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ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

マスコミが画策する次期総裁候補

2017-07-21 16:40:18 | 徒然の記

 平成24年石破氏は自民党総裁選に出馬し、立候補した五人の中でトップの得票を得ました。

過半数の得票にいたらなかったため、国会議員のみによる二回目の投票が行われ、地方票ではダントツの165票を獲得していましたが、国会議員票では89票となり、108を獲得した安倍氏に敗れました。

 この実績を思いますと、安倍政権打倒を目指すマスコミが、石破氏を担ぎ出そうとしている意図も、まんざら絵空ごとと言えなくなります。当時地方での石破氏への支持は、安倍総理をはるかに上回っていたのですから、可能性が無しとも断定できません。マスコミが誉めそやせば、疑いもせず乗ってしまう衆愚が沢山いますから、とんでもない総理が誕生する恐れがあります。

 いつものようにネットの情報で、石破氏の経歴を再確認しました。

 石破茂 昭和32年生まれ、自民党衆議院議員を10期つとめ、現在石破派の水月会会長。防衛庁長官、防衛大臣、農林水産大臣、自民党政務調査会長、自民党幹事長、国家戦略特別区担当大臣、兼地方創生担当大臣。
 
   [ 石破 派 19人 (衆院 18、参院 1 )   ]

 山本有二 鴨下一郎 伊藤達也 田村憲久 後藤田正純 古川禎久 平将明 赤沢亮正
 
 斎藤健  冨樫博之 田所嘉徳 神山佐市 石崎徹   山下貴司 福山守 門山宏哲
 

  自民党議員としての経歴は、立派です。けれども私は、氏が現実に総裁となった後の日本を、大いに憂えます。氏が防衛大臣であったとき、中国紙のインタビューに応えてなんと語っていたか。私は今回初めて知りました。

1. 第二次世界大戦は、日本の指導者たちが、何も知らない国民を騙して行った、間違った戦争でした。だから、私は、A級戦犯の祀られた靖国神社には参拝しません。

2. 南京事件については、否定する日本人もいますが、30万人とか、何人とか言うことは別の問題で、虐殺があったということは否定できません。

3. 慰安婦問題につきましては、いろいろな見解がありますが、日本軍の関与は間違いありません。

4. 戦前の日本の指導者たちが、大東亜戦争と主張したのは、侵略戦争に対する一種の詭弁です。日本は、中国に謝罪すべきです。

 亡くなられた渡部昇一氏は、この記事を読み、これが、日本の立場を護るべき政治家の言葉なのか。現役の防衛大臣の談話なのか、反日のプロパガンダに利用される危険性にも気づかないのかと、石破氏を批判しました。こうして渡部氏は、当時の石破防衛大臣を「国賊」と断じました。

 ところがつい先日、氏は韓国紙のインタビューに応じて、次のように語っています。

「慰安婦問題に関する日韓合意については、日本は、韓国が納得するまで努力しなければならない。」

 反日の韓国が、またも言いがかりをつけ、問題を蒸し返しているというのに、石破氏は韓国に迎合しています。新政権になった韓国の大統領は、どれだけ石破氏の言葉に勇気づけられることでしょう。

 ネットの情報でこれらの事実を知ったとき、石破氏は、共産党か、民進党の議員だったのかと首を傾げてしまいました。自民党の中で獅子身中の虫として、生息し、子分を増やし、日本の崩壊を企んでいるのは、まさに石破氏であったかと、驚いてしまいました。

 戦後の呪縛から脱し、日本を取り戻したいと願う私たちの前で、あろうことか自民党の幹部議員が、東京裁判史観を押し頂き、靖国神社を否定し、中国や韓国の仕掛ける情報戦に加担しているとは、信じられない話ではありませんか。

 こんな魂の腐った議員だからこそ、反日のマスコミが目をつけ、利用しようとしているのです。私たち国民は、彼らに、油断も隙も見せられません。

 政界には風見鶏が沢山いますが、氏もまた信念の定まらない政治屋の仲間でした。平成5年、細川政権の時に自民党を離党し、「改革の会」に参加しています。その後「自由改革連合」を経て、「新進党」に加わり、平成8年に小沢一郎党首に失望し、また離党しています。氏がいつの時点で自民党に復党したのか、興味もないので知りませんが、政党をうろつく人間にロクな政治家はいません。

 偏見と言われようと、私はこの考えを捨てません。自民党を飛び出して、また帰ってきたあの河野洋平氏が、どれだけ日本を貶め、日本人の心を傷つけたか。忘れることができません。まして皇位継承問題につきまして、氏は、保守政治家らしくない粗雑な意見の持ち主です。

「将来的に皇族は、悠仁親王ただ一人になってしまう可能性が否定できず、」「男系男子のみで皇位を継承し続けることは不可能に近い。」「皇室の安定的な継続を考える上で、このことに関する議論を避ける訳にはいかない。」

「旧宮家の復活案もあるが、一般国民として長く人生を送ってきた人物を、皇位継承者とすることは妥当性に疑問がある。」

「皇室が途絶えることは、日本の国体そのものの滅失を意味するものであり、男系男子の皇位継承を基本としつつ、女系天皇の可能性も敢えて追求するべき。」

 日本古来の歴史と伝統を踏みにじる、亡国政治家独特の意見であり、反日のマススこみが喜びそうな主張です。次期総裁戦を見据えながら、安倍総理の背後から、反撃の矢を放っています。最近の氏は、武士道精神の片鱗もない、祖国に害をなす言動ばかりです。私には、渡部氏が氏を国賊と切り捨てた気持ちが分かります。

 保守を自認しつつ、安倍政権を攻撃する人々に問うてみたくなります。

 「安倍総理を引きずり倒した後、」「石破氏みたいな後継者でいいんですか。」「それで日本の何が守れますか。」

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国家の品格 - 2

2017-07-21 00:34:35 | 徒然の記

 藤原氏の「国家の品格」の続きです。

 氏の著作の一番の特色は、「武士道精神の復活」という所にあります。敗戦後の日本が失ったのは、武士道精神であり、これを復活させれば日本は再生する。そればかりか、世界に範を示す最高の国になると、簡単に言えばこれが氏の考えです。

 武士道の復活につきましては、一も二もなく賛成します。氏はこれで日本が世界に範を示す国となり、人類に貢献すると言いますが、私はそこまでは風呂敷を広げません。しかし元気いっぱいで、なんとも興味深い主張です。

「武士道はもともと、」「鎌倉武士の "戦いの掟" でした。」「いわば戦闘の場における、フェアプレイ精神をうたったものと言えます。」「鎌倉時代以降、二百六十年続いた平和な江戸時代において、」「武士道は、武士道精神へと洗練され、」「物語、浄瑠璃、歌舞伎、講談などを通して、」「町人や農民にまで、行き渡ります。」

「武士階級の行動規範だった武士道は、」「日本人全体の行動規範となっていきました。」「この中には、慈愛、誠実、忍耐、」「正義、勇気、惻隠などが盛り込まれています。」「惻隠とは、他人の不幸を感じ取る敏感さです。」「それに加えて、名誉と恥の意識もあります。」「名誉は、命よりも尊い。」「実に立派な考え方です。」「この武士道精神が、長年、日本の道徳の中核をなしてきました。」

  二年前に私は、岬龍氏の著「武士道」を読みました。明治時代に出版された、新渡戸稲造氏の英語版著作を翻訳したものです。新渡戸氏の英文が素晴らしかったのか、岬龍氏の翻訳が優れていたのか、私には分かりませんが、あの時の感動を今も忘れていません。二年前のブログですが、そのまま引用してみます。

 「 武士道は、日本の象徴である桜花とおなじように、日本の国土に咲く固有の華である。」
書き出しの言葉が、胸に心地よく響き、こうした語り口で始められるとは、予想だにしていなかった私は、知らずに襟を正させられました。

 あの時の私は、新渡戸氏の言葉をそのまま、身を引き締めてブログに転記しました。
「それは我が国の歴史の標本室に保存されているような、古めかしい道徳ではない。いまなお力と美の対象として、私たちの心の中に生きている。たとえ具体的な形はとらなくとも、道徳的な香りを周りに漂わせ、私たちをいまなお惹きつけ、強い影響下にあることを教えてくれる。」

 「武士道を生み、そして育てた、社会的状態が失われてからすでに久しいが、あの遥かな遠い星が、かって存在し、いまでも地上に光を降り注いでいるように、封建制の所産である武士道の光は、その母体である封建制度よりも生き延びて、この国の人の倫(みち)のありようを照らし続けているのだ。」 

 同じく武士道を語っても、藤原氏とは違った格調が感じられます。しかし武士道を語る熱意と、真剣さは同じですから、私は藤原氏の本を真面目に読みました。恥ずかしいことに、政治家も教育者も、マスコミ関係者も、ついでに言えば、こうしてブログを書いている私自身にしましても、現在の日本人には「武士道精神」のカケラもありません。

 今上陛下を頂点とし、平成の日本人は、日本の固有の伝統を軽視し、我欲を主張し、ひどい世の中となっております。だから私は、愚直に、懸命に、私たちに訴える藤原氏の言葉にいっそう惹かされます。たとえその叙述に、新渡戸氏ほどの格調がなくとも、気になりません。博学な氏が、武士道について、別の角度から教えてくれます。

「美的感受性や、日本的情緒を育むとともに、」「人間には一定の、精神の形が必要です。」「論理というのは、数学でいうと、ベクトルのようなものですから、」「座標軸がないと、」「どこにいるのか、わからなくなります。」

「人間にとっての座標軸とは、行動基準、判断基準となる、」「精神の形、すなわち道徳です。」「私は、こうした情緒を含む、精神の形として、」「武士道精神を復活すべしと、」「二十年以上前から考えています。」

 「武士道に、明確な定義はありません。」「新渡戸稲造は、武士道を書いていますが、」「それは外国人に、日本人の根底にある形を解説するため、」「新渡戸の解釈した武士道です。」

「武士道は死ぬことなりと見つけたり、という、」「有名な葉隠は、山本常朝という人が口述した、」「佐賀鍋島藩の、武士道に過ぎません。」

  武士道には沢山の解釈があるけれど、氏は、新渡戸氏の「武士道」が一番好きだと言います。新渡戸氏の武士道には、キリスト教的な考え方も入っており、元々の武士道とは異なっているという意見もあるそうです。氏は、「近代的武士道」は、新渡戸氏が打ち立てたものだという解釈をしています。

 武士道に流れ込んでいる様々な精神についても、氏がつまびらかにしてくれます。

「まず仏教。」「特に禅から、運命を引き受ける平静な感覚と、」「生を賎しみ、死に親しむ心を貰いました。」「儒教からは、」「君臣、父子、夫婦、長幼、朋友間の、五倫の道や、」「為政者の、民に対する仁慈を取り入れました。」

「神道からは、主君に対する忠誠、」「祖先に対する尊敬、」「親に対する孝行などの美徳を、取り入れました。」「もっとも中心にあるのは、日本に昔からあった、」「土着の考え方です。」「日本人は万葉の時代どころか、縄文の時代ですら、」「卑怯なことはいけない、」「大きな者は、小さな者をやっつけてはいけないといった、」「皮膚感覚の道徳観と、行動基準を持っていたのではないかと、」「思います。」

 私が新渡戸氏の「武士道」の本を読んだのは、たかだか二年前です。二十年以上前から考えていた氏には及びませんし、万葉や縄文の時代まで出されますと、耳を傾けるしかありません。

「禅や儒教は舶来のものではないかと、言う人がいるかも知れません。」「禅はもちろん中国で生まれたものですが、」「中国にはまったく根つかなかった。」「禅は、中国人の考え方と相容れないもので、」「日本の土着の考え方と、非常に適合性が高かったということです。」

「鈴木大拙氏の言葉によると、日本的霊性に合致していたのです。」「禅と儒教は日本人の間に、古くからあった価値観です。」「理論化したのは、中国人ということです。」

 こうした論理があの中国で通じるかにつき、私は疑問でなりません。禅も儒教も、日本で昇華させたと言いたい気持ちは分かりますが、世界の中心が中国で、周辺は野蛮国だとする隣国が黙っていると思えません。もともとは中国から伝来したものですから、感謝しますと、そういえば良いだけの話と、私は素直に考えます。

「私は、祖国を深く愛しておりますので、」「愛する日本の素晴らしさを伝えようとすると、」「どうしても、熱がこもってしまいます。」

 氏は正直に告白していますが、ほどほどが良いと思えてなりません。庭園の技が世界一、茶道も、花道も、書道も、香道も、日本に特有の素晴らしい文化だ、日本の四季は世界一だと、確かに氏は、熱を込めて語ります。個別の事例を挙げていけば、どこの国にもお国自慢があるのですから、しまいには子供の喧嘩みたいになってしまいます。ひいきの引き倒しと、私が言うのは、氏のこうした熱心さです。

 武士道を復活すれば、日本が世界の範となる国になるというのは、次のような論理です。同じ日本人なので、氏の気持ちは理解できます。しかし、氏の意見を発展させていけば、「お花畑の思想」と同様になってしまうのでないかと、一抹の不安を覚えます。いったい、、私の息子や孫たちは、どのような受け止め方をするのでしょうか。一つの、貴重な意見として、ブログに残すことと致しました。

「欧米人の精神構造は、" 対立 "  に基づいています。」「彼らにとって自然は、人間の幸福のため征服すべき対象であり、」「他の宗教や、異質な価値観は排除すべきものです。」「これに反し日本人には、自然は神であり、」「人間はその一部として一体化しています。」「この自然観の違いが、欧米人との間に、」「本質的差を作っています。」

「精神に " 対立 " が宿る限り、 」「戦争を始めとする争いは、絶え間なく続きます。」「日本人の美しい情緒の源にある、」「自然との調和は、戦争廃絶という人類の悲願への鍵となるものです。」「日本は、これらを世界に発信しなければなりません。」「欧米をはじめとした、まだひらかれていない人々に、」「本質とは何かを、教えなければなりません。」「それこそが、日本の神聖なる使命なのです。」

 

 私は氏の高揚した意見より、新渡戸稲造氏の謙虚さに惹かされています。参考のために、引用しておきます。

「武士道は、一つの独立せる倫理の掟としては、消ゆるかもしれない。」「しかしその力は、象徴とする花のごとく、」「四方の風に散りたる後も、なおその香気をもって人生を豊富にし、」「人類を祝福するであろう。」

 

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