出口宗和氏著「太平洋戦争99の謎」(平成7年刊 二見書房)
氏は昭和20年に大阪生でまれ、立命館大学で中国思想を専攻していましたが、学園闘争で同大学を中退し、出版社に勤務します。その後博覧会のプロデュース活動をおこない、横浜博、花の万博、韓国国際博などを手がけています。
博覧会のプロデュースという職業について、そんな仕事があるのか、私は知りませんので、略歴から氏の人物像を得るのは困難でした。しかし、学園紛争で大学を中退するというのですから、学生運動家だったという推測はできます。氏の人物像に拘っていますのは、読後の感想がとても不愉快だったからです。先に読んだ福田、野原両氏も反日の左傾思想を持っていましたが、玉音放送を聞いた愛国少年だった両氏には、戦前の政府や軍部を憎む理由がありました。
しかし出口氏は、私より1才年下ですから、戦前の記憶は皆無でしょう。反日になる動機といえば、日教組の教師による日本否定の授業を受けたか、朝日新聞の平和・人権の記事を読んで影響されたか、せいぜいそんなものでしょう。同じ本を読み、他人の話を聞いても、一旦強い思い込みをすると、全部曲がって受け止めてしまうという、その最も良い例がこの本です。
大東亜戦争につきましては、その始まりからして複雑な要因が絡み合い、入り組んだ事件が錯綜しています。敗戦後の日本を、「間違っていた軍」「間違っていた政府」「悪意の軍人」という結論から眺め、そうした事実ばかりをつなげていけば、氏のような意見が導き出されます。沢山ある事実の中から、自分に都合の良い話だけを並べるのですから、「間違った戦争」でも、「悪意の軍人」でも、思うままに描き出せます。
「太平洋戦争99の謎」という項目の中には、私が始めて知る事実もありましたが、多くは既知の話を反対側から眺めているような、故意の悪意が目立ちました。例えば、日中戦争についての次の記述です。
「昭和12年に、日華事変が勃発したが、これは事変だった。」「事変というのは、正式な国家間の戦争ではない。」「帝国日本から言えば、膺懲なのだ。」「つまり、懲らしめることなのである。」「支那を膺懲する、何とも身勝手で、思い上がった理由だ。」
「蒋介石政権が、日本が勝手に作った満州国を認めない。」「だから膺懲する、理由はそれだけだ。」「そして、中国のあらゆる利権を食い物にしようとした。」「これが日本と中国の戦争である。」「これを支援したのが、米英蘭。」「太平洋戦争は中国問題で始まるが、」「陸軍の中国侵略が全ての発端だったと言える。」
「太平洋戦争99の謎」の中の、76の部分ですが、氏がいかに無知であるかを示す叙述です。先日私は、臼井勝美氏の書かれた「満州事変」の書評を、ブログにしました。氏は大正13年に栃木県で生まれ、京都大学を卒業後、最後は筑波大学名誉教授となっています。大正・昭和初期の日中関係史の重鎮であり、外務省で外交文書の編纂にも従事したと言われています。
ここで、臼井氏の説明を再度転記します。
「宣戦布告し、戦争だとハッキリさせると、米国が中立法に従い、」「石油の輸出を禁止するので、これを恐れ、政府は事変という言葉を使った。」「日中とも同じ事情で、米国の輸出禁止を警戒していたため、双方が戦争と認めるのを嫌った。」
事実はこうだったのです。ついでにその時の私の意見を、これも再度転記します。
「 実態は戦争なのに、当時は何故か「事変」と呼んでいました。」「戦争を事変などと言っているのは、」「日本軍が、いかに中国を蔑視していたかという事実の現れであると、」「昔読んだ本では説明されていました。」「日本の軍人や政治家たちが、あっと言う間に中国を破るという力のおごりが、」「こうした言葉を使わせたと書いてありました。」
「今日までそれを信じてきたのですが、臼井氏の著作を読み、あれが偏見に満ちた本だったと分かりました。」
そして再び、本日私は、出口氏の偏見に満ちた本を手にしたという話です。まして満州国の進出につきましては、出口氏のような、単純化した説明は間違いです。満州国成立の前段階で、孫文は、日本が共産党を倒し、中華民国の設立に手を貸してくれるなら、満州は譲渡するという口約束をしています。
中国の国父と言われる孫文は、蒋介石の先達であり、中華民国の初代総統でもあります。当時の満州は、果てしなく広がる荒野で、治安も悪く、ほとんど人が住めない土地でした。欧米諸国は、むしろ日本の進出を歓迎し、黙認していました。彼らもまた、植民地における中国人の暴動に悩まされていましたし、なによりも、日本が満州でソ連と対峙してくれることを歓迎していました。
そうしたことを何も知らないのか、故意に省略しているのか、日本への悪意と、偏見の悪臭が立ち昇るので、忍耐を要する読書でした。過ぎ去った昔を、後から批判するのは簡単です。いろいろな事実が分かった現在の目で、過去の事象をあれこれ語るのは、無責任な素人談義に過ぎません。デマやゴシップを売り物にする、三流週刊誌の記事みたいな本で、売れれば儲けものだという作者の意図だったのかも知れませんが、こんな悪書が流通しているのですから、酷い話です。
99の馬鹿話を紹介する愚行は致しませんが、「まえがき」に書かれた、出口氏の主張だけを紹介しておきます。何を根拠にこんな断定をしていますのやら、恥知らずな氏です。福田・野原氏と同じ左傾思想の持ち主と言いましても、出口氏には国を大切にする心が、カケラもありません。
「太平洋戦争における戦闘・作戦は数百を超える。」「だがそれらのいずれもが、戦闘に対する危機管理は微塵もみられず、」「ひたすらエンドレスの破滅への道を選択するしかなかった。」「典型的な危機管理の欠如、これが太平洋戦争の教訓であった。」
「歴史のイフは、許されない。」「しかし、歴史の教訓は常に學ばなければならない。」「人命尊重が先行させられていたら、太平洋戦争の膨大な犠牲はなかったし、」「あるいは、戦争そのものも、なかったのかもしれない。」「今日も阪神大震災の惨禍を見るにつけ、」「太平洋戦争における、歴史の教訓を改めて知らされる思いがした。」
22年前の阪神大震災の時、出版されたのだと分かりますが、その後でさらに大きな、東日本大震災が起きています。氏の理屈でいきますと、太平洋戦争での歴史の教訓を學ばないから、危機対応ができていないという話なのでしょう。
しかし私の耳には、別の意見も届きます。阪神淡路大震災の時の総理は、社会党党首の村山富市氏であり、東日本大震災時の総理は民主党の菅直人氏でした。どちらも反日政党だったから、自衛隊を敵視し、出動要請が遅れたため、被害をさらに大きくした・・・・、というものです。
何も、大東亜戦争まで話を持っていかなくとも、災害の被害を大きくした原因は、氏のような反日思想にあると、そんな簡単な話ではありませんか。こんな胸糞の悪い本は、資源ゴミとして再生する価値はありません、本多勝一の「南京の旅」と同じ扱いにし、野菜くずや、その他の生ゴミと一緒にして、ゴミステーションに打ち捨てます。