臼井勝美氏著「満州事変」(昭和49年刊 中央公論社)を読了。氏は大正13年に栃木県で生まれ、京都大学文学部を卒業後九州大学の助教授を経て、最後は筑波大学名誉教授となっています。
大正・昭和初期の日中関係史の重鎮であり、外務省で外交文書の編纂にも従事したと言われています。それだけに、多くの事実が詳述され、沢山のことを教えられました。自分が知りたいと思い続けてきた歴史の一端が、解き明かされたという感がしました。
事実が込み入っているため、読書にかかる前、ネットの情報で関係事項を整理してみました。「満州事変」「満州帝国」「上海事変」と、時系列に並べ、要点だけを抜粋しました。
1. 「満州事変」 昭和6年9月、関東軍が南満州鉄道を爆破し、これを中国軍の仕業だとして、満州の大半を占領した。
2. 「満州帝国」 昭和7年、元清朝の宣統帝溥儀を執政として迎え、中国から独立させ、日本が満州に作った傀儡国家。昭和20年8月、日本の敗戦とともに消滅した。
3. 「上海事変」第一次と第二次に分かれる。
第一次・・・昭和7年、中華民国の上海共同租界の周辺で起きた、日華両軍の衝突。
第二次・・・昭和12年7月盧溝橋事件、8月大山中尉殺害事件が発生し、日華両軍が本格的戦争に突入した。当時の日本人居留民は約二万人で、この保護のため日本軍が約四千人駐留していた。中国軍は、約3万人の大軍で攻め、殲滅作戦で向かってきた。
実態は戦争なのに、当時は何故か「事変」と呼んでいました。戦争を事変などと言っているのは、日本軍が、いかに中国を蔑視していたかという事実の現れであると、昔読んだ本では説明されていました。日本の軍人や政治家たちが、あっと言う間に中国を破るという力のおごりが、こうした言葉を使わせたと書いてありました。今日までそれを信じてきたのですが、臼井氏の著作を読み、あれが偏見に満ちた本だったと分かりました。
「宣戦布告し、戦争だとハッキリさせると、米国が中立法に従い、」「石油の輸出を禁止するのを恐れ、政府は事変という言葉を使った。」「日中とも同じ事情で、米国の輸出禁止を警戒していたため、双方が戦争と認めるのを嫌った。」事実はこうだったのです。
当時松井大将は、政府に宣戦布告を要請しましたが、近衛内閣が受け入れず、このまま泥沼の日中戦争へと続いてしまいます。力に奢っていたとか、中国軍を軽視していたとか、書名も著者名も忘れていますが、あれこそが捏造の歴史本だったのでしょう。
さてここで、当時の中国について、氏の著作から引用してみましよう。「昭和3年、蒋介石の北伐が一応成功し、」「形式的には、国民政府による中国の統一が達成されたのであるが、」「実際は、諸軍閥が各地に武力を保持して割拠し、」「地方財政をほしいままにして、半独立状態を続けており、」「これら軍閥の離合集散をめぐり、中国各地には、絶えず内戦が展開されていた。」
ジョンソン米国公使は、事態を次のように観察していた。「内戦の展開は、華南における共産党の活躍に好機を与えている。」「国民政府にとって、北方軍閥の反政府行動とともに、」「南方における土匪や共産分子の活動が、憂慮すべきものとなっている。」
中国には日本のみならず、アメリカ、イギリス、フランス、イタリアなど、欧米諸国が主要都市に進出し、領事館や教会や商館を建て、自国の居留民保護のため、軍隊を派遣していました。昭和5年に、共産党軍が長沙へ進入し、火災と略奪で市内は混乱状態に陥り、国民党政府や党の建物、イギリスやアメリカの教会、日本領事館や日本商店が焼き払われました。
この時幣原外相は、東京駐在の汪・中国公使に、二千余名の日本人居留者保護のため、軍艦二隻の派遣の了解を求めました。幣原外相と汪公使のやりとりが引用されていますので、そのまま転記します。
「共産軍の脅威を受けているので、軍艦を派遣するが、」「正規軍を相手にするものに非ざるはもちろん、」「いわゆる人道上の共同の敵たる匪賊に対する、予防のためなるにつき、」「誤解なきを希望す。」
「日本の軍艦派遣は、結局政府軍の手薄を補充して、」「地方の公安維持に貢献することになるので、」「反対する理由はない。」
汪公使は、日本の軍艦派遣が、国民党政府軍の補充となると述べています。欧米諸国も共産党軍と応戦し、自国民を守っています。それなのに東京裁判では、日本だけが中国を侵略し、暴虐の限りを尽くしたと、そういうことになっており、私たち国民の多くがそれを信じています。
しかも幣原外相の言葉で、共産党軍は、「いわゆる人道上の共同の敵たる匪賊」という表現になっています。つまり国民党政府と日本政府共同の敵、匪賊という扱いです。かって江沢民主席は、事あるごとに「日本は歴史を知れ、過去の歴史を学べ。」と、日本政府と日本人を責めましたが、彼らの方こそ、自分たちが匪賊から出発しているという歴史を、もう少し学ばなければなるまいと思えてきます。言っても無駄な話ですが、中国政府の指導者には、廉恥心と謙虚さが足りません。
そうは言いつつ、満州事変と満州帝国の設立につきましては、日本による中国侵略という面が否定できません。今日の目で見れば、いくら日本びいきの私でも、関東軍の暴走を肯定する気にはなりません。この点に関し、中国政府と国民が日本の横暴を責めるのは、当然であると思います。
反日の野党議員と私が異なるのは、「何もかも、日本だけが悪い。」「日本だけが間違っていた。」と、自分の国を憎み、蔑まないところです。大切なことは、時代の状況です。日本が悪いとするのなら、他の欧米諸国も同じであると考えるのが道理というものです。売国の野党議員の言葉を借りるなら、「日本だけ差別するな。」という理屈です。
多くの日本人が、中国侵略の事実を認め、反省しているからこそ、政治家も経済人も、莫大な資金を中国へ注ぎ込み、巨額の支援金を払い続けているではありませんか。軽蔑され、罵倒され、無視されても、反論の一つもせず、黙って我慢してきた70余年があるのです。
でも、もうそろそろ私たちは、自分で、過去の歴史をおさらいする時が来ています。他人の言葉で過去を理解するのでなく、自分の目と頭で、過去を知る、あるいは過去を見直す時が、今ではないでしょうか。そうしなければ、現在の日本が正しく掴めないと、思えてなりません。
敗戦後の70余年は、歪められた歳月であったと、国民の多くが自分で納得する日が近いような気がいたします。憲法の改正も、皇室典範の見直しも、自衛隊の国軍としての位置づけも、国民の総意で是正したいものです。
「憲法が保障しているのは、少数者の意見の尊重です。」民進党の山尾議員は、そう言って自民党の法改正に反対しますが、民主主義の基本を無視したこんな意見が、国会の場で堂々と述べられる喜劇に、私はもう飽き飽きしています。自分たちが多数を得た時は、民意だと言って得意になる民進党ですから、話にならない屁理屈です。国民がもっと歴史の事実を知れば、こんな反日の野党にいつまでも大きな顔をさせておかないはずです。
獅子身中の虫、除去すべき害虫でしかない野党さえ消滅したら、私たちは、安倍政権の愚策や失政について、もっと厳しく語れるようになります。若者の希望を持てなくする格差社会や、国の崩壊につながる無節操な移民政策、あるいは犯罪を助長するだけでしかないカジノ法案など、許せない政策が沢山あります。反日と亡国の野党に比べればと、賢明な国民の多くは我慢していますが、その必要も無くなります。
本日はここまでとし、続きは明日にいたします。長い間ブログを離れていましたので、まだ思考が回復しておりません。