご注文も良かったからだそうです。
従兄弟達の中でも私は特に愛嬌が良く、大人の受けが良かったのでした。
この頃は、私にとっては安全、安心で過ごせた時期で、特に大きな出来事もなく楽しく、毎日ヤンチャに過ごしました。
まだ、日本の国全体が貧しく、道路も舗装なんてされておらず、路地裏、原っぱで泥んこになって遊んでいたのです。
しかし、父が実は結核に掛かっていることが判明して、家族全体で空気の良い所、静岡の伊東の国立病院へ療養がてら転勤と言う形で引越しをすることになったのです。
昭和30年代の終わり頃、結核と言う病気も漸く怖い病気ではなくなりつつあった時代でしたので、父は今も尚元気で臨床医をしています。
ほんの少し前でしたら、結核は日本人全体を苦しめていた、死を予感させる病気でした。
戦後になってストレプトマイシンと言う決定的な抗生物質が広まるに連れ、助かるように成ったのです。
病気のせいだったのか、戦後のせいだったのか、父は若い頃はとにかく痩せていて引き締まった体をしていました。
でも整形外科医でしたので、腕力、筋肉はあり、幼心にかなり格好良かったのを覚えています。
まあ、今は見る影もないですが。
静岡編、自然満ち溢れて楽しいヤンチャな頃に話は続きます。
因みに、東京オリンピックが昭和39年開催され、その熱狂、は良く覚えています。
幼子心に見たマラソン金メダリスト・アベベビキラの姿、ヒタヒタと真摯に修行僧のように走る姿、高貴ささえ感じさせる外見の美しさ、他を全く寄せ付けない決定的な強さは強く焼き付いています。
今でも私はアベベビキラこそ史上最高最強のマラソンランナーだったと信じています。
初めてのローマオリンピックで、全く無名、マークされていなかったアベベが裸足で勝って、あっと言う間に裸足の金メダリスト、として有名に成った話は余りにも有名です。
しかし、その直後のインタビューで、涼しげな顔でもう1回走ってこようか、と言った位他を圧倒して強かったのです。
普通それ位強いと嫌味に聞こえてしまう話でも、アベベだと整った静謐さを感じさせる高僧の雰囲気で語られると凄いなー、と聞こえてしまうのです。
それだけ強かったアベベですから、今の時代に生まれていても、必ず世界1のマラソンランナーに成ったに違いない、と私は信じています。
昭和39年の東京オリンピックでもアベベは他を圧倒して強く、日本の円谷選手も頑張って喰い付き国立競技場では2位で入って健闘しましたが、最期のトラック勝負でイギリスのヒートリーに抜かれ3位になりました。
大歓声のせいで円谷にはヒートリーの迫る足音が聞こえなかった、と言います。
義理義理のところで抜かれ、残念ながら抜き返す力はなかったそうです。
しかし、最期の最後までアベベに迫り良いレースをした円谷を、後々までアベベは唯一のライバルと認めていた、と言う話もあるそうです。
その後の悲しい結末は、日本全体を悲しませ、アベベ自身も落胆したそうで、アベベも最期は気の毒な人生を締め括りました。
何故、この話を書いているのかと言うと、サッカー元全日本の松田選手が急逝されたからです。
トップアスリートは、健康そうに見えていても心身に思わぬ疾病を抱えていて、急逝されたり、短い人生を締め括る方もいます。
残念で仕方がないです。
神様の采配は本当に予測が出来ません。
何が起きるのか分らない人生。
今この瞬間も悔いのないよう生きよう、幼い頃のように全力で生きよう、と思う私でした。
松田選手のご冥福を祈り、今日のブログを終わります。
合掌