アートセラピー「心のお絵かき」の世界

アートセラピストで妻で母で女の、楽しく豊かでゆるい人生後半日記。

頭の中をリーディングしていました。

2019-12-30 17:13:12 | 日記
リーディングについて、こんな経験もありました。

ある日、友人Kさんが経営するサロンにヨモギ蒸しを受けに行ったのです。

そしたら会えると思っていたKさんはいなくて、代わりにスタッフさんがいろいろお世話をしてくださいました。

で、ヨモギ蒸しを受けながら「Kさんは今何しているのかしら?」と思い、「そうだ、観てみよう」と思い、やってみました。

すると、なにか本棚のようなものの前でしきりに立ったり座ったりしているKさんが見えてきました。

一生懸命、何かを探したり整理したりしているような感じなのです。

夜になって、Kさんに「今日の10時半頃何してらした?」とメールし、上記の出来事を伝えました。

すると、その日はご実家に行っていて、洗濯をしたりお墓参りに行ったりしていたと返信があり、
私が観たものについて
「それは、私の頭の中を観たんだと思うわよ。」
と添えられていました。

「今、どうしても整理しなくちゃならないことがあってね、いつもそのことを考えているからね。」と。

私は「はぁ~!」っと思いました。

ただ興味本位に、あるいは依存的に「何か観えるの?教えて教えて!」みたいなノリの人には、こういう反応はできないんじゃないかって。

「えー?本棚の前になんていなかったし、何にも探してなんかいなかったよー。全然違うよ、はずれー。」

となるのではないかと思うのです。

そして私自身も「はずれたねー」で終わるでしょう。

目の前にいる人をリーディングするのなら、内側を観るのが当然ですが、遠隔でも内側が観えることもあるんだなぁ、というのがそのときの大きな学びでした。

ただ、私はそのときKさんが実際に何をしているのか観るという設定をしていたから、本当はハズレです。

それにしても「そんなことしてないよ。」で終わらせず「それって頭の中のことだわ。」とすぐに考えられるというのは、
やはり、降りてくるメッセージを自分のこととして主体的に解釈する姿勢があってこそのことだと思ったのでした。

私は、彼女のそういう姿勢、思慮深さや洞察力に感銘を受けたのでした。

昨日の記事に書いた友人も、受け取ったメッセージを自分のこととして、実に思慮深く解釈してくれました。

こうなって初めて、リーディングやメッセージというのは価値があるものになるのだと思います。

サイキックリーディングの使い方

2019-12-29 14:20:46 | 日記
過日、私の良き理解者である古い友人がこのブログを読みまして、自分に何かしらのメッセージはないかとスマホを通じて聞いてきました。

それまで私は、目の前にいる人の周りに浮かぶ「何か」を読みとることしかしてきませんでした。

つまり、遠隔はやったことがない。

でも、つながるところだけしっかりできていれば物理的な距離は関係ないかもな、と思って試しにやってみました。

どうも自分にあんまり自信が持てないものですから「こんなのが見えたんだけど~ えへへへ~~」と照れ笑いで、見えたものとそこから感じたものを
手短に伝えました。

すると驚いたことに、バッチリでドンピシャだったらしい・・・ひえ~~!

しかし、ここからが今回の重要な学びなのです。

私に降りてくる映像や言葉は、シンプルなものばかりです。単語だけだったり。

で、私はそのまま、あるいはその映像なり言葉なりから自分が感得した印象などを添えて友人に伝えました。

放り投げるような感覚で。

すると友人は、その放り投げられたものを受け取って、今置かれている環境やご自分の心の中の様子に照らし合わせて、友人なりの解釈をしてくれました。

そしてこのプロセスの中で、私がリーディングして伝えたメッセージは、友人を大きく励まし安心させ、進みたい方向への後押しとなりました。

つまり、私はメッセージを受け取り伝えるところまで。

その後、そのメッセージをどのように自分のものとし、役立てるかは友人の仕事なのです。

リーディングの内容を「ご神託」みたいにとらえて依存するのは違う、ということなんです。

「~~してはいけない」とか「~~しなくてはいけない」みたいなことを言ってくる、脅すような感じのようなことを言ってくる存在は
低次元なことが多いというのはよく聞くことです。

でも、依存的な気持ちの人に限って、こういう言葉を欲しがるような支配されてしまうような危険を感じます。私は。変にわかりやすいしね。

逆に高次元の存在ほど、淡々としてニュートラルで見守り感が強いように感じます。

それが高次の愛というか。

善悪のような人間的な価値観や感情のようなものも、ほとんど感じたことがありません。

なので、降りてきたメッセージを伝えてもらう相談者の側にも、主体的にメッセージを解釈して問題解決をしようとする心構えが
大事なのではないかしらって思うのです。

口を開けて、おいしいものを入れてもらうのを待ってるんじゃなくてね。

降りてくるメッセージに対して、チャネラーとクライアントで共同作業をする、というのが健全なあり方なんじゃないかなと、
今回友人とのやりとりを通じて深く思ったのでありました。



you are very gifted と言われた

2019-12-23 17:11:46 | 日記
続きです。

とにかくなんとかして舌痛症の痛みから逃れたかった私は、ほんといろいろなことをしてきましたが、
その過程で思いも掛けないお土産を見つけたのでした。

ワークショップだけでなく、アサラの個人セッションも受けたのです。

アサラと一緒にワンコマンドをやり終えて(これはとってもハッピーな気分になる瞑想なのです)
「はぁー」と幸せな気分に浸っていたら、アサラが私を眺めてこう言いました。

「You are gifted, very gifted.」

特に、自分の意識をどこに繋ぐかというチューニングの力がすばらしいですね、と。

え?

そう言われると思い当たる節がたくさんありました。

みんなそうなんだろうと、アートセラピストならみんなそうなんだろうと思っていたことが、実はそうでもなかった
と知った時の驚き。

誰かの相談にのっていると、その人の肩のあたりに図形みたいな絵が見えて、それの意味がなぜか全部わかって、
それを日本語に置き換えて話すと、すんごく相談のヒントだったり、相手の人が欲しかった答えだったり。

話している人の上あたりにもやっとしたカタチのような色のようなものが見えて、やはりその中にある情報が
うっすらわかっちゃったり。

アートセラピストですから、コラージュのワークショップしますが、作品からなにか見えるような聞こえるな感覚があったり。

でも、あんまり言うのもなんだし、こういうのちょっと変だしね、みたいな気分にわりかしいつもなってしまって
黙っていることが多かったけど。

それに、繰り返しになってしまいますが、みんなもそうなんだろう、別に普通のことだろうって思っていましたし。

でもね、アサラ一人に言われたからって、思い当たることがあるからって、自分の力をすんなり信じるなんて急には
できませんからね、別の日本人のサイキックの先生のところに行ったのですよ。

きちんと教えてくださいって。私どうなんですかね、という感じで。

そしたら
「よく見えてらっしゃいますよねー。お教えすることもないから時間余っちゃったわ~。」
みたいなノリだったわけですよ。

で、私も決めました。

そうですか、わかりました。なら、せっかくいただいた力ですから、必要な時は無理に隠さないで使いましょう。

普通よりちょっと鋭くつながったり見えたりする力、くらいなノリで使おうと決めました。

「私は怪しい者ではありません!」と力む私ももちろんおりますが、私はそうなんだ、と受け入れると、
そいで無理に隠さないでいいって決めると、なにかすごく楽になったし、楽しい気分になりました。

生きていると、いろんなことに出会うものですね~。

ていうか、舌痛症にならなかったらわからなかったことかも。


病気を入口に目に見えない世界に入る

2019-12-20 17:52:16 | 日記
「今日は舌痛症が痛い」「今日は忙しい」「今日はなんとなく書きたくない」等々の理由で
自分をいたわっているうちに、あらぁ、もう12月半ばを過ぎてしまったではないの。ほほほ。

いまさら「続きです」なんて言っても、どうなのかしら? 皆さんは忘れていますよね。

でも、ジコチューの私はこのまま突き進むのであります。

痛みと恐怖が分離する・・・これは治癒にとってはすごい進歩らしく、医科歯科大学の付属病院で定期検診があった時にこれを言ったら
ドクターがたいへん喜んでくれました。

恐怖感が立ち上がってこないことで、痛みはあってもかなりのレベルで日常生活を充実して送れるようになりました。

が、痛いものは痛い。痛みは続いているのです。

なので、痛みをなんとかしたいという模索は続いていました。

恐怖感という心の問題は乗り越えました。それに付随して誰かや何かを責めたり、自分を責めたりということも消えました。

では、これ以上何もできないの?

そうやってもがいているうちに、気がつくともう、目に見えない世界の境界線まで来ていたようです。

思うに、目に見えない世界、つまりスピリットの世界に近いのはマインドではなく、むしろ肉体の方みたいです。

マインドには思考が入って邪魔するのですが、肉体は無言ですからそういう邪魔はしない。

本当のことを知りたかったら、考えるより自分の身体に聞いた方がいいんじゃないかって思います。

なんか胸がざわざわするとか身体が重くなるとか手足が冷えてくるとか、逆に体中がポカポカしてくるとか足が軽くなって思わずステップを踏んじゃうとか、
実に的確に反応してくれるのが身体ですよね。

まあ、ちょっと話がそれましたが、とにかく私は肉体を入口にして、気がつけば目に見えない世界に片足突っ込んでいました。

ある日見つけたアサラ・ラブジョイ女史の「シータ・コマンド」という本を読み、更に彼女の「ワンコマンド」という
ワークショップを受けてから、大幅に私の病気、私の人生は方向転換していったのです。

「シータ・コマンド」の本を読んで、その通りにためしに1週間ほどやってみたのですよ。

そしたら、信じられないほど痛みが消えていったのです。

いったいどういうことなのかと思いましたよ。

そして続けてやっているうちに、サイキックとかエネルギーとかのような目に見えない力は別に特別でも何でもなくて、
より良い生活のために、みんなが普通に使えるものなんだってわかったのです。