読売新聞社政治部編「自民崩壊の300日」(平成21年 新潮社刊)を、読んだ。
安倍、福田と、一年ごとに総理が辞任し、次の麻生政権になり、これがまた短命内閣となった。民主党が意気盛んな頃の話だ。政治でなく政局の裏話で、新聞社の政治部というのはこんなことまで知っているのかと、改めて感心させられた。
リーマンショックという大嵐が到来したとは言え、思えば不運な麻生総理だった。高級官僚と手を携えて政治家が税金をむさぼり、当時の自民党の腐敗は酷いものだった。景気の先行き不安から国民が財布のひもを締めている時だというのに、腹立たしいまでの浪費が衆目に曝された。目に余る政治家と官僚の杜撰な金銭感覚が国の土台を腐らせ、「権力は腐敗する」という言葉の真実を、そのまま国民に知らしめた自民党だった。やり場のない怒りが民主党への期待となり政権が交代したと、今でも私はそう思っている。
だが、本題はそんなことではない。河野洋平氏の国会喚問についてだ。
慰安婦問題に関し、韓国に譲歩する官房長官談話を出した彼に怒り、ブログで何度か国会への証人喚問を私は主張した。あの時この本を読んでいたら、あれほどの単純さで書けただろうかと、思わされた。河野洋平氏がいったいなんだと、そんな思いで彼を攻撃したのだが、政権党から転げ落ちそうだった自民党の中で、安倍、福田、麻生政権を通じ、河野氏がどれだけ力を尽くしていたか。
森元総理や与謝野氏や福田氏や、あるいは公明党の政治家たちと行動し、彼に恩義を感じている政治家が政権中枢に沢山いることを知った。
そうなれば彼の国会喚問など、自民党と公明党に認められるはずが無く、反日の民主党だって反対なのだから土台無理な話だった。もし私のブログを目にする記者がいたら、読売はおろか、朝日だって毎日だって、「何も知らない奴がほざいている。」とあざ笑ったに違いない。「知らぬは庶民ばかりなり」で、まさに「目くら蛇に怖じず」の言葉どおりだったということ。
この本を読んでいたからと言って、河野談話を出した彼への怒りは変わらないが、あんな単純さでブログの意見を書かなかっただろうと、そういう反省である。
こうして読書を重ねていけば、沢山新しい事実を知るのだろうし、その度に過去を振り返るのであろうが、分かっちゃいるけど、止められない・・・・・。
これも生きるということなのだろうから、そう言うしかない自分だ。
晴れたり曇ったり、しかし春は確実に近づいている。硬い土の下から、ユリの新芽がかすかに頭を出している。小さいけれど、これが庶民の希望であり喜びであるということか。
安倍、福田と、一年ごとに総理が辞任し、次の麻生政権になり、これがまた短命内閣となった。民主党が意気盛んな頃の話だ。政治でなく政局の裏話で、新聞社の政治部というのはこんなことまで知っているのかと、改めて感心させられた。
リーマンショックという大嵐が到来したとは言え、思えば不運な麻生総理だった。高級官僚と手を携えて政治家が税金をむさぼり、当時の自民党の腐敗は酷いものだった。景気の先行き不安から国民が財布のひもを締めている時だというのに、腹立たしいまでの浪費が衆目に曝された。目に余る政治家と官僚の杜撰な金銭感覚が国の土台を腐らせ、「権力は腐敗する」という言葉の真実を、そのまま国民に知らしめた自民党だった。やり場のない怒りが民主党への期待となり政権が交代したと、今でも私はそう思っている。
だが、本題はそんなことではない。河野洋平氏の国会喚問についてだ。
慰安婦問題に関し、韓国に譲歩する官房長官談話を出した彼に怒り、ブログで何度か国会への証人喚問を私は主張した。あの時この本を読んでいたら、あれほどの単純さで書けただろうかと、思わされた。河野洋平氏がいったいなんだと、そんな思いで彼を攻撃したのだが、政権党から転げ落ちそうだった自民党の中で、安倍、福田、麻生政権を通じ、河野氏がどれだけ力を尽くしていたか。
森元総理や与謝野氏や福田氏や、あるいは公明党の政治家たちと行動し、彼に恩義を感じている政治家が政権中枢に沢山いることを知った。
そうなれば彼の国会喚問など、自民党と公明党に認められるはずが無く、反日の民主党だって反対なのだから土台無理な話だった。もし私のブログを目にする記者がいたら、読売はおろか、朝日だって毎日だって、「何も知らない奴がほざいている。」とあざ笑ったに違いない。「知らぬは庶民ばかりなり」で、まさに「目くら蛇に怖じず」の言葉どおりだったということ。
この本を読んでいたからと言って、河野談話を出した彼への怒りは変わらないが、あんな単純さでブログの意見を書かなかっただろうと、そういう反省である。
こうして読書を重ねていけば、沢山新しい事実を知るのだろうし、その度に過去を振り返るのであろうが、分かっちゃいるけど、止められない・・・・・。
これも生きるということなのだろうから、そう言うしかない自分だ。
晴れたり曇ったり、しかし春は確実に近づいている。硬い土の下から、ユリの新芽がかすかに頭を出している。小さいけれど、これが庶民の希望であり喜びであるということか。