アートセラピー「心のお絵かき」の世界

アートセラピストで妻で母で女の、楽しく豊かでゆるい人生後半日記。

秋が来たのかな

2011-08-30 20:12:17 | 日記
今朝、起きて、いつもの通り洗面台の所に立ちました。

いつもの通り、8月らしいむっとした暑さと陽差し。

なのに、「おややや?」

いつもなら、ぎゃんぎゃんと、朝もはよから威勢良く鳴いている蝉が、全く鳴いていないのです。

そのかわり、りーりーりーという秋の虫の鳴き声が、洗面所の下あたりから、沸き上がるように
いっぱい聞こえてきました。

「お、お、お・・・今日から秋なんですか?」
と、思わず虫さんたちに聞きたい気分。

しかも、梅雨の頃はよく聞こえてたけど、猛暑が始まってからはピタリと聞こえなくなってた
ガマガエル君の「ギッギッギッ」という声まで聞こえてきた。

おぉ!
ガマ君、君、生きてたの!よかったわぁぁ!

実際は、今日の日中は、陽差しは強烈で気温も高く、かなり暑い日でした。
でも、鳴いているのは、圧倒的にツクツクボウシ。

やっぱり秋は来てるんだねー。

半年のアートセラピー

2011-08-29 11:05:24 | アートセラピー
特に女性の場合、日常の家事や雑用は膨大な量です。

男性の場合、たいていは、仕事が終わり仕事場を出れば、自分の時間になるのではないでしょうか。

でも、女性は、そうはいきません。

たとえ仕事が終わっても、家事や育児が続きます。
専業主婦でも、状況は変わりません。

家にいるかぎり、
「じっくり自分と向き合う」だの「ゆったり自分を遊ばせてあげる」だのといった時間や空間を
作り出すのは難しいと思います。

私だってそうです。

絵を描きながら、ふと台所の壁を見て「あれ、汚れてる、拭かなきゃ。」と思い、
次の瞬間「あ、冷凍庫のあれ、冷蔵庫に移さなきゃ。」とか考える。

なかなか集中できるものではありません。

それともうひとつ、日本の女性は真面目で、自分のためだけに時間やお金を使うことに
罪悪感を感じてしまいます。

なので、アートワークをやってリフレッシュできても、いいのはわかっても、続けることを
自分に許してあげないこともあるんじゃないかな。

・・・そんなことをいろいろ考えまして、このたびは、月1回×半年というコースを作ってみました。

半年あれば、もし心に「コリ」みたいなものがあっても、けっこうほぐれるんではないかしら。

「こんなことしていいのかな」が「わーい、楽しい!」に変わり、自分らしい表現をするのをためらう姿勢から
楽しむ姿勢に変わると、それだけで、自分の中に、新しい力強いエネルギーが蘇ってくるのを感じるはずです。

やっぱり、そういうすてきな感覚を、1回のワークだけで固定化するのは難しい。

そういうすてきな感覚が、たくさんの人に蘇るといいな、と思います。


心のお絵かき

2011-08-27 16:18:58 | アートセラピー
アートセラピストとして活動し始めて、早6年。

初めて、市の産業会館の1室を借りて、親子ワークショップを開くことにしたとき、案内チラシのてっぺんに書く
タイトルを考えていまして、ふと思いついたのが
「心のお絵かき」
でした。

以来、自分でも大変気に入り、また、理解・応援してくださる方から
「あなたのしている仕事の内容がとてもよくわかる、すてきなネーミングだと思う。」
と言っていただき、ずーっと使ってきました。

それで、この度のアートセラピーのアトリエの名前も
「心のお絵かき」
にしました。

これからは、ワークショップの場所を借りたり探したりしないでいいので(これがけっこう大変でして)
じっくり、いろいろな方と、アートワークを楽しみたいと思います。

じっくり、と言いましたのは、今まではほとんどが単発のワークショップだったからです。

やってみたい時に、日時や場所があえば参加する。という形でした。

気軽に参加できる、という点では良いのですが、やはり1回きりなので、いろいろ課題も感じていました。

例えば、ワークの時は、うんと楽しめるけど、そこで終わってしまう。

家に帰って、普通の生活に戻っても、その中で、ワークで味わった楽しい感覚を、どうやって活かしていくか。

作品を夢中になって創っている最中や、できた作品を眺めているとき、はっと気づいたことや
ふと感じた感覚を、どうやって自分のものにしていくか。

だいたいが、そういう感覚は、とても大切なものなのですが、時間とともに、雑然とした日常の中に
再び埋没していってしまいます。

淡い感覚ならなおのこと、けっこう強烈な感覚でも、次第にうすれていく可能性はあるのです。

それほど、いろんなことが絶えずわあっと押し寄せて、それを必死でこなさなくてはならない「日常」は
自分が飲み込まれちゃうようなウワバミ的力があるように思います。

アトリエ「心のお絵かき」

2011-08-26 14:31:59 | 日記
結婚27年、海外旅行にもスイート10ダイアモンドにも縁が無く、銀婚式も普通に過ごし、
ひたすら地味~に、夫についてきましたが、この度、夫が私に、小さな部屋をプレゼントしてくれました。

画廊の奥にある6畳の部屋です。

子ども達も夫も、それぞれ、自分の部屋なり自分のスペースなりがありましたが、私にはありませんでした。

でも、私が自由に使ってよい部屋をもらえたんです。

今までは、ワークのプログラムを考えている最中でも、時間が来ると、画材も作品も片づけて
夕飯の支度をしなくちゃならなかったりで、家族が御飯を食べ始めれば、もう続きはできなかったり
でしたが、これからは、大丈夫。
散らかし放題(!?)

嬉しい!
おとうさん、ありがとう!

アートセラピーのアトリエにしました。

ここで、みんなでアートワークを楽しむことができるようになりました。

アトリエの名前は「心のお絵かき」。


ふと考えたこと

2011-08-25 14:35:29 | 美術・芸術
夕べ、主人が見ていた美術番組を、なんとなくちらちら見ながら、ふと、思いました。

うちは、美術品を扱っている商売だから、よく
「たいへんでしょう。」
と、言われます。

「美術品は、生活必需品じゃないからね・・・」
「あってもなくても、困らないようなものだからね・・・」
「不景気になったら、最初に切り捨てられちゃうようなものでしょ・・・」

そのとおり。

でも、ほんとにそれだけかい??

美術・芸術って、ゆとりのある人だけのものかしら??

いよいよ、これから死に旅立つという時、札束や金塊を、一目見たい、触りたいと思うかしら?

それより、一編の詩や音楽、心に沁みる絵を見て、心の平安を得たいと思うんじゃないかしら・・・?

もし、「良く生きること」と「良く死ぬこと」が同義であるとするならば、芸術は
「あってもなくても困らない」どころか、良く生きるために、自分を黙って支え続けてくれる、
かけがえのない存在といえるんじゃないかなって。

ふと心和むもの、黙って、自分の気持ちと共にいてくれるもののある幸せ。

そうでなければ、何千年もの間、音楽・踊り・詩・美術のような芸術が存在し続けられたはずがありません。

本当に「あってもなくても困らないもの」なら、この、自然災害や戦争の繰り返しの
人類史のどこかで、とっくに自然消滅していることでしょう。

文明は滅びても、芸術は滅びない。

現代文明の私たちは、ギリシア文明の時代の彫刻を見て、やっぱり感動します。
変わらないんです。

これが、真実だと思う。