2021年3月のクライストチ
ャーチ・ウエストコースト旅
行2日目も夕方になりました
が、まだまだ陽の長い時期。
クルマでやって来たのはマヒ
ナプア湖。湖の名はマオリ語
で『夜明けか夕暮れの仄かな
灯りに咲く花』という女性の
名前なのだそうで、マオリの
言い伝えが色濃く残る場所。
17世紀までのウエストコース
トは主にカティワイラキ部族
が支配していましたが、希少
なジェイドを求めて東海岸か
らカイタフ部族が攻め入り、
戦闘が繰り広げられました。
この湖ではカイタフのいかだ
が沈められ、多数の犠牲者が
出たそうです。最終的にカイ
タフはカティワイラキを破り
この地とジェイドを手中に収
めましたが、戦闘が続いた湖
は神聖な場所となりました。
大きな桟橋が目を引きます。
1864年の金鉱発見以降20世
紀初頭まで、ここは水上ハイ
ウェイの一部でした。ホキテ
ィカから金鉱のあるロスへと
一攫千金を夢見る男たちが世
界中から押し寄せたのです。
蒸気船まで運行していました。
ロスは今やクルマで20分です
が、当時は海岸線の道がなく
湖まで行き、船で南下するの
が手っ取り早かったのです
活気というより殺気漲るよう
な光景に見えます(笑)1867年
にホキティカで建造された2
艘の蒸気船は、かなりの部品
を難破船から回収したそう。
難破の名所の地産地消
桟橋周辺はシャンハイベイと
呼ばれ、大勢のゴールドディ
ガーたちがどこから来ていた
のかが判るような地名です
(※ハワイにヨコハマベイがあ
るのと同じ発想なのでは)
湖を南北に縦断する手段だっ
た船は旅客だけでなく、周辺
の木材の運び出しにも使われ
観光の目玉にもなりました。
当時使われていた船の模型
1905年に鉄道が延長されたこ
とで湖の渡し船は役目を終え
今や解禁時にハンティングが
できるほど人のいない場所に
(※キャンプはできます)
17世紀にマオリが定めた神聖
な場所に戻ったような静かさ
1905年創業マヒナプアホテル
この日は日曜日。日本と違い
日曜日は休業する飲食店が多
いので、小さな街では選択肢
はないに等しくタイ料理に🥢
コラス・タイ料理
同様の夕食難民が押しかけて
店内には注文する人の行列が
テーブルがあっただけでも
ラッキーだったのかも
ウエストコースト初日の夜は
まさかのアジア飯(笑)