次に先生は、ボールペンで半円の線を書きました。
7歳ごとに人生の節目が訪れるということで、その半円に印をつけていきます。
半円の左端が0歳、右端が63歳になるように、7,14,21、28・・・と間隔をあけて
印をつけるのです。
63歳以降は「余生」ということで、それ以降の印はありません。
で、今私は58歳なのですが、半円の右側58歳に対応するのが、半円の左側5歳ということになるの。
そこから先生の質問が始まります。
「5歳の時のあなたは、どんな子でしたか?」
5歳の頃の私は、活発で、誰とでもすぐお友達になれる明るい朗らかな子でした。
そう答える私は、明るく朗らかな気分になりました。
「お父さんは、どうでしたか?」
父は地方公務員で、仕事以外は家にいることが多く、おおむね優しい人でした。
父のことは、本当は可愛がられていたはずなのによく覚えていないことに気づきました。
「お母さんとはどうでしたか?」
ここは、私の最大の暗部なのですが、できるだけ重苦しく感情的にならないように
思い出せる事実を、できるだけ短く話しました。
それが私自身のためでもありましたから。
家族構成が複雑で、姑、小姑と同居していたため、そしてその二人からイジメを受けていた母は、
そのいらだちを全部幼い私にぶつけていたこと。
私が楽しそうにしていると、あるいは少しでも気にくわないことがあると、誰もいないところに引きずり込まれ、
ぶたれつねられ髪の毛をひっぱられ、怒鳴られ、泣きながら謝ると「あやまりゃいいと思いやがって!」と
再び怒鳴られぶたれ・・・そんな毎日が来る日も来る日も続いたこと。
Y先生は、じっと聞き終えると一言
「よく生きてきたね。」
そして、「お母さんは、あなたがいなければ死んでいたかもしれない。あなたがお母さんを生かしたんだよ。」
そう思う。私は母の感情のゴミ箱でした。
幼い私は、本当によく頑張ったと思います。
だが、母がいなければ私は生まれていないし、今生きてもいません。
それも事実なのです。そして、これには母に最大の感謝をしています。
ただ、母が私を生かし、先生がおっしゃる通り私も母を生かした。両方とも真実なのだと思います。
つづく
7歳ごとに人生の節目が訪れるということで、その半円に印をつけていきます。
半円の左端が0歳、右端が63歳になるように、7,14,21、28・・・と間隔をあけて
印をつけるのです。
63歳以降は「余生」ということで、それ以降の印はありません。
で、今私は58歳なのですが、半円の右側58歳に対応するのが、半円の左側5歳ということになるの。
そこから先生の質問が始まります。
「5歳の時のあなたは、どんな子でしたか?」
5歳の頃の私は、活発で、誰とでもすぐお友達になれる明るい朗らかな子でした。
そう答える私は、明るく朗らかな気分になりました。
「お父さんは、どうでしたか?」
父は地方公務員で、仕事以外は家にいることが多く、おおむね優しい人でした。
父のことは、本当は可愛がられていたはずなのによく覚えていないことに気づきました。
「お母さんとはどうでしたか?」
ここは、私の最大の暗部なのですが、できるだけ重苦しく感情的にならないように
思い出せる事実を、できるだけ短く話しました。
それが私自身のためでもありましたから。
家族構成が複雑で、姑、小姑と同居していたため、そしてその二人からイジメを受けていた母は、
そのいらだちを全部幼い私にぶつけていたこと。
私が楽しそうにしていると、あるいは少しでも気にくわないことがあると、誰もいないところに引きずり込まれ、
ぶたれつねられ髪の毛をひっぱられ、怒鳴られ、泣きながら謝ると「あやまりゃいいと思いやがって!」と
再び怒鳴られぶたれ・・・そんな毎日が来る日も来る日も続いたこと。
Y先生は、じっと聞き終えると一言
「よく生きてきたね。」
そして、「お母さんは、あなたがいなければ死んでいたかもしれない。あなたがお母さんを生かしたんだよ。」
そう思う。私は母の感情のゴミ箱でした。
幼い私は、本当によく頑張ったと思います。
だが、母がいなければ私は生まれていないし、今生きてもいません。
それも事実なのです。そして、これには母に最大の感謝をしています。
ただ、母が私を生かし、先生がおっしゃる通り私も母を生かした。両方とも真実なのだと思います。
つづく
辛い幼少期でしたね。
でも強いなぁと感じました。
お母さんも可哀想な人ですね。
嫁と姑って何でいがみ合うんでしょう。
良いことないのに・・・。
元気に明るく生きてくださいd(^-^)ネ!
みんなのブログからきました。
詩を書いています。
暖かいコメント、ありがとうございます。
詩を書いていらっしゃるのですね。拝見いたしました。
お人柄がそのまま滲み出るような暖かい詩だと感じました。
お互い、前を向いて微笑んで生きていきたいですね!