2021年3月のクライストチ
ャーチ・ウエストコースト旅
行3日目のブルナー炭鉱跡。
史跡はグレー川の両岸に広が
り、目立つ対岸の高い煙突。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/38/9ebe359d4f9d7c67d2282df4614c783f.jpg)
近づくと緑に埋もれているよ
ようで高さが目立たないほど
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/74/bc1764e42160bbddbda202cb24fcce66.jpg)
ここはタインサイド炭鉱跡。
煙突がなければただの山肌。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/dd/2c017d7457f68f0db131f62c7b4bdbbd.jpg)
坑道があったブルナー炭鉱と
違い、ここは地表から垂直に
設けた竪坑で坑内へ。1874
年に開坑。76年に鉄道開通。
かつては6基の煙突が稼働し
タインサイド炭鉱の活況を象
徴していました。生産のピー
クは1906~7年でブルナー鉱
山全体の12%を占めました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/da/624368b53aedd2496e5a760a63c5bea0.jpg)
これも耐火れんが製。見事に
緩やかな孤を描いています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/1c/39c597a58bd000e1a6f64b10f8834a50.jpg)
現存する唯一の煙突です。
1864年のブルナー炭鉱の開
坑以降、町の建設は川を挟ん
だ対岸で進み、限られた平地
に住宅、集会場兼学校、ホテ
ル、教会が建ち並びました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/d9/797273ab36c0f2e1dc9c2d517d10707b.jpg)
(※橋の完成の7年前の1870年)
1884年の住宅
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/d6/2db1e54478ddd927cbfbaa97a06966de.jpg)
1877年に町と炭鉱が橋で結
ばれ、1887年には550世帯
2,000人以上が暮らす町に
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/a3/a7507ed2ec4c8e7f414352261a98fff0.jpg)
1890年頃
1870年代はイギリスの炭鉱
労働者にNZ移住が奨励され
ました。イギリスでの閉山に
よる失職、NZ政府による無
償渡航保証、NZの炭鉱会社
の誘致などもあり、彼らはブ
ルナーにも移り住み『南のイ
ギリス人』と呼ばれました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/7f/54f8e01e1f0356e078ea528856d7ad77.jpg)
(※1880年代の移民)
1869~89年のブルナーの出
身国別人口比は88%がイギリ
スとアイルランド出身者で、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/28/1f79d90fe86477d36e5bd2b7e9b3e7ad.jpg)
(※NZ生まれはわずか6%)
出身地も全国に跨りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/24/f7d2ad14a9775663969c89d863f60a59.jpg)
坑内に入るのを待つシフト制
の炭鉱労働者。(※1887年)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/ca/d26e2f7e5c9fba8c138a470a769158c0.jpg)
ハチの巣コークス炉技術も彼
らがもたらしたものでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/ac/993946d15e345f69c62e272e2f76dca5.jpg)
炭鉱の町は金鉱の町と異なり
男社会ではなく家族中心で、
炭鉱労働者に伴い、妻子、両
親、親類縁者が揃って移住し
てきたり、定住後に呼び寄せ
たりすることが普通でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/5d/e93b40ee4570b192e08407bf4aec5b02.jpg)
(※1906年の結婚式の写真)
そこに歴史的惨事が起きます。
1896年3月26日はいつもと変
わらない木曜日でした。しか
し、その日に限り荷役馬が坑
内に入るのを嫌がり震えてい
ました。御者はとうとう馬の
頭にコートを被せて坑内へ。
その1時間20分後、NZ史上最
悪の炭鉱爆発事故が起き、65
人の尊い命が奪われました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/78/67b8687c6dffc7ef0d8f8eb19c15d413.jpg)
この日は『暗黒の木曜日』と
呼ばれ衝撃は現地だけでなく
全国に広がっていきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/d7/5ee930d6702a98d109837ba244fae7ed.jpg)
NZでは今に至ってもこれを
超える労働災害はなく、事故
を機に労働環境の安全性向上
や残された家族への支援が本
格化しましたが、家族の哀し
みと苦しみは決して癒えるこ
とはなかったことでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/7a/902b121b06a4b08e084469e22719e126.jpg)
喪服で埋め尽くされた町
失われた命に合掌
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/01/443c1fda5cd143cad2a1153ab3696751.jpg)
馬も亡くなったはず(涙)
今はただ緑の中で、静かに眠
るようだったブルナー炭鉱跡
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/41/89def5950e53c8fa2d653e60a776b804.jpg)
ダニーデンのタイエリ鉄道で
見た一時は人口5,000人が住
んでいたという、山間の鉱山
ヒンドンを思い出しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/d2/f1cd61f4d6cf493aaf6dd8b7a853c42d.jpg)
20世紀初頭にピークを迎えた
NZの鉱山はどこも似たような
道を歩み歴史の1ページに
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/book.gif)