アートセラピー「心のお絵かき」の世界

アートセラピストで妻で母で女の、楽しく豊かでゆるい人生後半日記。

ヨーロッパは今

2015-11-15 13:06:41 | 日記
パリの、同時多発テロ事件をテレビで見て驚愕し、すぐに、パリに住む友人と
ドイツのハンブルグに住む友人にメールをしました。

ハンブルグの友人からは、すぐに返信が来ましたが、息子さんが、つい最近1週間ほど
パリにいたそうで、やはりテレビで知って、びっくりしてました。

最近、ドイツは、移民の問題等で混乱していて、なんか変だなぁ、とみんな感じているんだけど、
なんとなく忙しく、その日その日は変わらず過ぎていっている、と言ってました。

なんか、それって、不気味な感じがする・・・。

ヨーロッパは、中東まで地続きだし、ジブラルタル海峡を挟んで目の前はアフリカ大陸だから、
なにかあれば、ばぁっと広がってしまいそうで恐いよね・・・。

パリの友人からは、まだ返事がなくて、マジ心配

厳しい母子関係の、別の見方

2015-11-14 14:24:22 | 心や気持ちのお話
このブログは、Facebookとリンクして投稿することができるのですが、ここ数日の母娘関係の記事は、
かなり重くて暗くて、Facebook向きではないので、リンクを外して投稿していたのです。

が、先日の「いい加減は・・・」の記事を、うっかりリンクを外すのを忘れて投稿してしまい、
シェアだのコメントだのをいただいて初めて気付き、非常に焦り悔やみ、ひたすら、時間が経って
Facebookの投稿が下に行くのを待っていました・・・。

が、意外にも、共感の投稿やメッセージが多く、閲覧数もぐっと上がりました。

誰かの役に立ったなら、いいか。

自分が厳しい母子関係の後遺症に苦しんでいたとき、ふと思ったことがあります。

この苦しみを乗り越えることで、自分が内的に、強く深く成長することができるとしたら、
その苦しみを与える「憎まれ役」を買って出てくれた母とは、なんとありがたい存在なのだろう、と。

それほどの愛情を持てるのは、母しかいないであろうと。

全然違う角度から見れば、自分は頭を下げて感謝するしかないだろうと。

どう受け止め、どう考えるかは、自分次第なんですよね。

「いい加減」は「良い加減」

2015-11-12 13:27:40 | コラージュ作品
私も息子が2人おります。

で、とにかく、やはり「良い母」でいようと、隙がないきちんとした母を、ひたすら目指し
実行してきたように思います。

でも、それが、逆に息子達を息苦しくさせてきたのかもなぁ、と最近思います。

いつもいつもちゃんとしている母親に何か言われたら・・・じっと見られてる感じがいつもしてたら・・・
気が抜けなくていやだろうなぁ・・・

で、私は、もう息子も28と24だし、夕飯を作らない日を、ときどき作ることにしました。

このコラージュは、そういったいろいろなことが一段落した頃に作ったもの。



中央にある真珠の指輪が「私」です。

自分を真ん中に置いて、大事にしなくては・・・
ダイヤモンドや石に比べて、真珠は、傷つきやすいものなのだから、大事にしなくては・・・

出来上がった作品を見て、そんな風に感じました。

母親絶対視からの解放

2015-11-10 13:09:03 | 心や気持ちのお話
ここまで毎日のように、母について書いてきたのも、病院での母の一言について、ハゲシク
怒ったからなのですが、実は、このひどいワガママな母の発言のおかげで、私は、ひとつの
呪いから、解放されたのですよ。

幼い子にとって、母は絶対。
なので、母の言葉も絶対。

それは、大人になり、分別も独立も手に入れてからもなお、私を縛り続けた呪いでした。

頭では抵抗しても、心と体は支配され続けてしまっていました。

が、あの母の、幼いわがままな発言によって
「なあんだ、この人、ただの弱くてわがままな女じゃないの。」
となり、だいぶ弱まってきていたものの、依然として私を縛っていた呪いが、ぶちり、と切れたのでした。

今はもう、母がなにを言っても心にきりきり刺さることはありません。

「ふ~~ん、なんか言ってるな。」と眺める感じ。

で、刺さりそうな言葉を言ってきたら
「そういうことは言わないの。」
と、きっぱり言えるようになりまして、母は黙ってしまいます。

まあ、だから、いろいろあったけど、全体としては良かったのですね。

だから私はしない

2015-11-09 13:42:00 | 心や気持ちのお話
もう母も80を超えました。

70代まではまだまだ元気で、日常的に私にきつくあたってきましたが、さすがに最近は
弱ってきて、そういうことも少なくなりました。

だから、しようと思えば、日本橋三越で見た母娘のように、母にきつくあたることもできます。

おそらく母は、弱々しい反応しかできないのではないかと思います。

幼い頃受けたような暴言を、そっくりそのまま、幼子のように弱い母に、今こそ
「あのときあなたはこうだったのよ!」
と、ぶつけることもできる。

現に、そうしそうになることもあります。

でも、しない。
わかっていても、しない。

自分の気持ちが揺れるのを感じるけれど、感じながら、冷静に流すことができます。

同じ事をやったって、決して気持ち良くはならないだろう、むしろ後味が悪いだろう、
満足するどころか後悔するだろう、と思うからです。

やったところで、どうなるんだ?という感じです。平たく言えば。

人生、突き詰めなくてもいいことも、あるんじゃないかと思います。

ま、しょうがない、その時はそういうことだったんだってね。

ま、いいや、と、明るく投げ出してしまう。

ただ、これからはもう、母の支配下には入りませんよ、絶対に、ってことで。