アートセラピー「心のお絵かき」の世界

アートセラピストで妻で母で女の、楽しく豊かでゆるい人生後半日記。

見つけちゃった!

2009-09-30 11:00:33 | 心や気持ちのお話
ここまで、「心配」について考え考え書き進めてまいりました。

そして、皆様からのコメントを読み、助けられるうちに、
「おぉ!」っと、あることを見つけることができました。

それは「心配の効用」です。

そう、どんなことにも、こっちからの見方とあっちからの見方がありますよね。

今まで、心配のツライ部分ばかり見てきたので気がつかなかったのですが、
心配、あるいは心配性にも、効用があるぢゃないの、と気がついたのです。

つまぁり、心配する時は、悪い状況、最悪の状況を心の中に想像します。

それで「どうしよう!」と暗くなって取り乱すのではなく
「最悪、そういう可能性もあるかも」
と、ひとまず受け入れる。

だからどう、っていうんじゃなくて、ただ「そういう可能性もある」って思うだけ。

そうすると、ワタクシのような心配性の人間は、とんでもないレベルで心配するので、
最悪の状況なんてものは、まず起こりません。

ささいなレベルの心配すら、実際には起こらないことがほとんどです。

ということは、現実に起こる現象というのは
「なぁんだ」と、ほっとするものばかり。

そしたら
「あー、良かった!ありがたい!!」と感謝して、神様、ご先祖様、周りの皆さんに感謝すればいいわけです。

すると、心配性の人間は、ある意味、四六時中感謝できる状況にある。

おお、これはステキ。

今、今の状況に感謝すると、それこそPOWER OF NOW がおこりまして、次にやってくる未来も
感謝いっぱいの状況を引き寄せる力動がおこります。
これは宇宙の法則らしい。

あら、心配性の人間も、逆手に取れば、人生ステキに生きられそうじゃありませんの、おほほ。

POWER OF NOW

2009-09-28 17:27:55 | 心や気持ちのお話
POWER OF NOW・・・ハワイの知人から聞いた言葉です。

何か、本のタイトルでもあるらしい。

直訳すれば「今の力」

「今」というこの瞬間に、自分の人生を左右する、全ての力がある、という意味です。

これこそ、人生の秘密の鍵みたいなものだって、彼女も、彼女のかかわるチャネラーたちも、
チャネラーのかかわる異次元の存在達も、口をそろえて言っています。
 
私自身も、いろいろなセミナーで、いろいろな言葉で、そのことについては聞いています。

知識として、知っている。
使い方だって知っている。

でも、しっかり身についてないのです。
だから、心配に振り回されてしまう。

POWER OF NOW・・・「今を生きる」とも訳せましょう。

では、その反対は・・・
「今過去に生きる。」と「今未来に生きる。」です。

「今過去に生きる」とは

今、仕事をしながら
「あー、昨日あの人にあんなこと言われた。それというのもずっと前からあの人ったら・・・」
などと、過去の記憶の場面に行ってしまい、そこでの感情を味わい続けたり、
振り回されてしまったりしている状態。

「今未来に生きる」とは

今、仕事をしながら
「あー、帰ったら、これとあれをしなくちゃ。それがすんだら・・・あー、そうそう、~ならいいのに。」
と、後のことに心を奪われている状態。

私は、これ、得意なんですよ、両方とも。

「心配」は、明らかに「今未来」ですね。

いったい、いつになったら、「今」に戻ってこられるんでしょうね。
冷静に書いてみると、ほんと、すごく変。

笑っちゃうね。


心配を減らすためには

2009-09-27 17:36:05 | 心や気持ちのお話
私の場合、根っからの心配性なので、心配を全くのゼロにするのは、ムズカシイと思います。

でも、減るだけでも楽になりそうです。

少しずつ減らしていけたら、それを癖にすることができたら、ずいぶんいいでしょうね。

今まで書いてきて、自分なりにわかったことは。

1 心配には、実体が無い。(物質化、現実化したものではない)

2 心配は、心の中でしか存在できない。

3 心配のスイッチは、どんなに無自覚であっても、本人が押すもので、
  誰かが勝手に押すものではない。

4 心配は「~なったらどうしよう」「~になってしまうかもしれない」というふうに
  今のことではなく、未来のことを言っている。

つまり、今ここにいるのに、それがお留守になっちゃって、肉体はここにいるけど
心だけが未来に行っている状態の時の、その心の中にだけ存在するっていうことよね。

文字にしてもわかるように、これはシンプルではない、複雑な状態よね。

言い換えれば、小さい子や動物にはない状態。

でも、上記1~4をよーく読むと、自分でコントロールできる可能性もありそうじゃないの。

・・・そうそう、「今、現実に無い」ことを自分に言い聞かせてあげること。

肉体を「今」に置いたまま、心だけ未来に飛んでいってしまわないで、「今」のこの肉体に、
ちゃんと入っていて、今目の前におこっていることだけを見ること。

そして「なんだ、何にもおこってないじゃないか。とりあえず、今はこうだ。」
と深呼吸して確認すること。
勝手に負の未来ストーリーを作らないこと。

そういえば、心配したことで、現実化したことって、あんまり無いんだよね。
そのことを思い出すだけでも、いいかもしれません。

とりあえず、この感じで、行ってみようと思います。

「ほら、目の前見なよ。別に何にも無いじゃん。」 
 

心配ってなんだ??

2009-09-26 14:36:39 | 心や気持ちのお話
無いものにおびえる、ということで生まれる「心配」。

私を支配するもののひとつです。

こういう話題になって、良かったなぁ。

なんせ、このブログは、書きながら考え、整理する大事な場になっているのですもの。

私は、決して、わかった上で書いているわけではありません。
書きながら、考え、前に進んでいるんです。
だから、途中で行きつ戻りつしても、許してくださいね。

さて、心配。
これから解放されたら、どんなに人生楽だろー。

ちょっとスイッチが入ると、たちまち入道雲のごとく、すごい勢いで「心配」が
大きくなってしまう。

「家族」「健康・命」のスイッチが一番敏感で、入道雲を大きくさせるようです、私の場合。

つまり、自分にとって、とっても大切なものに反応するのですね。

じゃ、どういう仕組みでスイッチが入るのか。

「~になったらどうしよう。」
「~になってしまうかもしれない。」

と、思った瞬間にスイッチが入ります。

・・・ではないね。
「私が、スイッチを押しています。」ですね。

そう、スイッチを押すのは私なのです。
同じ状況でも、主人のスイッチは押されないことは、よーくあります。

つまり、心配っていうのは、極めて主体的なことなのね。
心配するのも、心配しないのも、本人が決められるのよね。
自動的、強制的ではないってことよね、本来。

ただ、自動的にスイッチが押されてしまう、と錯覚するくらいの早さや的確さがある、
ということで、ここが問題なのでしょう。

ここが、なんとかなれば・・・

ふ~む、少し心配から解放される可能性が、見えてきたみたい・・・。

無いものを怖がる

2009-09-25 11:22:01 | 心や気持ちのお話
昨日、おいしそうなベーコンを見つけたのですよ。

スーパーで真空パックに入って売っているベーコンみたいに、ピンク色で薄ぺらーいのではなく、
いぶした肉の色で、厚切りなの。

奮発してたっぷり買いまして、今朝の朝食にジュージュー焼きました。
うーん、うまい!

すると、食の細い次男も
「おいしい!」
とばくばく食べている。

私の健康観察は、「ちゃんと食べられて寝られれば健康」という、極めて原始的なものです。

退院して、今日で1週間。

次男は健康なのだ!

いろんな心配を山ほどして、おびえ苦しんでいたけど、どの心配も「現実化」しませんでした。

「心配」ってなんだ??

どこにも無いのよね。現実的に。

でも、自分の心の中にあるのです。
山のように。しかも、増殖するのですよ、絶え間なく。じわじわと。私の場合。

それで、その実体のない怪物は、どんどん増殖し成長し、私をへとへとにして
泣くほど苦しめるんだけど、なんせ、実体が無いから、どうしようもできないんですよね。

他の人にも見えないし。

私たちは、3次元物質界に肉体を持って生きている存在だから、基本的に、
物質によってダメージを受けるはずなんだよね。

だから、現実化、物質化してないものには、本当は怖がる必要ないんだよね。
「無い」んだからね。

夫は、なんでもすぐ忘れちゃう人だから、心配事もすぐ忘れちゃって、長続きしないの。

だもんだから、心配っていうのをほとんどしない。
持ってないんだよね、心の中に。

持っていなければ、増殖も成長もしようがない。

そうか、「心配」は、心の中でしか生きられないんだ!

夫の口癖はこう。
「その時、考えりゃいいじゃないか。」

昔は、この言葉を聞くたびにむかつきましたよ。
「もっときちんと考えてよ! ちゃんと備えないと、だからあなたはいいかげんなのよ。
だから私は心配がつきないのよ。」と。

でも今は、夫の口癖の方が正しいのかも、これぞ、人生の極意なのかも、と思い始めてます。