アートセラピー「心のお絵かき」の世界

アートセラピストで妻で母で女の、楽しく豊かでゆるい人生後半日記。

舌痛症の人の特徴?

2019-10-31 15:04:00 | 心や気持ちのお話
続きです。

この記事は、いろんな方向に話が飛び散ってますが、もともと舌痛症という私の病気から始まったものです。

で、一番最初の舌痛症にもどりますが、東京医科歯科大学の付属病院にある「歯科心身医療外来」にやってくる
私と同じ舌痛症の患者さんを見ていると、なにか共通の雰囲気があることに気がつきました。

皆さん、非常に神経質そうな感じの人が多いのです。身体もやせ気味でね。

女性なんて、病院の外来に来るだけなのに、服装やバッグなど隙の無い格好をしていらっしゃるわけ。

歯科心身医療の診察室は、いろんな外来のある長い廊下の一番奥にあるのですが、もうその廊下を歩いている時点で
「あ、この人は歯科心身に行く人だ」
と、わかってしまう。

それくらい、神経質で几帳面な性格が際立って見える人達だと感じます。

特に、病気の初期には痛みが激しいですから、暗くてぴりぴりした感じ、あるいは逆に、
きっちり生きてきた自分に対処できない事態に見舞われた無力感のような雰囲気が漂っています。

つまり、私も正にそういう雰囲気の人だったということです。

過去形にして書きましたが、もうすっかり違う人格になれたわけではありません。

自分を変えるなんて、そんな甘いもんじゃありませんワタシの場合。

でも、自分を客観的に知るだけで、少しずつ変えられることもわかってきました。

このブログ記事は、今舌痛症という認知度の低い病気に悩む方がいたら、少しでも役に立てればと思って
書き始めたものですが、この病気には、ある程度鈍感であることが有効であると強く感じます。

あなたの繊細さ、敏感さは、周りの人には心地よい振る舞いやサービスだったとしても、
時としてあなたを疲れさせ、この病気の痛みを強く感じさせてしまう可能性が大いにあります。

「やらなくてもいいや」「キャンセルしたっていいや」と思えること。

「私がやらなくちゃ」「ちゃんとやらなくちゃ」「キャンセルなんてしたら、みんなにすごい迷惑がかかってしまう」
と考えて、無理して笑顔で任務遂行するのをやめることです。

これも、自分を愛する・自分を大切にする、大きな方法のひとつです

それを繰り返せば、たとえ何かをいつも通り自分でやらなくても、イベントをキャンセルしても、世の中がひっくり返ることも無いし
自分が殺されることもないとわかってくると思います。

自分の内側に対しても外界に対しても、おおらかにしてあまり追求せず、それまでの敏感で繊細なレベルを下げていくこと。

そういう性格や長年の習慣がきっちり身についている人には、すぐには難しいかもしれませんが、
私の経験では、これは症状の改善にとても役立ちました。

というのも、だんだんおおらかになっていくにつれ「痛くたって死なないしな・・・」と、良い意味でいい加減な態度で
症状と向き合えるようになったからです。

一人はイイよ~~

2019-10-30 16:12:15 | 心や気持ちのお話
続きです。

そうやって、気乗りのしないお付き合いをやめた私は圧倒的にひとりでの行動が多くなりました。

私って友達いないのかな?と思うほど、誰かと過ごす事が稀になりました。

昔、上野千鶴子さんのお一人様についての本を読んだとき、日頃からの友人関係のメンテナンスの
大切さが書かれておりまして、なるほどと納得したのですが、今の私はそれの真反対をやっているわけです。

でもねー、楽なんだよねー。

誰かといるのが楽しい人は、きちんと友達関係メンテナンスを続ければ良いですし、私のように
誰かといると疲れてしまう人は、一人の時間を楽しめばよいのだと思います。

昔は一人でいる人を「ぼっち」と呼び、それはなんとなく哀れみのような意味合いを含んでいたと感じますが、
最近は「おひとりさま」は「ソロ」と呼ばれ、それはなんとなくオトナの感じを抱かせる・・・。

むふふ、ソロ、かっこいいじゃない。

レストランだとか観光地だとか、一人でいるのが恥ずかしいと感じる方には、断言しますが、
他人はあなたがひとりでいることなんて全く関心無いと思いますよ。

たぶん眼中にも無いと思う。みんな自分のことに夢中だからね。

ふっとあなたが一人でいる場面を見たとしても、数分後には忘れていることでしょう。

そういえば、私のリーディングをしてくれた女性も言っていました。

「私、友達いませんよ。夫だけ。でも、寂しいと思ったことなんてないし快適ですよ。」

「どんなに親しくてもね、他人といればそのエネルギーの影響を受けてしまいます。」

その通りなのです。

特に、今の私のように体調が不安定で、自分自身に気を使わなければならない人は、対人関係をシンプルにするだけでも
症状が改善されるかもしれません。

やりたくないことはやらない。

2019-10-29 18:08:34 | 心や気持ちのお話
続きです。

いまだに私は、やりたいことをやるより、やらなければならないことをやる方がずっと楽にできます。

簡単なことなら、楽しくさえあります。

やりたいことをやるのには、いまだに勇気がいります。

何日も、する理由を考え込んだり、しない言い訳を考えたりを繰り返してしまう私が今でもいます。

心のクセというのは恐ろしいものです。

でも、私はある時、もうひとつの自分の愛し方に気がつきました。

それはやりたくないことはやらない、行きたくない所には行かない、会いたくない人には会わないという選択と行動です。

私には「行きたい」「やりたい」「会いたい」と「行った方がいいかな」「やっておいた方がいいかな」
「会った方がいいかな」の二通りがごちゃごちゃになっていたことに気がついたのです。

そして更に注意深く自分の気持ちを見つめると「~した方がいいかな」の後には「本当はイヤだけど」が
くっついているのがわかったのです。

それで、何かしらのお誘いやイベントがあるときには必ず「私が本当に行きたいのか? それをやりたいのか? その人に会いたいのか?」
を自分にきちんと問いかけることにしたのです。

そして、本心から「行きたい」「やりたい」「会いたい」と思えること以外は、行動に移さないことにしました。

すると、日々の生活が本当にシンプルになりました。

時間もお金もエネルギーも、大幅に無駄がなくなり、私の元に取り戻せるようになったのです。

おかげで、私はほぼ一人でお出かけもランチやお茶も楽しむソロな人になりましたが、その自由さ快適さは
もう最高!!の一言です。

私も以前は断ることが超苦手な人でしたが、今回ばかりは皮肉にも病気が助けになりました。

「体調が悪いので」と言えば、それは本当のことですから罪悪感を感じる必要ありませんでしたからね。

そして、何度か「断る」「やりたくないことはやらない」を繰り返すうちに、そういう選択をあたりまえのように
できるようになってきました。

私の場合、積極的に「やりたいことをやる」は難しくても、「やりたくないことはやらない」という
消極的方法はけっこう簡単にできました。

何事も体験と反復練習なのかもしれませんね。


自分を愛するってどうやるの?

2019-10-28 17:25:24 | 日記
続きです。

私は正直に言いました。もうセラピストだからとかなんとか、そういうプライドはぶん投げて。

「やり方がわかりません。」

すると彼女はふーっとため息をつき、言いました。

「やったことないですものね。わからないのも仕方がない。でもね、これだけは他の人が代わってやることは
できないの。あなたがやるしかないんです。」

例えば、自分がやりたいことをやる、行きたいところに行く、食べたいものを食べる、着たい服を着る・・・。

簡単なようで、実はやらないというかできないというか、やる習慣がない。

どうしてでしょう?

今だからわかるのですが、私の場合、人生の選択の底流にはすべて強烈な「罪悪感」がつきまとっていたのでした。

いや、その頃はそんなこと全くわかってませんでしたよ。

というか、それがわかったのはわずか4ヶ月前のことですもの。

それほど罪悪感は、私の全細胞に浸透しているものでした。

これをやったら「誰か」に迷惑がかかるのではないか?「誰か」が嫌な思いをするのではないか?

自動的に無自覚にそして瞬時にそのスイッチが入ってしまえば、私がそのスイッチに支配されているなんて
わかるわけないのです。

よほどのことが無いかぎり。

そう、だから「よほどのこと」が起きたのです。

舌痛症と顔面ヘルペス。痛みと不安と傷だらけの顔。

色々言われましたが、結局私には「やりたいことをやる」というのがいまだにできてないように感じます。

どうしてかというと、やりたいことをやろうとすると、あるいは行きたい所に行こうとすると、
必ずと言っていいほど体調を崩すからです。

それまでなんともなかったのに。

これなんです。

これが私が作り守り続けたパターンなのです。

「やりたいことをやってはいけない、行きたい所に行ってはいけない。だからそうできないように病気になろうね。
そうすればやらないですむから。行かれなくなるからね。」

何故かと言えば
「私のしたいようにしてしまったら、きっと誰かががっかりするよ。
きっと怒るよ。」
が、無意識にくっついてきているんだと思います。

あれから2年。本当にごく最近になって、このからくりがわかってきたのです。

初めてのリーディング

2019-10-27 14:01:53 | 日記
続きです。

顔面ヘルペスの症状が治まり、なんとかマスクを付けて外出できる体力がもどった頃、
私は初めてリーディングというものを受けてみました。

面識は無く、たまたまその人のブログを読んでいて、リーディングの受付が出ていたからです。

だいたいがリーディングとかチャネリングとかは興味が無かったし、信じる気持ちにもならなかったのですが、
なにかもう、自分の知覚とか知識経験では対処できないという無力感でいっぱいでしたから、
なかばやけになって申し込んだという感じです。

ひたすら知識経験をもとに現実的に生きてきた振り子が、ギューンと振り切ってしまって、
今度は逆方向に振り戻り始めた感じ、とも言えます。

が、アートセラピーだって目に見えない心の問題をアートという目に見えるものに変換する作業だし、
EFTだって、感情という目に見えないものを癒やす作業ですから、私にとって目に見えない世界は、
本当は普通のあたりまえの世界だったのかもしれません。

目に見えない世界は、今までいろいろあって背を向けて毛嫌いしてたけど、実はそれも私の人生の大事なプロセスの一部で、
一周回って在るべき世界に戻ったのかもしれない、と今は思えます。

まぁ、とにかく初めて受けた感想は。

チャネラーの彼女は優秀な方だったと思います。

非常に現実的なことを言ってくれました。

対面して座り、なんとなく私の頭上をみながら私の話を一通り聞いてくれたあと最初の一言は、

「そりゃ、そうもなりますよ。あなたはそんなに穏やかな笑顔で穏やかにお話しされるけど、あなたの内側は
ご主人とお母さんへの怒りや恨みや悲しみで真っ黒だもの!」

でした。

そして私に向かって「どうしてそんなに悲しくて怒っているのに、そんなに優しい笑顔でいるのですか?」と言ったとたん
なぜか彼女の目から涙がぼろぼろこぼれてきてしまったのでした。

「あらやだ、私なぜこんなに涙が出るのかしら?」と涙をふきふき彼女が私に語ったことは

「もういいかげん我慢するのはやめて、自分を大事にしてください。自分を愛してください。
それ以外、あなたの内側の真っ黒なものを消す方法はありません」

でした。

告白すれば、当時の私はアートセラピストなのに、自分を大事にする方法も自分を愛する方法もわかりませんでした。

我慢するなと言われても、何十年も我慢が常態化している人間が我慢をやめるというのは、言葉ではわかっても
決して心も身体もついていかれません。