続きです。
以前、産婦人科の池川明先生の講演会に行ったとき、先生が
「この世はテーマパークなんですよ~。どのテーマで(家族とか病気とか仕事とか)この人生を学ぶのか、
それだけのことなんですよ~。」
と軽やかにおっしゃってました。
それで私も、「もう病気っていうテーマじゃないのがいいな~」と心の中でずっと思っていたのでしょう。
本当は「凄腕セラピスト」と評されていた有賀さんには、自分の症状を詳しく話すつもりだったのに、
なぜか「病気、もう飽きちゃった」
と言ってしまったのですから・・・。
3回1セットのバイオフォトンアクティベーションのセッションを2セット受けたんですよね。
はっきり言って、私の場合、身体が楽になったということはほとんどなかったのです。
そうではなく、気持ちや行動がなぜかどんどん変わっていきました。
突然一人カラオケで歌いまくったり。
白金台のおしゃれなカフェにほぼノーメイクで一人で入って、美味しいケーキセットを堪能したり。
上手く言えないのですが、私は若い頃からいつも、自分と他の人達の間に膜のような隔たりを感じていて、
みんなと楽しそうにしているその場にいるのに、その中に入れない感覚、いつも薄い膜の外側にいるような感覚、
肉体の私はここにいるのに、心も含めた全体の自分はこの中には入れないという、疎外感のような孤独感のような感覚に
ずっと苦しんでいました。
その場が楽しければ楽しいほど、ステキな場所ならステキな場所ほど、その外側感は強く私を苦しめました。
が、その白金台のお洒落なカフェに一人で入った時、その店で楽しげにケーキセットを食べている他の人達との間の膜を
感じなかったのです。
「自分も他の人と同じに、このお洒落な空間にいるんだ。自分もこんなステキな所にいていいんだ」
初めて感じた「内側感」に、私は深く感動し喜びを感じました。
今、私はこれを書いていて、あらためて、自分から「外側感」がほぼ消滅していることに気づきました。
あれから、外側感に苦しんだ記憶がありません。
というより、そんな感覚があったことすら、これを書くまで忘れていました。
見事なほど自然に消滅していたのです。
心の中ではそんな劇的な変化があっても、舌痛症の痛みや痺れには変化はありませんでした。
でも、「いつか痛みもなくなって治るかも」と期待を持って、辛抱強く続けて通っていたわけ。
すると、5回目のセッションが終わった頃、自分の中に驚くべき変化がおきたのです。
以前、産婦人科の池川明先生の講演会に行ったとき、先生が
「この世はテーマパークなんですよ~。どのテーマで(家族とか病気とか仕事とか)この人生を学ぶのか、
それだけのことなんですよ~。」
と軽やかにおっしゃってました。
それで私も、「もう病気っていうテーマじゃないのがいいな~」と心の中でずっと思っていたのでしょう。
本当は「凄腕セラピスト」と評されていた有賀さんには、自分の症状を詳しく話すつもりだったのに、
なぜか「病気、もう飽きちゃった」
と言ってしまったのですから・・・。
3回1セットのバイオフォトンアクティベーションのセッションを2セット受けたんですよね。
はっきり言って、私の場合、身体が楽になったということはほとんどなかったのです。
そうではなく、気持ちや行動がなぜかどんどん変わっていきました。
突然一人カラオケで歌いまくったり。
白金台のおしゃれなカフェにほぼノーメイクで一人で入って、美味しいケーキセットを堪能したり。
上手く言えないのですが、私は若い頃からいつも、自分と他の人達の間に膜のような隔たりを感じていて、
みんなと楽しそうにしているその場にいるのに、その中に入れない感覚、いつも薄い膜の外側にいるような感覚、
肉体の私はここにいるのに、心も含めた全体の自分はこの中には入れないという、疎外感のような孤独感のような感覚に
ずっと苦しんでいました。
その場が楽しければ楽しいほど、ステキな場所ならステキな場所ほど、その外側感は強く私を苦しめました。
が、その白金台のお洒落なカフェに一人で入った時、その店で楽しげにケーキセットを食べている他の人達との間の膜を
感じなかったのです。
「自分も他の人と同じに、このお洒落な空間にいるんだ。自分もこんなステキな所にいていいんだ」
初めて感じた「内側感」に、私は深く感動し喜びを感じました。
今、私はこれを書いていて、あらためて、自分から「外側感」がほぼ消滅していることに気づきました。
あれから、外側感に苦しんだ記憶がありません。
というより、そんな感覚があったことすら、これを書くまで忘れていました。
見事なほど自然に消滅していたのです。
心の中ではそんな劇的な変化があっても、舌痛症の痛みや痺れには変化はありませんでした。
でも、「いつか痛みもなくなって治るかも」と期待を持って、辛抱強く続けて通っていたわけ。
すると、5回目のセッションが終わった頃、自分の中に驚くべき変化がおきたのです。