アートセラピー「心のお絵かき」の世界

アートセラピストで妻で母で女の、楽しく豊かでゆるい人生後半日記。

もがきまくった人だけが新しい扉を開ける

2019-03-20 16:51:27 | 心や気持ちのお話
私は見たことがありませんが、蝶はさなぎを破って出てくるとき、中で激しくもがくそうです。

それこそもう、苦しんでこのまま死んじゃうんじゃないかと思うくらい、さなぎの中で
激しくバタバタと暴れるのだそうです。

そうしてもがきまくったところで、さなぎのカラが破れて蝶が出てきます。

じきに羽を広げると、数回しわを伸ばすみたいにパタパタやって、めでたく飛んでいきます。

もし、これを見ていて
「まあ、苦しそう!かわいそう!助けてあげなきゃ!」
などと考えて、激しくもがいている最中にさなぎを人為的に破ったらどうなるのでしょうね?

たぶん羽は湿ってクチャクチャのまま、蝶自身も、もがくことによってつくはずの体力筋力もつけることができず、
未完成のままの状態で無理矢理外に出され、羽を広げることもできずに死んでしまうかもしれません。

死んじゃいそうなくらいもがくからこそ、自然界では成長して生き残れる。

私たち人間も自然界の一員ですから、その流れで考えれば、もがきまくることで成長できると
考えることができるかと思います。

もがいている人を見ると、とりわけそれが大切な家族だったりすると、
「苦しそう!かわいそう!助けてあげなきゃ!」
が、ついつい出てきてしまうと思います。

でも、もがいている人は、この先生きるための心の筋力みたいなものをつけている真っ最中かもしれません。

さなぎを破る蝶のように、ここでもがききらないと新しいステージに行って羽ばたくことができない、
重要なプロセスのまっただ中でがんばっているのかもしれません。

助けてあげようサポートしようと、手を出したり口を出したりするのは、もちろん思いやりからでも
ありますが、案外、大切な人が苦しむのを見るのがイヤだ、早く解決して自分も安堵したい、
というエゴも混じっているかもしれません。

私はあまのじゃくだから、ついついそんな風に考えてしまうのです・・・。

それにね、私ももうすぐ還暦で、けっこうもがいたことが多かった人生だから思うのですが、
もがききったまさにその時、それまでとは違う風景というか新しい扉みたいなものが見えるのですよ。

それは、それまでにもずっと私の目の前にあったのかもしれないのだけど、見えてないの。気がつかないのです。

たとえ見えていたとしても、平安に過ごしている時にはなんか怖くて開ける気にならない、
あるいは開ける必要のない扉です。

もしかしたら、その時点でドアノブに力いっぱい手を掛けても開かないかもしれません。

が、もがきまくりもがききった人には、ハッキリとその新しい扉は見えるし、そういうときは
「もうどうにでもなれ!」的なエネルギーに充ち満ちていますから、その勢いで扉は苦も無く開きます。

そして、扉を開けて向こうの世界に一歩一歩入ることにより、今まで知らなかった価値観、世界観を
自らに与えることができ、やがてもがきから解放されていったように思います。

これを、人生の学びというのでしょうね。

せっかくだから悩みましょ。もがいたってイイじゃない。

2019-03-19 17:02:11 | 心や気持ちのお話
ここのところ、コラージュを通じて、迷うとか悩むとかについて考えてきました。

コラージュやコラージュボックスを作るプロセスで、どれをどこに貼ろうかとあれこれ迷ったり
悩んだりするのは、けっこう楽しいものです。

悩みすぎて煮詰まっちゃう人もたまにいますが、それでもなんとかそこをクリアして完成できた時には
悩んだ分、満足感は大きいようです。

なぜそこの部分で悩んだのか、その時どんな風な気分になったのか、悩んだプロセスをじっくり
たどっていくと、たぶん大きな気づきがあるのだと思います。

グループでのワークだと、残念ながら時間の制約があったりして、そこまでいかれないことが多いのですが、
アトリエでじっくり行うときには、そういう気づきという宝物を持ち帰れる人は多いです。

つまりね、何が言いたいのかっていいますとね、世間ではわりに「悩む」とか「迷う」というのは
よくないことで、早く解決した方がいい、サポートした方が良い、みたいな風潮があると感じるのですよ。

私はあまのじゃくだから、単純にそうは思わないの。

せっかく悩んでいるんだから、存分に悩ませてあげたらいいと思う。

(もちろん、悩みの種類にもよります。早急にサポートして解決しなければならない悩みもあるはずですから。)

数年前うちの次男は、せっかく希望を持って就職できた所でひどいイジメにあい、ぼろぼろになって苦しんだあげく
退職しました。

その後、小説家を目指すとか言いまして、夜のスーパーでレジうちのバイトなどしながら、昼間はほとんど部屋に引きこもって
いました。

それが数年続いたんだけど、小説家としての芽も出ないみたいだし、何を考えているのかなぁと案じてはいましたが、
長い人生の中でせっかく悩んでいるわけだから、じっくり悩ませておいてあげようと夫と話し合い、放っておきました。

やがて、数年間閉じこもっていた部屋から出てきた次男は、自ら職業訓練校に通い出し、電気二種だのボイラーだの消防ナントカだのの
資格を次々に取って、現在ビル管理会社に就職することができました。

小説家になる夢は捨てていないようですから、休日には何かしら書いているのかもしれません。

見ていてイライラすることはありましたが、変に手助けするみたいなことをしなくて良かったと思っています。

たぶん次男は、自分で選んだここまでのプロセスについて、満足とはいかないまでも、
自分なりに納得していると思います。

自分を納得させることができる、というのは大事なことだと思うのですよ。

「なんかイイ」とか「なんかイヤ」という感覚

2019-03-17 14:52:25 | アートセラピー
コラージュにしろコラージュボックスにしろ、切り抜いたモチーフをどこに貼るか決める作業は
けっこう大変です。

すごく迷う場合もあるし、一発で「ここ!」と決まることもあります。

モチーフを切っている段階から「これは真ん中に貼ろう」と思うこともあります。

なぜそのモチーフをその場所に貼るのか?

理由は、たぶん理屈ではありません。

そこに貼るのが「なんかイイ」と感じたからです。

そして、他のモチーフを置いたとき「なんかイヤ」と感じたからです。

「なんかいいなー」と感じたものを「なんかいいなー」と感じた場所に貼れる。

あるいは「なんかよくないなー」と感じたら、その場所には貼らない。

なんと、心のまま、素直な行動でしょう。

そんなのあたりまえ、と思いますか?

でも、日常生活の中で、このコラージュのプロセスと全く同じような行動はなかなかとれないのでは
ないでしょうか?

「なんかいいなー、これ欲しい。」と思った時、心のまま素直に買えますか?

私は、まず無理。

値段をまず見ます。次いで、それの置き場所があるかとか、本当に今必要かとか、いろいろ考えます。

考えると言うより、私の場合は買わない理由をあれこれ探している感じ。

ただ単に「いいなー」と思うだけなら簡単なのですが、「いいなー」と思ったものを手に入れるとか
「いいなー」と思った場所に実際出かける、となると、そうしない理由、そうできない理由を
自動的にあれこれ考えてしまう自分がいるのを常に感じてしまう。

逆もまた然りで、「なんかいやだなー」と思っても
「でも、普通こういう場合はこうしなくてはいけないもんだろう」みたいな理屈がいっぱい出てきて
「やらない」という選択、コラージュでいえば「貼らない」という選択をするのはなかなか難しい。

つまり、私の場合、たいがいは何故か本心と裏腹な思考が始まって、本心と行動がねじれてしまったりするのです。

ほとんどの大人は、こんな感じで日々を送っているのではないでしょうか。

コラージュをすると、すごくすっきり感があり、参加者の皆さんも異口同音にそうおっしゃいます。

理由はいくつかあると思いますが、大きな理由の一つが、この「いいなー」と思ったものを「いいなー」
と思った場所に貼り「なんかいやだな」と思った所には貼らない・・・自分の思ったとおりに
素直にストレートに行動でき表現できる、という快感にあるのではないかと思います。

画用紙の上は、ホントに自由で安全ですものね。

なんでも思い通りにできます。

んんー、実生活はけっこう不自由でけっこう危険てことですよねぇ・・・。

だから、ついつい本心とねじれた言動をしてしまうのか・・・。

画用紙の上で、自由に選択し表現することを練習してさ、実生活でも不要な思い込みや思考の絡まりみたいなものを
「なんかいやだ。なんか違う」とスルーし排除して、少しでも楽に生活できるようになれればいいよねぇ。

ママたちのコラージュ・ボックス

2019-03-15 16:45:30 | アートセラピー
先日、地元の子育て広場で「コラージュ・ボックス」のワークをいたしました。

コラージュ・ボックスは、画用紙に貼るコラージュと違い、空き箱に切り抜いたモチーフを
貼っていきます。

箱は立体ですから、上も横も底もあります。

外側だけでなく、蓋を開ければ内側もあり、その内側もさらに、目につきやすい場所と目につきにくい
場所があります。

誰にでもすぐに見える場所に何を貼ろうか?

私しか知らない場所に何を貼ろうか?

何を貼りたいか選んで切る段階、どこに貼るか決める段階、けっこう悩みます。

画用紙のコラージュのように「エイヤー!」という勢いとノリではいかないのが、
コラージュボックスだと思います。

たくさん考え、たくさん悩みます。

その時間がとっても大事。

悩む、と書いてしまいましたが、実際は自分と会話している、自分と相談している時間なんです。

だから、とっても大切な時間なんですね。

ですから、このワークは「自分と相談するワーク」であって、それが表現された形がコラージュボックスなので
「自分と相談する」「自分の気持ちを聞いてみる」時間こそが主人公なので、そちらにたくさん時間をかけた結果
箱が途中までしか仕上がらなかったとしても、全く問題ではありません。

むしろ、箱が完成しなかったということは、「自分自身とじっくり時間を掛けてお話しできた」
ということなので、参加者にとってはとても価値ある時間だったということなのです。

ここが、アートセラピーとクラフト作りの決定的違いなのです。

クラフト作りは完成させることが目的。

アートセラピーでは作っているプロセスが大事。

作りながら自分はどこで迷ったか、それは何故か、どこに何を貼った時に喜び、解放感、爽快感などを感じたか・・・

そのひとつひとつのプロセスこそ、その人の宝物になるのです。

ではでは、箱の上面→内側部分の順に載せていきますね。













どうです?

みんなステキでしょ?