ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

憲法改正について

2012-12-23 19:08:44 | 徒然の記

 広い世間には、生まれ故郷を嫌悪し家族を煩わしがり、人間嫌いで一生を終える変人も、確かに存在する。

 しかし大多数の人は、ふる里に愛着を持ち家族を大事にして生きている。そしてふる里と同じように、生まれ育った国をないがしろにしないのが普通の人間だと、私の思考はここから出発する。

 幕末の志士のように、迸る愛国心や燃えるような祖国愛など、そんな激しいものでなく、世界の何処の国の人間もが持っている国への思いで、それが愛国心でないかと考えている。

 普段は意識の底に眠っていても、外国へ旅行をした時や、世界で活躍する日本のスポーツ選手を見た時、あるいは世界的な話題となる日本人を、ニュースで知った時などに突然湧いてくる強い思い。それは愛国心としか言いようのない、不思議な心の高揚だ。

 自分の国が蔑まれたり憎まれたり、謂れのない攻撃をされたりすると無意識のうちに怒りが生まれてくる。これもまた普通の話で、世界の誰もが自分の国に抱いている気持ちだ。この気持ちを持つ人間を、右翼的。軍国主義的という言葉で切り捨てようとするところに、私は反発せずにおれない。

 戦争は知らないが、私には、マッカーサー統治の記憶がかすかにある。軍歌を聞いていたら捕まえられると大人に脅され、レコード盤をそっと隠した思い出がある。中学、高校と進むと、日本を激しく批判する教師を見た時の驚きが、今も心に残っている。

 教師はまるで、大道商人が品物の叩き売りするように、決まり文句を、立て板に水と熱弁した。天皇崇拝による誤った全体主義、横暴な軍国主義、他国への侵略、残虐な戦争と、彼らは語った。欧米が同じことをしていた時代だったのに、どうして日本だけがそんなに言われるのだろうと、私には疑問だった。

 これほどおおっぴらに、歴史を否定する授業が行われている国が、日本以外に世界にあるのか、と政治家でもないのに疑問を抱いた。


 愛国心を否定し、反省と懺悔を強要したのは、第二次世界大戦の戦勝国だ。もっと言えば、アメリカだった。日本が二度と戦争をしないようにと、マッカーサーが日本を変革し、重要政策の一つが憲法の制定だった。

 米国による押しつけだったとしても、憲法の平和主義、民主主義、主権在民の理念が、日本人に希望を与えたのは事実だったと思う。

 憲法が果たした今日まで役割や、意義を否定しているのではない。敗戦の厳しい現実と憲法が、有頂天になっていた日本人を自問自答させたのだから、歴史的な役割があったと思っている。

 しかし時が流れ、あらゆる状況は変動する。現行憲法のままでは、日本人の心の問題が解決されない事実が出てきた。戦後70余年が経過したのだから、アメリカにもらった憲法を見直し、自分たちに相応しい憲法を作るべきと私は考える。

 反日と憎悪の歴史観を離れ、日本を世界史の中で眺めらる国にしなければならない。私のどこが右翼と言われるのか。それを言う安倍総裁が、なぜ右傾政治家と言われるのか。マスコミや、学識経験者と呼ばれる人びとに問いたいものだ。

 「赤信号、皆で渡れば怖くない。」

 日本人は素晴らしいと思う反面、一方ではこの標語にあるように、軽薄で短慮な傾向もある。左翼の人びとは軽薄なおのれを含め、「憲法改正」を警戒しているのだろうが、それもまた矛盾だ。

 彼らは政府を、米帝国主義の手先と攻撃しているが、アメリカに逆らってでも、自主憲法を作ろうとする自民党は反米的でないのか。日本人の心を駄目にしている憲法を、押し頂いている左翼政党の方こそ、アメリカにべったりではないのか。

コメント
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