アートセラピー「心のお絵かき」の世界

アートセラピストで妻で母で女の、楽しく豊かでゆるい人生後半日記。

なぐり描き 再生へのプロセス画

2011-03-20 14:10:02 | アートセラピー
昨晩津波に飲まれそうになりながらも、両親に抱えられ間一髪助かった5才の男の子が
テレビに映っていました。

お母さんは、その日からその子が、母親にくっついて離れなくなってしまった、夜は
「波がくる。こわい。」と、うなされるようになってしまったと、心配していらっしゃいました。

こうしてテレビで被災地の津波の模様を見ている大人の私たちでさえ、心底恐怖を感じるのだから
その場にいた子供は、どれほどのダメージを心に受けてしまっているかは、推して知るべし、です。

これは大変なことだ・・・と深刻な思いでテレビを見ておりますと、その男の子が描いたという絵を
お母さんが、見せてくれました。

紙いっぱいに、暗い色で、ぐるぐるとなぐり描きがされていました。
4~5枚あったと思います。

お母さんは
「前は、青や赤い色をよく使って、車の絵なんかを描いていたのに・・・。」
と、がっかりしたような、心配そうな様子でした。

が、食い入るように画面のその絵を見つめていた私は
「大丈夫だ。男の子は再生に向かっている。」
と直感いたしました。

そして、こんな時、よくぞ子供さんに絵を描かせてあげましたね!と、心の中で、お母さんに
拍手を送っておりました。

あの、何枚もの暗いなぐり描きこそ、心の中にたまっていたものすごい恐怖の吐き出し
だったと思います。

そして、その圧倒的な恐怖と戦いながら再生に向かおうとするプロセスを、画用紙の上に見ました。

恐怖と再生、真反対のエネルギーがぶつかるすごい葛藤を、なぐり描きという形で、画用紙の上に
たたきつけていったのでしょう。(もちろん無意識に)

画用紙よ、クレヨンよ、よくぞ子供の命がけの作業を受け止めてくれたね。

この後、この子には、幸運にも中学生のお姉さんたちとの「遊び」というフォローが入ります。

その「遊び」にも癒され、やがて男の子は赤い車を描けるようになりました。

ああ、これがアートセラピーなんだなぁ、とあらためて深く納得いたしました。

きっと役に立つ

2011-03-19 18:03:26 | 日記
おそろしい1週間がすぎました。

やはり、疲れていたのだと思います。

今日は朝から喉が痛く、午後はすごく眠くなって
「こんなにみんなががんばっている時に昼寝なんて・・・」
と思いつつも、眠ってしまいました。

やはり眠って良かった。喉の痛みはとれました。

うちは、生業が美術画廊です。そんでもって私はアートセラピスト。おまけに長男は漫画家志望。

「大災害で生きるのに必死な時に、何の役にも立たない。うちみたいな商売は、最初に滅んでしまう。
と、この1週間、ものすごく悲観しました。

廃業、餓死というようなことすら考えてしまった。

が、今、「違うんじゃないか」と感じ始めています。

つらくてたまらないからこそ、物が豊かでないからこそ、美しいもの、心やすまるものが
人を救うんじゃないかと。

日本において芸術は、今まで「特に生活に必要のないもの。あってもいいけど、なくてもいいものって
思われてきたと思います。

でも。
励ましてくれる歌、音楽、美しい絵、笑わせてくれるマンガ。

みんなの気持ちを落ち着かせ、前向きにしてくれるのに、すごくすごく必要なんじゃないかって
考えはじめています。

だから、がんばろう。
芸術は人を救う力がきっとある。


セルフ・アートセラピー

2011-03-18 14:54:59 | アートセラピー
昨日、一人でアートワークをやってみました。
それをご紹介します。

アートセラピーというのは、その言葉のとおり、アート表現を用いた癒しのことです。

アート表現といえば、絵画・音楽・踊り・詩や文学・演劇等いろいろありますが、ここは
手っ取り早く絵画で。

最もシンプルなワークです。
用意するものは、紙とクレヨン。

紙は自分としては、大きめのカレンダーの裏紙が、一番やりやすいのですが、見あたらなかったので
八つ切りサイズの画用紙を使いました。

クレヨンは、私は36色を使っています。

もちろん12色でもかまいませんが、色数が多いとそれだけ気持ちを表現するのがやりやすい
ように感じます。

紙は縦でも横でもかまいません。気持ちのままに。

そして、何でも良いので使いたい色を使い、描きたい線を描き自動書記のような感じで
手を動かし、絵を描いていきます。

形になってもならなくても良いのです。

とにかく頭を使わず、手にまかせるような感じでひたすら描く。

途中でイメージが変わってきたら、その上に塗りつぶすような感じで描き続けました。

どこかで「もういいな」という感覚が出ますので、そこで終了。

この時点で、かなり気持ちがすっきりする等の変化があるかと思います。

私の場合、勇気というか底力のような力を感じました。

次に、その絵を見ながら、コピー用紙やレポート用紙などに、その絵によって思い浮かぶことを
どんどん書いていきます。

これも、考えず頭使わず、手にまかせて書きます。
変でも、つじづまがあわなくても、まったくかまいません。

たとえばそれは、今描いた絵との会話かもしれないし、詩のようなものかもしれません。

私の場合は、詩が出てきました。

これは、汚泥の中に真っ黒い根を張り、一切合切を包んで宇宙まで伸びる「希望の木」だと出てきました。

ずいぶん気持ちが落ち着き、しっかりしてきました。

ときどきやると良いんだろうな、と感じました。

平常通りの大切さ

2011-03-17 15:38:56 | 日記
大地震になり、余震や別地方の地震が続き、停電になり鉄道は運休し、ガソリンは入れられず
スーパーに行けばスッカラカンで、お米もパンも牛乳も無く・・・が立て続けに続いたせいで
本当に変になってしまいました。

が、立ち直ってまいりました。

いろいろあっても「平常通り」に戻っている所がたくさんあります。

今日は、停電だったけど、いつも行っているプチプライスのエステに行きました。

「こんな時にエステ?」
という気持ちは敢えて捨てました。

こんな時でも、照明を落としつつ、エステティシャンは一生懸命施術してくれるし、店長さんは
とても喜んでくれました。

そして、私も、いつも通りの事をすることで、自分が元の位置にもどりつつある気がします。

平常に戻れる人が平常に戻ってがんばらなければ、異常事態にいる人を助けることなんてできません。

一緒になって泣いたり怖がったりしている場合じゃないわ。

普通じゃないところもあるけど、できるだけ普通通りやりましょう。

できることを一生懸命やりましょう。
私だったら、主婦の仕事と、アートワークのプログラムを練ることかな。

たくさんの人が癒されるようなプログラムを考えてみたいものです。

困難な中にいる人の事を忘れず、前向いて、誠実にきちんと一生懸命やろう。

それも支援のひとつと思います。

気持ち立ち直れ

2011-03-15 15:23:53 | 日記
大震災4日目。

どんどん新たな死が確認され、災害の悲惨さがはっきりしてきて、原発事故もとめどなく広がっています。

被災地域の方々には、ほんとうにお見舞いを申し上げます。
そして、亡くなった方々へも、こころからご冥福をお祈りいたします。

この数日、同じ地震を体験しながらも、こちらは停電や交通マヒはあるものの、
まあまあ通常の生活ができていることを思い、被災された方々への罪悪感みたいなもので
苦しんでいました。

それから「こんなに世の中ってはかないものか」という、なんともいえない不安感や絶望感。

金曜日をさかいに、全く人生が変わってしまったような、もう元の楽しかった日々には
戻れない、というような、すっかり自分が変わってしまったように感じた数日間です。

あと、まだまだこれからもいろんな地震や災害が起こるんだ、これで終わりじゃないんだ
という恐怖感。

主人は、全く通常通りの人なのです。

が、
「地震を境に、なにか自分が変わってしまったような気がする。もう元には戻れない変な感じがする。」
と訴えますと、
「しようがないよ。それくらいの出来事だった。」
と言われました。

以前の、楽しい事をたくさん考えたり創ったりした日々は、どこへ行ってしまったのだろう
という虚しいような悲しいような気分と、今は「楽しい」なんて口にする場合じゃないし
そんな気分にもなれないよ、という気持ち。

「日々を楽しむ」という概念が、自分の脳から、自分の世界から消失してしまった虚ろな感覚。

今日は、計画停電に追われて忙しいのもあって、だいぶ落ち着いてきたのですが、
「私、変になっちゃったのかな?」
と、本気で思った・・・。

皆さんは大丈夫?
私だけ?
ならいいんですけど。