何度かブログに書いておりますが、我が家の菩提寺、天長山実照寺は土石流のために倒壊しました。
ブログを見ていただいている皆様方へ、お願いを申し上げます。
檀家が50軒余りしかない天長山実照寺ですが、加藤清正公が肥後の国を治めた時に、
佐敷に城を建て、城代が渋谷重次のちの加藤重次となり、県南の境を守る為に葦北を治めました。
当時の葦北は北は現在の八代南インター付近、東は球磨川、西は不知火海南は鹿児島県出水までが葦北郡でした。
加藤清正が肥後の国を治める前は、相良藩によって治められていたそうです。
その加藤重次公が、加藤清正公がお亡くなりになられた際に、加藤清正公を弔うために建てられたのが、天長山実照寺です。
元々、葦北は浄土真宗の檀家さんが多く、もちろんお寺もですが、日蓮宗のお寺は佐敷には1山のみで、檀家も減って50軒余りとなりました。
15~6年程は、ご住職もいらっしゃらず、法事、月のお参り、葬式などの時には熊本の本妙寺のご住職や、執事長の方がお経をあげにいらっしゃってました。
私は小学4年生の時に、お寺の子供に混じって本妙寺で行われた僧風林(そうふうりん)という日蓮宗の沙弥(僧侶としてまだ一人前になっていない子供の事を「しゃみ」と呼びます)が、お寺に1週間籠って、僧侶としての基本を徹底的に叩き込まれる、言わばお子様向けの虎の穴(?!)のような養成機関に行きました。
夏休み、商売柄どこへも行けない私は内容も知らず、キャンプ気分で楽しみに行きました。
行くとそこには九州中の日蓮宗のお寺の子供たちが小学2年生くらいから中学3年生まで十数人来ていました。
同じ小学4年生でも3回目の人もいたりします。
そんな子供たちは、すでに顔見知りで、もちろんみんなお寺の子供たちです。
今だから言えるのですが、私は旅館の子供ですので、たまたまその年は僧風林が熊本の本妙寺であったので、紛れ込まされたみたいでした。
毎年開催されるお寺は、県ごとの持ち回りみたいでした。
子供と言えども、そこは宗門僧侶の養成機関の根幹をなす道場です。
みんな、朝の5時半から夜9時までみっちり1週間先生方と寝食を共にしながら仏道修行(朝のお勤めから、お経や習字等々9に只菅精進しました。
1週間をやり抜くと、一応のお勤めのお経は読めるようになっていました。
2回生、3回生は違うお経を勉強していました。
帰って来た年から、お盆などは本妙寺のお上人様や執事長の方々と一緒に檀家周りをして、一緒にお経をあげて回りました。
私の祖母が亡くなった際にも、私が枕経をあげました。
そんなお寺に熊本市中央区横手にあります正立寺(しょうりゅうじ)の三男でいらっしゃる塩田義道上人が、天長山実照寺に来ていただきました。
その際に、総代も全部替わられ、私の父が総代になりました。
塩田義道上人は、天長山実照寺に入られてから、世界三大荒行の1つと言われている日蓮宗百日行に3度行かれ、
天長山実照寺に大黒様を授かり、毎日檀家ひいては世界中の人のためと、毎日お経をあげていらっしゃいます。
もちろん、本堂が無くなった今現在もです。
そんなお寺ですので、私が現在総代をさせていただき、お寺の再建をお手伝い、お応援せねばならないのです。
もちろん、私の家も、野坂屋旅館も被災しました。
それでもお寺の再建が私の2つ目の人生の宿題になったわけです。
Facebookでも支援を訴えました。
ご支援を訴えるためには、まず自分からですので、もちろん私が一番にお寺へさせていただいております。
お寺の2匹の犬は保健所に保護されていた2匹の兄弟犬です。
猫も熊本地震の時に被災して飼えなくなった猫を2匹引き取られて、飼われていらっしゃいます。
7月12日朝に、たまたまお寺に行くとお寺の浅い溝で猪の子供が傷つきふらついているのを、私が見つけました。
お上人に意向を伺うと、「かわいそうだから、保護しよう。」と言われたので、お上人と挟み撃ちにして捕まえて保護しました。
猫も犬も興味津々で近付いて吠えたり、様子を伺ったりしていました。
残念ながら、頭に傷があったので、4日後に死んだそうですが、お経をあげて埋葬されたそうです。
保護しなければ、車に弾かれたかもしれないし、一番幸せな死に方だったのではないでしょうか。
そんなお寺の再建に、このブログを見ていただいていらっしゃる皆様にもお力をいただきたくお願い申し上げます!
宜しければご支援ください!
肥後銀行 佐敷支店(263)
普通口座 1192091
宗教法人 実照寺(ジッショウジ) 代表 塩田義道(シオタギドウ)
どうぞ宜しくお願い申し上げます。
救出された仏様達。
その後日蓮上人も救出されたそうですが、鬼子母神様は出来なかったそうです。
最後になりますが、皆様方のご支援をどうぞ宜しくお願い申し上げます。