アートセラピー「心のお絵かき」の世界

アートセラピストで妻で母で女の、楽しく豊かでゆるい人生後半日記。

パリで感じたこと

2009-11-30 11:35:59 | 日記
日本では、会社も教育も家庭でさえも「いかに効率よく、最大の利益をあげるか」に
価値をおいて、社会がまわっているように感じられます。

が、おととし、知人を訪ねてパリに行ったとき、フランスだってすごい先進国なのに、
しかも、滞在日数はごくわずかだったのに、なにか、全然違う雰囲気を、街全体から感じました。

なんか、空気の流れ方が違うんだよね。

がつがつしてないっていうか。

信号だの地下鉄だの、とにかくそういうもののために焦って走る人、見たことなかったもの。

あの人達は、
「いかに、その日を楽しく、すてきに、チャーミングに過ごせるか」
に、最大の価値を置いているように見えましたわ。

それって、ステキなことよね。

一日、一日の積み重ねが一年になり、一生になるのだから、楽しくて、美しくて
すてきで、チャーミングな日を毎日過ごせたら、そういう一年になり、そういう一生に
することができる、っていうことですもんね。

彼らは、そういうことに対して、決して受動的ではないと思いますよ。

ただ待っていたって、誰かがそんな日にしてくれるわけはない。

例えば、部屋やベランダを花で飾ったり、カフェでおしゃべりしたり、おいしい物を作ったり食べたり、
休日に散歩したりピクニックしたり、そんなふうにして、楽しい時間や空間を作ることに
すごく一生懸命、工夫したり力を使ったりしていると思う。

コンビニも無ければ自動販売機も無い。

地下鉄もバスもエレベーターも、自分でドアを開けなきゃいけないし、座席も自分でシート倒して座らなきゃいけない。

効率や便利と真反対。

でも、あの豊かさ、あの居心地の良さ。

ちょっと考えちゃうわね~。

効率、利益、お得感

2009-11-29 15:39:18 | 心や気持ちのお話
昨日の記事を書いていて、つくづく、私たちは、「効率」とか「利益」とかに価値をおく生活を
知らず知らず送っているなぁ、と思いました。

なんかいつも、せかせかしているもの。
のんびりしているとき感じる罪悪感も、ここから来ている部分、大きいと思う。

家庭雑誌の表紙を見れば、「やりくり」と「時短」のオンパレードです。

家庭における時短とは、料理や家事全般に使う時間を、いかに効率よく短縮するか
ということのようです。

新聞広告にたくさん出ているツアーはどれも、いかに安く、限られた時間と予算内で
いかに多くの場所を回れるか、を競ってますよね。

そういえば先日、平均的ツアーより1万円くらい高くて、出発がゆったり、行程もゆったりの
沖縄ツアーがありまして、ゆっくりペースのワタクシにはぴったりだと思い、夫婦で申し込んだのですが
人数が集まらなくて、中止になってしまいました。

12月の出発日は、全部中止になったそうです。

やっぱり、こういうツアーは、お得感が無いからダメだったのだと思うんですよねー。

「ゆとり」なんて、さかんに言われるけど、言葉だけよね。実際はね。


土着部族の人の言葉

2009-11-28 16:56:24 | アートセラピー
人が、人らしく自分を表現することに関連してですが、ある本によれば

アフリカやオーストラリアなどの土着の部族では、人が、踊り・歌・物語を語る・
心地よい沈黙
の、どれかひとつでも忘れることは、魂の喪失を意味するのだそうです。

私たちフツーの日本人は、歌や踊りや物語を語るということは、プロがやることであり
日常において、自分たちがそういうことをするなんていうことはない、上手じゃないから
恥ずかしい、みたいに思ってませんか?

歌、くらいはあるかもね、カラオケとかね。好きな人はね。

踊りとなると、さらに縁が遠い。
好きだから、健康のために、と習い事として踊る方がほとんどじゃないかしら。

ワタクシの生活には、どちらも無い。

ブログを書く事は、物語を語ることになるのかな??  ん~~??

沈黙。
これだけは、かなりたっぷりあります。

確かに、この「沈黙」により、私はいろいろな心のバランスを保っている気がします。

私が、ぼぉーっとしている時間が多いのは、このせいです。

アメリカナイズされた日本においては、長い間
「いかに効率よく、最大の利益を得るか」
が、あたかも最高の価値のごとく認識され、激しく追求されてきました。

こういう社会において、なんの利益も生まない、歌だの踊りだの物語だのが、
価値のないものとして、生活から切り捨てられていったのは、あたりまえの気がします。

常に忙しく、がむしゃらに何かをしている人々にとって、「心地よい沈黙」を作る時間など
無駄であり、あり得ないことだったでしょう。

なにせ 「24時間タタカエマスカ?」 なんですから。




表現

2009-11-27 17:46:03 | アートセラピー
表現アートと言えば、まず「ムーブメント」。

今までも、何回かは、少しやったことがありますが、
「これイヤだわぁ。苦手。」
という思い出が残っただけだった。

「自分が動きたいように、体を動かしてください。」
という、簡単な教示が与えられ、さまざまな音楽がかけられます。

恥ずかしくないように、部屋は薄暗くなり、隣の人とぶつからないように薄目だけを開けて行います。

が、これが、本当に難しい。

「動きたいように」って言われても、自分がどんな動きをしたいのかが、もうわからない。

しようがないから、とりあえず動いてみるんだけど、それが自分の気持ちとフィットしてるかどうか
全然わからない・・・フィットしてない気がする・・・変・・・難しい・・・

「体」で表現をすると、「思い通りに自由に動く」「思い通りに自由に表現する」
ということから、いかにかけ離れた日常を送っているのか、今更のように確認できます。

だって、「思ったように動けていて、気持ちがいい」という、その感覚が「わからない」のですからね。

つまり、そのくらい、「その感覚を使っていない」ということです。

この感覚を自在に使いこなし、「自分がしたいように動く」ことができ、それに
満足感、幸福感、達成感などを感じることができるのは、だいたい日本人なら、
5歳くらいまでじゃないかと思います。

内側の感覚と、それを表現することが完全に一致している、すばらしい状態です。

さて、アラフィーのワタクシは、半世紀近い時を越え、再びこの状態を取り戻すことができるのか!?

写真は、内側の感覚に耳を傾けるため、散歩をしながら撮影した秋の木々達です。

表現アートセラピー

2009-11-26 15:31:58 | アートセラピー
「表現アートセラピー」と言われている分野があります。

私が普段行っているアートワークでは、コラージュだけとか、パステルアートだけとかですが、
表現アートの場合、複数の表現を使ったワークを行うのが特徴です。

具体的には、ムーブメント(体を動かすこと。ダンスとは、ちと違うのです)、描画、
ライティング(詩や文章を書くこと)などが組み合わさります。

昨夜、恩師の主催する表現アートのクラスに、初めて行ってみました。

夜7時スタートで、場所も東京の目黒だから、しかも月1回で5ヶ月連続講座だから
一瞬ためらったんだけど
「子ども達も大きくなった今なら、行けるだろう。」
と、行って来ました。

ここでの大きな目的のひとつは「自分がそう表現したい、という思いと、実際に行う表現を一致させる」
ことです。

これは、本当にむずかしいことです。

私は、今でも、自分の表現が自分の本心と微妙にずれていることを、たまに感じます。

自分にウソをついているわけではないのだけれど、どこがどうずれているのかもわからないのだけれど
どこかが、微妙に不一致なのです。

しかしながら、敬愛する恩師が、昔はこれと全く同じ状態だったと、昨晩話してくださった時は
非常にほっとしました。

アートセラピストですから、こういう状態を、かなり深刻に真剣に考えざるをえません。

が、恩師は続けて、表現アートを行うことによって、完全に一致することができたのよ、
だから、是非やってごらんなさい、と言われました。

先生は、アメリカの表現アートの研究所で、きちんと学んで来られた方なので、私は
先生からきちんと学べばいいわけです。