内山秀夫氏著「政治は途方に暮れている」(平成6年刊 NHKブックス)を、3分の2まで読んだ。
昭和15年生まれだから、内山氏は私より3才年上だ。敗戦の年に2才だった私の記憶は朧げだが、氏にはハッキリ心に刻まれるものが多いのだろう。
この時期の3つの差は、二十歳以降の差とは比較にならない違いがある。
だが、これ以上氏の著作を読む意義があるのだろうかと、私は手を休めて考えている。
慶応大学の元法学部教授だった氏は、現在新潟国際情報大学の学長をしている。知識人を自認する彼は、もちろん沢山の本を読まれている。アメリカの政治学者k・ヴォリス、R・ダール、ダニエルベル、あるいはアメリカの経済学者K・ガルブレイス、ウォーラースティンなどの著書が彼の主張の根拠として沢山引用されている。
ルイス・ベネディクトやマックス・ウエーバーなど、おなじみの学者の言葉も彼の意見の飾りとして使われている。
日本で良く知られた丸山真男氏や姜尚中氏の言辞も出てくる。しかしこうして、権威で賑やかに身をまとう彼の印象は、私みたいな市井の庶民にすれば、氏には不本意だろうが、かって吉田氏が切り捨てた「曲学阿世の徒」に重なってしまう。
挿入句や修辞の多い氏の文章は、学生時代にカントやヘーゲルを読んだ時の困惑を思い出させた。
難解であることが知的レベルの証と思っているのか、分かる奴だけが読めば良いという傲慢さなのか。これもまた、学生時代に敬遠せずにおれなかった左系の友を思い出させてくれた。
だから共感とか、親しみとか、そう言うものは覚えられず、読み進むほどに心が離れていった。
「ミャンマーや韓国の民主化への努力が、私たちに感動を与えるのは、そこでは政治が死んでいないからに違いない。」かの国々の政治の混乱を見て、大変なことと同情はしても、感動なんてどこからも生まれない。明治以降の日本の指導者をこきおろし、戦前と戦後の政治家や国民を断罪する彼が、他国にはこんなことを言うのだから唖然とする。
同じ現象を目にしていても、頭の回路が違っていると、出てくる考えは反転するのだと、氏の著作が教えてくれた。
私が否定する現行憲法についても、彼は思ってもいない主張をする。しかも自分の言葉でなく、韓国人なのか中国人なのか、そんな知識人の言葉の引用だ。
「日本国憲法の第九条は、敗戦国の烙印ではなく、日本国の自らの選択によるものであり、このような憲法こそ、時代を反映してリードする先進性を持つものであり、そしてこのような憲法を持つ国こそ、普通の国のあるべき姿を世界に宣言する、もつとも良い方法ではないか。」
いや待て、彼は本の最初のところで、自分の言葉で憲法論を述べている。思い出したので、そのページを探して転記する。
「私たちの理想とは何か。言うまでもない、それは私たちの憲法である。" 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。" この憲法以外に、私たちに理想はない。」
内山氏はドイツの初代大統領だったヴァイツゼッカーの言葉を、金科玉条のごとく重用するが、先の大戦でドイツと日本のやったことの違いが、彼のような知識人にどうして識別できないのか。あの時ナチスドイツは、ユダヤ民族の地上からの抹殺を本気で考え実行した。彼らが謝罪したのは戦争についてでなく、ユダヤ人虐殺への反省であると、今では多くの人が知っている。本当に氏は知識人なのかと、首をかしげてしまう。
信じられない氏の主張だが、無視したり軽蔑したりするだけで済まされないと今は理解している。
こういう意見が日本では決して少数でないことや、自分で良心的と思っている国民を惹き付けていることなど、笑えない事実を知っているからだ。先日「九条の会」で挨拶した大江健三郎氏の話も、内山氏とすっかり似ていたし、皇后陛下までこんな妄言に同調されている。
彼らから見れば、私は右系の軍国主義者で歴史の修正主義者となるのだろうが、私にすれば、彼らこそが左系の反日であり亡国の徒なのだから、お互い様というものだ。
現行憲法を守ろうとする人間に、中国や韓国や北朝鮮が攻めて来たらどうすると聞いてみたら、
「逃げる。」「そのまま殺される。」・・・・・など、およそ信じられない言葉が返ってくる。大切な子供や妻や、親や兄弟が目の前で惨殺されても、自分だけ逃げるという考えにどうしたらなれるのか。
「右傾化した日本人より、中国や韓国人の方が親しみ易いし、第一彼らはそんなことはしない。」と、何を根拠に言うのか、こんなことまで喋る。
内山氏が著作で述べているのでなく、テレビや雑誌で著名と言われる反日の日本人の言葉を追加してみただけのこと。しかし、氏の主張を展開して行った果てには、こうした亡国の意見が待っている。
あとは省略するつもりだったが、ついでに追加しておくと、氏の目標は日本の「真の国際化」であるらしい。さて、その国際化とは、日本が日本の独自性を捨て、米国やイギリスや中国といった他国とスッカリ同じ思考回路になることだという。
いったいそんな国が世界のどこにあるのか。馬鹿も休み休み言えと、本気で怒りたくなる。
・・・・だから、この本はここいらで止めるがいいのだ。どうみたって愚かしい理屈の遊びにしか見えないが、真面目な氏が本気で、真摯に、著作を書いているから、そこに敬意は表しておこう。燃えるゴミとして鼻紙や野菜クズと一緒に捨てた本多勝一の本と同じには扱わず、有価物回収の本に混ぜて出すとしよう。
それだって、行き着く先は再生の段ボールか、トイレットペーパーだろうから、それで妥当な気がする。
肌寒いけれど、陽の光が暖かく優しい。庭のサクランボの花が開き始めた。どこから来るのか、愛らしいミツバチが10匹くらい花の周辺を飛び回っている。満開になったら、群れ飛ぶミツバチの羽音がさぞかし賑やかなことだろう。さくらんぼが沢山熟れたら、今年もジャムと果実酒を作るとしよう。
本のことなんて、忘れてしまう楽しい期待。これでなかったら、とても庶民は生きていけない。愚鈍であることの有り難さよ。内山氏みたいな知識人でなくて良かった・・・・・。