アートセラピー「心のお絵かき」の世界

アートセラピストで妻で母で女の、楽しく豊かでゆるい人生後半日記。

葬式の夢と結婚式の夢 4

2015-08-29 14:27:29 | 夢判断
さて、お葬式の夢のすぐ後に見た結婚式の夢。

死と同じように、夢判断では、結婚についても、独特の解釈をします。

結婚の夢というのは、「まとめること」です。それも、しばしば、相反するものをまとめる、という意味となります。
(実際の結婚も、男・女 という、相反するものが一つになります)

私の場合は、たぶん、思考と直感を統合していくことの示唆だったと思います。

この時、私は、目の覚めるように美しく光沢のある黄色いドレスを着ていました。

そして、私をサポートしてくれる、結婚式場の女性スタッフ二人も、同じような美しい黄色の衣装を着ていたのです。

それに対して、私のお相手の男性は、その他大勢の人と同じく灰色の無彩色でした。

若い感じで、顔立ちも整っていましたが、表情も言葉も無く、ただ立っているだけで、私も、
何の感情も湧き起こらず、ただ、その人を見ていました。

私の持っている夢判断の辞典での、黄色の意味は「平和」でしたが、ピンとこなかったので、知り合いのカラー専門の方に聞いたところ
「そのまま光の色。まっすぐ未来へ突き進む色。」と言われました。

これで辻褄が合いました。

黄色いドレスの私は、直感を信じ、未来へ向かって、まっすぐに突き進もうとしています。

女性スタッフ二人と合わせて、黄色い服の女性は3人。
三は、三位一体。精神、心、肉体・・・スピリット、マインド、ボディです。

そろそろ私も、いろいろなことが整ってきたかもしれません。

対する男性は、前のお葬式の夢の「父」と同じ象徴かと思います。
これまで私を律してきた思考の部分です。

思考だけでは、頭でっかちになってしまい、行動が伴わない・・・今までの私のパターンです。
考えすぎて、結局、何もやらずじまいのことが、実に多かったのです。

が、直感で突っ走ってしまうだけでは、危うい。

この両方を、バランス良く使えることこそ、大切なのです。

結婚式の夢は、そのことを私に教えてくれ、またそうなってきているから、自信を持って進むようにと
伝えてきているのかと思いました。

おもしろい日々が、もう始まっているのね・・・

葬式の夢と結婚式の夢 3

2015-08-28 11:32:22 | 夢判断
夢判断では、普通「死」については、不吉なもの、悪いものとはとらえません。

(もちろん、状況で、大切な人の死が、予知夢として現れることはありますが。)

通常の場合、死は「その人の内側の、ある面の終わり、消滅、崩壊」という風にとらえます。

つまり、自分が死んだ夢を見たら、自分のある面が終わったということです。
そして、内側では、再生が始まった、ということです。

古いものが死んで、新しいものが生まれ、育っていく、ということです。

では、私の夢の場合はどうでしょう。

私は父のお葬式の夢を見ています。

「父」の象徴するものとは何か・・・父は、子どもにとって、絶対的に近い存在です。
父の教え、価値観などは、子どもに大きく影響し、ある意味縛ります。

その人の内的世界の、底の部分、あるいは根幹の部分だったりします。

そういう、私の内的世界の根幹をなしていた部分が死んだ、終了した、ということで、
すごい大きな出来事ですよ・・・。

リハーサルの夢だったようですが、途中からは、そうでもなかったような。

私は最初、ちょっと泣いていました。

「父」という、私をある意味縛っていたものは、同時に、社会でつつがなく暮らせるようにと、私を守ってくれていた価値観でも
あるのですから、その「守り」が終わるというのは、確かに心細く悲しかったと思います。

が、夢の中では、涙はほんの一瞬で、あとは、非常に淡々と一部始終の流れの中に、私はいました。

セレモニーは終わったのです。

強い力で私を守りつつ縛っていた、ある価値観、信条といったものが死んだ(消滅した)ようです。

そう、「夢なんていうのは、若い人のもの。もういい年の女は、平穏に暮らすのが一番」と思い込んでいた私は終わったようです。

そして、「いいえ、いい年をしても、夢を持つのは恥ずかしいことじゃない。死ぬまで夢を持って、どんどん生きていっていい。」
という、新しい私が、心の奥底から生まれ立ち上がったようです。

こんな日が来ようとは・・・

    つづく
    明日は、いよいよ結婚式の夢解き

葬式の夢と結婚式の夢 2

2015-08-27 12:53:06 | 夢判断
書いていて思ったんだけど、この「将来の夢を語る」の「夢」と、眠っている時に見る「夢」って、同じ言葉なんですね。

なんで、同じ言葉なんだろー? ね?

さて、話戻って、そのワークでは、思いがけなくも、私は将来の夢について、自分でも驚くほど滔々と語っておりました。
というか、夢が既にかなっている状態を、全くそれになりきり浸りきって語るワークなんです。

「長年創りたかった絵本を創って出版することができたんです。そしたら、それがとても評判が良く、売れ行きも良かったので、
運転手さん付きのクラウンを1台持つことが出来ました。移動がとても楽になりました。
更に、2冊目の出版依頼もいただいて、かなり忙しくしています。
今のアトリエが、だいぶ手狭になってきましたので、松江に小さな畑のついた一軒家を買うことができました・・・。」

本当は、更にあるのです・・・「運転手さん付きのクラウンのおかげで、日本中の養護施設や、難病の子どもたちが暮らす小児病棟に行って、
私の絵本を読んであげ、描けるようなら、一緒にお絵かきをして、子どもたちを癒やしてあげる日々です。本当に充実して幸せです。」

私は、もう若くないし、体調も今ひとつだし、自分にはもう、かなえたい夢なんて無いとずっと思っていたから、勝手に出てくる自分の言葉に
びっくりしてしまったのです。本当に。

その上、口に出したら、もうそれが当たり前の現実になってしまったかのように、出会う人やら主人やらに、べらべらしゃべりまくっているのです。

夢は口に出すといい、現実化が早いというでしょう。
なので、このブログにも、勢いで書いてみちゃいました

そう、こういうできごとが、私にあったのです。

これは、すごく大きい出来事だったのでしょう・・・なんせ夢無し女が夢有り女に大変身したのですから。

だから、お葬式の夢を見たのです。
納得できます。
夢判断では、死、については、独特の解釈をするのです。 

                      つづく

葬式の夢と結婚式の夢

2015-08-26 14:16:26 | 夢判断
超久しぶりに、夢の話です。

というのも、夕べ、立て続けに、「お葬式」と「結婚式」という、人生の一大イベントと言うべきものの夢を
見てしまったからです。

一晩に、お葬式と結婚式をこなせる私って何??

が、その二つとも、実際のものではなくリハーサルだったような感じだったのです。
が、夢の中なので、特に結婚式の方は、途中から本番みたいになってました。

お葬式の方は、父のお葬式(のリハーサル)
リハーサルなんだけれど、私は泣いていました。

結婚式は、私の結婚式。
美しい黄色い衣装を着ていて、なぜか、式場の女性スタッフ2名も、同じような美しい黄色い衣装を着ていたのが
強烈に印象的でした。

私の夫になる男性は、夢の最後の方に出てきましたが、全く見ず知らずの方でして、私は、特にテンションも上がらず、
たいそう冷静でした・・・。

さて、どう解くよ?

これは、少し遡らなくてはならないかもしれません。

これより二日前の日曜日、私は、あるワークショップに参加していました。

そこで「すべての夢がかなっている5年後のビジョン」というのを、皆でシェアしたのです。

私はいつも「自分には、夢なんてもう無いなぁ・・・いまのままで満足」と思っていたのですが、誘導してくださった
ファシリテーターが上手だったのでしょう、思っても見なかったような「夢」が、恐ろしく具体的にべらべらと出てきました。

しゃべっていて、自分でもびっくりしたもんね・・・。
                              つづく

奪えば失う

2012-09-05 12:34:39 | 夢判断
夢の話の続き、後半です。

「与えればもらい、奪えば失う」の「奪えば失う」。

これは、目が覚めた瞬間に頭に入ってきたことかもなんですが、なぜか
「パワースポット」

もともと、パワースポットなるものには全く興味がないんですが。
あんまり信じてないっていうか・・・。

良い気の場というものは、繰り返し発する自分の想念波で形成される
と思い込んでますんで。

ま、それはさておき。

パワースポットに行くっていうのは、何かを得たいと思って行くわけ
でしょ。

祈願だったりする人もいるかもしれない。

その、平たく言えば「おねだり」の行為が、「奪う」に
感じられたのですよね、夢では。

そんなことする必要あるの?

パワースポットに行けるくらいなんだから、一応まあ衣食住には
困ってなくて、身体もまあ健康なんじゃない・・・?

もうそれで、十分すぎるほど十分に思う。

それ以上のおねだりをするのは、それで願い事がかなってしまうのは
なにか、自然界や神様から奪う行為に見えてしまって、なんかすごく
違和感感じてしまって、そんなことしたらなにか大事なもの
失っちゃうかもよ・・・??・・みたいな感覚を夢の中で感じて
たんですよね。

まー、私はパワースポットには興味がないので、敢えて行くことはない
からいいんですが、ただ、もう十分すぎるほど十分持っているのに
更におねだり行為をするのは、奪うことに通じてしまい、知らず知らず
何かを失いかねない、というのは、日常の自分にもあてはまる
気がします。

用心せねば・・・ね。