アートセラピー「心のお絵かき」の世界

アートセラピストで妻で母で女の、楽しく豊かでゆるい人生後半日記。

人生には、取り込む時期と吐き出す時期がある

2017-11-25 15:21:20 | 日記
私がアントロポゾフィー医学での診察を受けようと思った訳の一つには、舌痛症に加えてヘルペスまで
右顔面に出たのは何故なのか知りたい、という気持ちがありました。

何か右側にだけ問題があるのだろうか?・・・と。

先生の説明はこうでした。

幼少時から母により与えられた辛い思いをひたすら溜め込んでいた私の身体は、人生後半に入って、
つまり50過ぎた頃から、今度は吐き出すことに転じたんだそうです。

舌痛症もヘルペスも、その「吐き出し」の一環なのだそうです。

そして、首から上の右側というのは左の腎臓からの影響を受けるのだそうです。

左の腎臓は、おばあさんやひいおばあさんなどの女性からのエネルギーを仲介する場所。

私は母との関係が深刻でしたし、思い返せば、母は実の母との関係も最悪でした。

母は、実母が104歳で亡くなった時、その顔を見ようともしなかったし、通夜も告別式も
行きませんでした。心底実母を憎んでいた様子でした。たぶん今も。

そんなわけで、私の左腎臓の受け取るべきエネルギーは、健全ではなかったのでしょう。

それで、顔の右側ばかりに「吐き出し」が起こっているそうなのです。

そういうことなんだ・・・。

がっくりあきらめ顔の私に、先生は快活におっしゃいました。

「でもね、もう吐き出しは終わりの方に来ているからね。」

そうなんだ。ずっと嫌なことが続くわけではないんだ!では、この先希望を持とう!

腎臓は、先祖からのエネルギーを仲介する場所なのですって

2017-11-24 13:49:13 | 日記
引き続き、アントロポゾフィー医学での診察を受けていた時の話です。

腎臓は、もうひとつ、ご先祖様からのエネルギーを受け止め、私に送り出してくれる
役目も持っているんだそうです。

左の腎臓は男性の先祖からのエネルギーで、社会的にきちんとやっていかれるように、
その人をサポートするエネルギーなんだそうです。

右の腎臓は女性の先祖からのエネルギーで、その人本人の骨や歯を作ったり、
子供を産んだりお乳を出して飲ませたり、といった「生きる」「育む」ための
エネルギーです。

そんなことを現役のお医者さんに言われて、正直本当にびっくりしました。

でも、先生は真剣でした。

「医者なのにこんな怪しげなこと言って・・・。」
みたいな、ちょっとうしろめたいような恥ずかしいようなそぶりは、微塵も無かったです。

特に、右の腎臓の話をされている時には、力を込めておっしゃいました。

「自分でやってるわけじゃないんだよ。あなたのおばあちゃんやひいおばあちゃんたちが、力を送ってくれるから
あなたは生きて、子供を産んで育てることができたんだよ。」

まさか、と思いました。

私は毎日お仏壇にお線香を上げてお参りしますが、それはご先祖様達があちらの世界で幸せでありますように、
という思いだけでした。

だいたい知らないご先祖様の方が断然多いし、こう言ってはなんですが、婚家のご先祖様にはそんな親しみも
感じませんでしたしね。

でも「自分がやってるわけじゃないんだよ」という先生の言葉は、深く心に刺さりました。

おごってはいけないのですね。

生きてるって、自然に生きられているように錯覚してしまいますが、よく考えてみれば
とんでもない話です。

ましてや自分の力で生きてるなんて、ちょっと考えるだけでも、ありえないことがわかります。

目に見えない様々な力、ご先祖様だったり、さらに大きな大いなる存在の力を絶え間なく受け続ける
ことで、今日も今も生きているのが真実の有様なのでしょう。

しかも、それとわからないほど、つまりそんなこと全然考えもしないほど、自然にスムーズに
そういったことが行われているわけです。

そして、そのエネルギー受け渡しの重要な役割を担ってくれているのが、腎臓なんだそうです。

知らなかったわ~。

そんな大事な役割を毎日毎分毎秒! 腎臓さん、ありがとう!!

それぞれの内臓には、それぞれ引き受ける感情があるんだって!

2017-11-21 15:51:45 | 日記
アントロポゾフィー医学での診察を受けている時、先生は、内臓が感情を引き受けている、
との話をしてくださいました。

腎臓は、血液中の老廃物を濾過しておしっこを作るだけではないのだそうです。

腎臓は、不安や悲しみといった感情を引き受けるんだそうです。

だから、私たちが不安や悲しみを感じると、せっせとおしっこを作って、そういった感情を
外に出そうとしてくれるんだそうです。

確かに、私たちは緊張や不安を感じると、おトイレが近くなりますよね。

バス旅行なんかで、トイレが心配だとすぐ行きたくなってしまうのに、トイレ付きバスだと全然行きたくならない、
みたいな経験はよくあります。

私が小さいときからすごくトイレが近かったわけが、これでわかりました。

私は常に、母や父から怒られないかと不安でびくびくしていたし、いつも怒られていて
悲しかった、だからすごくトイレが近かったのだとわかりました。

今でもトイレが近いのは、そういう心のクセがついてしまっているからかもしれません・・・。

それから、肝臓は怒りを、胆嚢はガマンを引き受けてくれるんだそうです。

それを聞いて、自分がどれだけ肝臓と胆嚢に負担を強いてしまったのかと思いやられ、
心の中で必死に、肝臓と胆嚢に謝り感謝しました。

今回は、私の症状と直接関係なかったので聞けませんでしたが、肺、心臓、胃や腸、膀胱など
それぞれに、引き受けてくれる感情があるのでしょう。

生きていくための、さまざまな肉体的働きだけでなく、感情の引き受けまで24時間365日、
休むことなく黙々とやってくれているなんて!

本当に私たちは、内臓にどれほど感謝しなくてはならないのかと思います。

最近では、病気の原因の殆どがストレスだとも聞きますが、これで辻褄があいますよね。

私はあれから、お風呂に入っている時や寝る前などに、心を込めて腎臓や肝臓や胆嚢に、
またその他の内臓たちにも
「今まで本当にありがとう。そして今日もありがとう。辛い思いをさせてごめんね。」
と話しかけるようにしています。

必ず内臓とその細胞に通じている、通じないわけがない、と信じています。

顔面ヘルペスとアントロポゾフィー医学での診察 4

2017-11-19 13:24:44 | 日記
Y先生の診察とお話は、とにかくわかりやすかったです。

医学の知識も何も無いオバサンにも、すごく納得できるよう説明してくださるのでした。

私が、ヘルペスになる前は歩くのも早かったし、歩くことは好きで苦痛を感じることなど無かったのに、
ヘルペスの後、下半身がだるくて疲労感が強く、15分も続けて歩けなくなってしまったことを訴えますと
「脚が応援に行ったんだよ。」

と答えてくださいました。

応援? 脚が顔に応援?

顔面ヘルペスは、痛みも熱も続き、気力体力の消耗が酷い病気です。

その上私は、ヘルペスが出来た右顔面と同じ右の口腔内に「舌痛症」という難病を持っています。

なので、とても顔の右半分だけではヘルペスに対抗できないということで、私の身体の中でも強くて丈夫な
「脚」の部分が、顔の応援に行ったのだそうです。

そして、治るために、脚が持っていたたくさんのエネルギーを使ってしまったから、今疲れ果ててしまって
うまく歩けないのですよ、と教えてくださいました。

そうだったのか!

私は、ヘルペスのウイルスが、腰や脚に入ってしまって、また次の大きな病気が引き起こされるのではないかと
ものすごく不安だったのだけれど、これですっかり不安が無くなりました。

ならば、無理せず休ませてあげれば良いわけです。

身体や病気を全体で診ることで、また、身体を物質面だけでなくエネルギーの面から診ることで
こんなにわかりやすい説明になるのでした。

今の現代医学にそった、身体をパーツに分けて、それに基づく専門のお医者さん体制では、
こんな説明ありえません。

私の中学時代の友人は、ベテランの脳外科医師ですが、私の症状を相談しても首をかしげるばかりでした。

そもそも、皮膚科、内科、整形外科、どこに行けば良いのかわからなくて、でもどこに行ってもわからないだろう、
という絶望的な思いがあって、今までどこにも行かなかったのです。

でも少しずつ、電車とタクシーで行かれそうな体力が戻ってきたので、
「この医学なら、この先生なら」
というすがりつくような気持ちで来たのです。

本当にこのクリニックに来て、私は良かったです。




顔面ヘルペスとアントロポゾフィー医学での診察 3

2017-11-18 14:02:33 | 日記
一通りの質問が終わると、先生は立ち上がり、血圧計を出しながら
「さあ、お手伝いしましょう。」
とおっしゃいました。

お手伝い?

何を? 私が血圧計るお手伝い?

割に小さい声でさらっとおっしゃったので、もし他の人が聞いたとしても、
聞こえなかったり、気にせず聞き流してしまったりしてしまうかもしれません。

でも、私にはその「お手伝いしましょう」が、引っかかりました。

診察がどんどん進んで、先生のお話が終わって、待合室で会計を待っていた頃になって
ようやくわかりました。

先生は、私にというより私の身体に言ったのです。

「身体さんが、良くなろうとがんばっているのをお手伝いしましょう。」って。

そういう意味だったのだと思います。

そうして、私の脈をみたり、舌を見たり、足首や腕を押したり、お腹や背中をさすったりしながら
私の身体の声をじっと聞いていらしたのだと思います。

診察室には、検査の機械も無ければ、パソコンも無かったように記憶しています。

ベッドとテーブルと血圧計だけ。

先生自身が機械のようになって、どうやったら一生懸命がんばっている私の身体のお手伝いができるか考えていた、
あるいは身体と相談していらしたとしか思えません。

先生はどこまでも、主人公は私の身体だと知っていらしたのです。

たとえ病んでいたとしても、弱っていたとしても、主人公は患者さんの身体。

「身体は、それこそもう一生懸命、本人を助けよう生かそうと必死でがんばってくれている。

 その働きを信頼し尊重しないでどうします? 私は医者として、そのお手伝いをするだけですよ。」

そんな感じ。

相手の患者さんとその身体への、すごい敬意や愛情を感じませんか?

私は、とても感じました。泣きそうなくらい。

私の身体だって、それを感じて喜んだに違いないと思うのです。

「やっとわかってくれる人が診てくれた。がんばろう! 元気になろう!」って。

実際、私はあれから、自分の身体の内側から、なにかこう元気が蘇るのを感じるのです。

つづく