えー、この「回転扉」は、昨日の記事の回転扉のことです。
この世とあの世の間のね。
生まれてきたからには、地位があろうが無かろうが、金があろうが無かろうが、
全員が平等に、この扉の前に立つんですよね。
その時、やっぱり、おだやかにご挨拶したいもんです。
「いろいろありましたけれど、ほんとうに楽しかったですわ。皆さんにお会いできて
本当に良かった。それではまたいつか。ごきげんよう。」
みたいな心境で、回転扉を開けたいものですね。
間違っても
「てやんでい。こんな所、二度と来るもんか。」
には、なりたくないなぁ~~。
でも、よく考えると、回転扉の前に立つっていうのは、特別な「別の」瞬間っていうよりは、
日々の暮らしの延長上のというか、日々の暮らしの中の「ある瞬間」ですよね。
だから
「いろいろあるけど、楽しいこともいっぱいあるし、いろいろ体験できるわけだから、ま、いいか。
いろんな人がいるけど、いい人はいっぱいいるから、ま、いいか。
そういえば、今日は、こんないいこともあったっけ。けっこう幸せじゃん。」
みたいな気分で、ずーっと暮らしていれば、
「あら、こんな所に扉があるわ。」
みたいな感じで、その気分のまんま回転扉を開けられる気がするんですよね。
それが理想です。
もちろん、気をつけなくては、逆もアリ。ですが。
だから、やっぱり、生きているこの一日一日が、とっても大事、と思います。
へこむことも、へとへとになることもいっぱいあるけどね。
嫌な事を環境のせいにして、逃げたり恨んだりするのも私の心の自由だし、
そんな中でも、楽しいことやありがたいことを見つけて喜ぶのも、私の心の自由なんだなーって。
この年になると、もう誰も、指図や監督なんてしません。
恨みいっぱいに生きて回転扉を押すのも、感謝いっぱいで回転扉を押すのも、決めるのは、全部自分。
自分の自由な心なんだよね~。
あの世で、お裁きをするのは、閻魔様じゃなくて、自分の良心なんじゃない??
まだ死んでないから、よくわかんないですけど。
この世とあの世の間のね。
生まれてきたからには、地位があろうが無かろうが、金があろうが無かろうが、
全員が平等に、この扉の前に立つんですよね。
その時、やっぱり、おだやかにご挨拶したいもんです。
「いろいろありましたけれど、ほんとうに楽しかったですわ。皆さんにお会いできて
本当に良かった。それではまたいつか。ごきげんよう。」
みたいな心境で、回転扉を開けたいものですね。
間違っても
「てやんでい。こんな所、二度と来るもんか。」
には、なりたくないなぁ~~。
でも、よく考えると、回転扉の前に立つっていうのは、特別な「別の」瞬間っていうよりは、
日々の暮らしの延長上のというか、日々の暮らしの中の「ある瞬間」ですよね。
だから
「いろいろあるけど、楽しいこともいっぱいあるし、いろいろ体験できるわけだから、ま、いいか。
いろんな人がいるけど、いい人はいっぱいいるから、ま、いいか。
そういえば、今日は、こんないいこともあったっけ。けっこう幸せじゃん。」
みたいな気分で、ずーっと暮らしていれば、
「あら、こんな所に扉があるわ。」
みたいな感じで、その気分のまんま回転扉を開けられる気がするんですよね。
それが理想です。
もちろん、気をつけなくては、逆もアリ。ですが。
だから、やっぱり、生きているこの一日一日が、とっても大事、と思います。
へこむことも、へとへとになることもいっぱいあるけどね。
嫌な事を環境のせいにして、逃げたり恨んだりするのも私の心の自由だし、
そんな中でも、楽しいことやありがたいことを見つけて喜ぶのも、私の心の自由なんだなーって。
この年になると、もう誰も、指図や監督なんてしません。
恨みいっぱいに生きて回転扉を押すのも、感謝いっぱいで回転扉を押すのも、決めるのは、全部自分。
自分の自由な心なんだよね~。
あの世で、お裁きをするのは、閻魔様じゃなくて、自分の良心なんじゃない??
まだ死んでないから、よくわかんないですけど。