ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

小沢氏の「日本改造計画」

2015-03-24 18:52:59 | 徒然の記

 小沢一郎著「「日本改造計画」」( 平成5年 講談社刊 )を、読み終えた。

 氏は、昭和17年岩手県に生まれ、42年に慶応大学を卒業し、昭和44年に史上最年少で衆議院議員に当選した。「日本を普通の国する。」という、氏の主張に惹かされ、民主党に合流した当時の彼を、私は応援していた。

 それなのに、反日と売国の政治家たちに同調する姿勢を、顕著に見せ始め、次第に幻滅を覚えさせるようになった。だから一度手に取り、確かめてみたい彼の著書だったので、廃棄図書の中から探し当てた時は嬉しかった。

 民主党が政権にいた頃の彼は、総理大臣より力を持ち、百人を超す議員や取り巻きたちを引き連れ、中国で笑顔を振りまいた。陛下と習近平との会談をセットするため、陛下のスケジュールまで変更させるという、不遜な横車も押した。

 慰安婦問題で日本を貶めている、韓国を訪ねても、肝心なことには触れず、お世辞と追従で終始した。そんな彼が、どんな対米観を持っているかとページを繰ると、これがまたアメリカへの屈従だった。

 「日本は、国防の基本方針の第一項に、国連中心主義をうたってはいるものの、」「実質的には、日米安保体制のもとに、独立と平和を保ってきた。」「自由、基本的人権の尊重といった価値観も、日米は共有している。」「この点から考えても、国際平和維持のための貢献は、アメリカと緊密に協調して行うべきである。」

 国際紛争の解決に、日本が軍事的貢献をしないのは、「日米安全保障条約へのただ乗り」であり、許されないと言う意見だ。彼の根本には「米国との、強固な協力関係の持続」という不動の考えがあり、ここからすべての主張が展開されていく。

 さてそこで、彼が言う「日本を普通の国する。」ということの中身は、どんなものであるか。

  「実際には、どのようにして国際社会の正義と秩序を、維持していくのか。」「それは世界の国々が加盟し、かつ唯一の平和機構である、国連を中心とする以外にない。」
 「自衛隊を、国連待機軍として国連に提供し、その平和活動に参加することは、」「憲法前文の理念、第九条の解釈上可能であるだけでなく、」「むしろそれを実践することとなる。」

 戦争放棄の憲法を改正することが、難しいのなら、自衛隊はそのままにし、別組織の軍隊を作れば良いと言う理屈だ。

 「この活動は、第九条が禁じている国権の発動、つまり日本独自の判断による、」「海外での武力行使とは、形式上も実体上も明らかに異なる。」「二つは厳格に区別して、考えなければならない。」

 得意そうに述べるが、別組織として作られ、国連に提供された軍隊とは、いったい何であろうか。他の国々の軍隊は、役目が終わると祖国へ戻り、自国の軍隊に再編入されるが、日本の軍隊には戻る場所がない。

 武力行使の出来る軍隊が、先守防衛しか出来ない自衛隊と混在できる訳がない。帰るべき祖国のない軍隊など、世界の何処にあるというのか。所属する指揮官や、兵士たちの士気は、どうなっていくのか。

 氏は簡単に「国連に待機軍として提供する」と言ってのけるが、提供された軍人は、まるで祖国から捨てられた、棄民ではないのか。軍人を軽視する彼は、指揮官や兵士の人格や人権や、その家族たちの怒りや悲しみに、どう向き合おうとしているのか。こんなことで、日本が普通の国になれるという、彼の頭は正常なのか。

 世界のどこにもないような軍隊を作り、国連に提供するなど、そんな国のどこが普通なのか。異常で奇怪としか思えない考えを、彼はどうして世間に発表したのか。

 中国が尖閣諸島を侵略し、沖縄を侵犯したとして、果たして国連は、軍隊を派遣してくれるのか。常任理事国に、中国がいることを思い浮かべるだけで、国連があてにならないことが素人にも分かる。竹島を占拠し、対馬まで自国のもと言い出している韓国にも、国連は何もできない。捏造の慰安婦問題にしても、韓国のいいなりなって日本を糾弾したのは、国連の委員会だったではないか。

 まして事務総長が潘基文となれば、日本への理解や共感などカケラも期待できない。剛腕の政治家と呼ばれ、政界の実力者と持ち上げられた彼なのに、国連への素朴な信頼は、どこから生まれているのだろう。私もいい加減お人好しだが、国連に対する、少年のように幼い、彼の信奉ぶりは驚きとしか言いようがない。

 本が出版された時の状況を、知らないが、世間はどんな評価をしたのだろう。不思議でならない。私の本棚には吉田茂の、「日本を決定した百年」と、田中角栄の「日本列島改造論」がある。小沢氏の著作を読む前は、彼の本も並べるかと思ったりしたが、今はもうそんな気が微塵もない。

 毀誉褒貶が沢山あるが、吉田氏も田中氏も、やはりひとかどの人物であり、一級の政治家だった。本の中身には、それだけの重みと説得力がある。しかし小沢氏の本は、彼らの著作と並べるには、レベルが違いすぎ、恥ずかしくて、私にはできない。一番いいのは、何時ものように、「有価物回収の日」のゴミとして処分することだろうか。

 「小沢一郎と、山本太郎とその仲間たち」などと、どこの世界に、こんなふざけた名前の政党があるのだろうか。共産主義革命を、暴力ででもし遂げようとしているのが、「その仲間たち」の実態だ。過激派学生の成れの果てと、辣腕保守の成れの果てとが結びつき、いったい何をしようというのか。

 市場開放、規制撤廃、外国人労働者の大量受け入れなどなど、この本の後半には、安倍総理と似た主張が述べられているが、現在の彼は、安倍総理のやることには、何もかも反対なのだから、支離滅裂の政治家だ。

 私のブログは「みみずの戯言」だが、さすがに「小沢のたわごと」には負けてしまう。正直な気持ち、これ以上つき合っておれない・・。

コメント (4)
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