1ヵ月近く脱線してしまいま
したが、話を続けたいと思い
ます。更新されていなかった
期間もご訪問して下さった方
方に、お詫び申し上げます。
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起点トーキーから40km走っ
てやっと到達した、全長243
kmのグレートオーシャンロ
ードの玄関口、第1次大戦(1
814~18年)戦争記念アーチ
出兵して命を落とした若者を
弔うだけでなく、復員兵の福
利と雇用の確保に世界全長の
戦争記念碑となる海岸道路を
造ろうという発想が、民間か
ら出て実現したという偉業。
歴史のない国の大胆で柔軟な
発想と、それを確実に実現す
る機動力と推進力に1世紀を
経た現在も感銘を覚えます。
(※「前線へ」オーストラリ
ア第1次世界大戦「採掘者」
銃からつるはしに
戦争から道路建設に
男たちは掘り続けました⛏
歴史を紐解くと、ビクトリア
州南岸道路建設計画は1880
年代からあったそうですが、
第1次大戦終戦にかけて初め
て実現の目途が立ったそう。
背後には2人の傑出した主導
者の存在がありました。特に
計画の中心となったのが、1
917~22年まで州第2の都市
ジーロングの市長を務めたハ
ワード・ヒッチコックです。
もう1人は1913~28年まで州
の地方道路局局長を務めたウ
ィリアム・カルダーでした。
ヒッチコックは1918年にグレ
ートオーシャンロード信託会
社を設立して社長に就任し、
民間からの出資と借入で8万
1,000ポンドを集め、自身も
3,000ポンド出資しました。
市長在任中にこういうことが
できてしまうところに時代を
感じますが(笑)完成した道路
は有料化することで出資と借
入を返済し、完済後は州に寄
贈されて州道となりました。
時には暴走機関車のように民
意を率いて前進する原動力が
あった政治家らしい政治家。
ヒッチコックは親しみを込め
て『グレートオーシャンロー
ドの父』(Father of the Road)
と呼ばれているそうです。