アートセラピー「心のお絵かき」の世界

アートセラピストで妻で母で女の、楽しく豊かでゆるい人生後半日記。

山歩き

2010-11-30 15:34:45 | 日記
一昨日の日曜日、今年2度目の御嶽山に行きました。

紅葉がきれいかなーと思って行ったのですが、標高が高いせいか、あらかた終わっていた・・・。
その上、常緑樹が多かった・・・。

でも!
やっぱり山歩きは楽しいです!

雲一つない良いお天気で、風も無く(これ大事)、ほんと、山歩き日よりでした。

御嶽山は、登山口までの交通がちょっと不便なので、高尾山みたいに混雑することもなく(原宿なみです、あそこ)
人も少なくゆったり歩けて、茶店もゆったりしてて親切で、大好きな山です。

でも、9月に来た時より、やっぱり人は多かったなぁ。

いっぱいいましたよ、「山ガール」。
ファッショナブルでしたよ。

ああいう、明るい色のジャケットで歩いてくれると、遠くからでも
「おお、あそこに道があるんだな。」
とわかって、良かったわ。

「せっかく来たんだから、今日は、一番きつい3時間コースを歩くぞ!」
と夫が宣言し
「ええっ!ちょっと無理かも・・・」
と抵抗するも
「大丈夫!歩けなくなったら、オレがおんぶして登ってあげるから。人生すべて挑戦!」
とか、やたら気合いを入れられ
「膝、大丈夫かなぁ・・・」
と思いながらも、歩き始めました。

沢まで、きつい下り坂を岩だの木の根っこだのを頼りに、一気に下りたときが一番きつかった。
(坂がきつくて、途中で停まれない)

おまけに、足下に気を取られて、景色なんて全然見れませんでした。

その後、緩やかな山道を歩いて、景色も楽しみながら、無事登山口まで戻ることができました。

教訓。
やっぱり、杖があった方がいいわ。
あと、靴も、山ガール達が履いていたみたいなトレッキング用のが欲しい。

でも!
普通のスニーカーであんなに山道を歩いたのに、翌日も今日も、ぜーんぜん筋肉痛出ないのです!

日頃、あっちが痛い、こっちが具合悪いと言っていたワタクシですが、全然平気。元気いっぱい。

あたし、案外健康なのかも!

ふるさと

2010-11-26 18:50:54 | 日記
生まれも育ちも鎌倉です。
結婚するまで24年間、暮らしてました。

でも、鎌倉を離れて、もう25年以上になり、両親が鎌倉の家を売って、私の住む町へ引っ越してきて
10年以上になります。

もう、すっかり他人の街だ・・・。

と、思っていました。

最近、子ども達も手が離れたし、用事があって鎌倉に一人でいくことも、年に数回あるけれど
やっぱり「他人の街」を感じていました。

が、今日、何十年ぶりかで、妹と鎌倉に出掛けました。

旧友にばったり出会ったり、幼なじみの友だちのお母さんに何十年ぶりかで会ったりしました。

私は鎌倉を離れてしまって、なんだか観光地化されるばっかりの鎌倉に他人を感じ、愛着が
薄れる気分だったけど、昔通り、ここで暮らしてる知り合いがいて、みんな「昔の空気」を
そのまま持っていて・・・

じっとよく見ると、雑踏の小町通や鎌倉駅周辺にも「昔の空気」が漂う場所があるのに、今日気がつきました。

たぶん、妹と一緒だったからだと思います。
妹は、私が嫁いで家を出てからも、10年くらい鎌倉の家にいたし。

昔のままの空気に出会うと、なんだか泣きそうになってしまいます。

「もう、私の家は知らない人が住んでいて、私の家は無いんだ。親もここにはいないし。
知らないお店がいっぱいできて、もうここは知らない街。」
と、なつかしさをわざと封印してたのかもしれません。

ふるさとなのに、帰る家が無いというのは、実はかなり寂しい。
だから、懐かしさは、あんまり感じたくなかったんだと思います。
寂しさに飲み込まれそうで恐いからね。

でも、妹と一緒だと、怖さも半減して、観光を楽しめる。
血のつながった家族はありがたい。

この年になると、いろいろ考えますね。
生まれ育った街には、やっぱり、自分の性格のルーツがあるんだなぁ。

そんなこと、今まで考えもしなかったですけど。

ニンジンのスープ

2010-11-21 16:57:38 | 日記
最近、服だの靴だのバッグだのには、あまり興味がわかなくなってまいりました。

「あるものを着ればいいや。」
という感じ。

これから、冬に向かうでしょ。
冬になると、コートを着ますね。
コートを脱がないかぎり、下は別になんでも平気。
・・・て、まずいよね、この方向にどんどんいっちゃうのって。

ま、それはさておき。

服だの靴だのバッグだの、ではないものを衝動買いしちゃったのです。

「スープメーカー」  安くは無かった。でもどーしても欲しくて。

野菜とコンソメ、お水を入れてスイッチを押せば30分後には暖かいスープが4人分出来上がるの。

コーンポタージュやビシソワーズからミネストローネやお粥まで・・・うくくく・・・嬉しいー!

今日は、手始めに、ニンジンがたくさんあったのでニンジンスープを作ってみました。
 
ニンジンは固いので、細かく切ってレンジで下ゆでして、タマネギも小さく切り、とろみを
出すために御飯を少々、あとはお水とコンソメです。

味付けは、塩・こしょうと、ほんの少し白だしを入れました。

できあがってみると、んまぁ、夢みたいになめらかなオレンジ色のスープ。

そして、なんともいえず優しい味。

情けないことに、粉末やフリーズドライのカップスープばかり飲んでいた私には、一口目は
「?」
と思うほど、ぽわーんと気の抜けた味に思えてしまったのですが、きちんと飲むと、本当においしい。

お野菜の優しさが、体中に染みわたる感じで、思わず
「おいし~~~!!」

さっそく容器に入れ替えて、両親に持っていきました。

これから老親にスープを作る機会も増えるんじゃないか、そういう思いもあって買ったのです。

夕方、主人が、風邪をひいたらしく、「具合が悪い」と言って、仕事から帰ってきました。

さっそく残っていたニンジンスープを温めて飲ませたら、体が温まったらしく、じきに眠ってしまいました。

やっぱり買ってよかったわー。

衝動買いじゃないわよ、これ、必要買い。

欠礼のハガキ

2010-11-17 15:51:48 | 日記
今年は義父が亡くなったので、欠礼のハガキを出しました。

実は、欠礼のハガキを出したのは、今回が初めて。

ずーっと昔、もう30年前になると思いますが、同居していた祖母が亡くなったときには
こういうの出さなかったと思うんだけど・・・全然覚えてないのです。

頂いたことは、何回もありました。

そのたびに
「ああ、そうだったんだ。大変だったなぁ。」
と思い、その人の事をしばし考えたりいたしました。

でも、欠礼のハガキというのは、だいたい印刷のみで、本人の手書きの一言もなく、
「ずいぶん、そっけないなぁ。」
と、感じていたのも事実です。

普段会うことはまず無くて、年賀状だけのつきあいで何年もきている友人・知人もたくさん
います。

そういう友人・知人とは、年賀状の
「お元気ですか?」
だの
「今、家族は~で、自分は~です。」
というような短い一言で、ずっと親しい気持ちや間柄がつながっていると感じています。

なので、印刷文だけの欠礼ハガキは、なんとも物足りなく感じていたのでした。

が。

自分が書いてみると、そのわけがよーくわかりました。

書けないのですよ、その「手書きの一言」が。

ハガキ内のスペースの問題ではなくて、雰囲気的に書けない。
書く気分になれないというか。

ああいう、ちょっとした近況報告や
「今度、お会いしましょうね。」
みたいなことは、やはり、年賀状のような華やいだおめでたいハガキにこそ書けるものであって
たとえ、年賀状だけのおつきあいの間柄だから、せっかくの一年一度のお葉書だからといっても
欠礼ハガキには、なんだか何にも書く気になれないんだなぁというのを、体験してみて初めて知りました。

印刷文だけのハガキは、やはりそっけない印象で、なんとなく心苦しくもありましたが、かといって
数日手元に置いておいても、やはり一言添える気分にもなれなかったので、結局そのまま
出してしまいました。

欠礼のハガキというのはこういうもんなんだって、なんとなく理解、納得した次第です。


クリスマスカード

2010-11-15 17:09:09 | パステルシャインアート
ハロウィン終わったら、もう街はクリスマスの飾り付け一色ですね。

間が無いのよねー。
何もない「あやふやな期間」が無い。

そんな、行事、イベントで埋め尽くさなくてもいいと思うんだけどねー。
この「あやふやな期間」が意外にイイと思うんだけどねー。

かえって、行事イベント目白押しだと、一つ一つが薄れるような気がする・・・

ていうか、クリスマス準備月間が長すぎて、本番の時には意識はすでにお正月準備みたいな。

いや、もうこの年になると、クリスマスとは無縁な生活になっていて、あまり心浮き立たないから
世間の華やかさについていけない違和感を感じてるだけかも。

平たく言えば、ついていけない、一緒に盛り上がれないオバサンのひがみか??
(ハロウィンなんて、特にそうだった。わからないの、どういうお祭か。)

とか、ボソボソつぶやきつつ、クリスマスツリーを描いてみたら、やっぱりきれいだわ。

少しオバサンも盛り上がってきたかも・・・。